このエッセイを読んでくださった方が、自分の大切な人たちへ、
素直に、大好きを伝えたいという気持ちになっていただければ幸いです。
どうぞ私の願いが届きますように・・・・・。

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 私には好きな人がいました。私はあの人をとても愛していました。あの人は、私に人間の優しさを教えてくれました。笑顔だけで人を抱き締められることを教えてくれました。
 ある日のことです。あの人は、私に言いました。「本当に愛する人に巡り逢うまで、本当に君を幸せにしてくれる人に巡り逢うまで、自分を大切にしなさい。君には幸せになっもらいたいから」と。
 私は少しだけ思いました。『それはあなたではないのですか?』と。でも、すぐにそんな考えは打ち消しました。そう考えてはいけないとなぜか思ったのです。いいえきっと怖かったのです。巡り逢うべき人があの人ではないと知ってしまうのが。
 そしてあの人もまた、私の巡り逢うべき人が、自分自身ではないことを既に知っていたかのように。私にはそう思えたのです。

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 映画を見ました。とても切ない物語でした。幼なじみの二人は、いつも一緒に遊んでいました。でも、いつの日か二人は自分たちが男と女であることに気が付いてしまうのです。
 彼女は悩みました。彼のことが大好きだけど、自分の気持ちを打ち明けてしまったら、素敵な関係にヒビが入ってしまうと思ったからです。
 そんな気持ちのまま二人の友情は続きました。そしてそのうち、彼女にも彼にも別々の恋人ができました。四人で出かけたこともありました。その別々の恋人が変わっても、お互い別の人と結婚をしても、二人の友情は続きました。
 そうして何十年もの年月を重ね、二人は年をとり、お互いの伴侶もこの世を去り、子供も立派に成長し、かわいい孫達も一人前になりました。そして、彼女が82才の誕生日を向かえた朝、死の床で彼は彼女に伝えました。「いつも、いつの日も、君を大切に思っていたよ。それは決して恋愛という感情だけでは終わらない特別の感情だった。君にはいつも幸せになってもらいたいと思っていた。もしかすると人間としての愛かもしれないな」そうして安らかに眠っていったのです。
 彼女は泣きました。なぜなら、後悔したからです。自分の気持ちを伝えられなかったことを。彼女は気づいたのです。たとえ気持ちを伝えたとしても、二人の間にヒビが入るような、そんな簡単な関係では決してなかったのだと。
 彼女はそれから自分の命が続くかぎり、毎日を一生懸命に生きました。人間を愛し、動物を愛し、自然を愛し、そして死という現実までも愛しながら。
 そんな切ない物語でした。

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 私の大好きだったあの人は、今はもういません。ある日突然逝ってしまいました。本当にある日突然に。たくさんの友達と一緒に泣きました。みんないっぱい泣きました。でも、いくら泣いてもあの人は戻ってこないのです。
 映画の話を思い出しました。そして私も後悔しました。きっと私とあの人との関係も、お互い好きだという言葉を交わしただけで崩れてしまうようなものではなかったのかもしれない。そう思えたからです。何故、何故あの人に「好きです」と、その一言が言えなかったのだろうと。
 映画の二人のようにいつも一緒にいたわけでもなかったけど、逝ってしまう死の床で、私に言葉を残してくれたわけでもなかったけど、それでも私は後悔しました。後悔しながら考えました。
 大人へと成長していく大切な時間を一緒に過ごした仲間達が私にはいます。かけがえのない人たちです。あの人は、そのかけがえのない人のひとりでした。「友達以上恋人未満」という言葉だけでは片付けられないほど、私とあの人の関係は純粋なものでした。純粋がゆえに大切にしておきたかったのです。そして、かけがえのないあの人のように、あの頃の大切な時間はもう戻っては来ないから、そして今のこの時間も、もう二度と戻らないものだから、だから、もっと自分に正直に、自分に一生懸命に。そんな風に思ったのです。

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 あの人が突然逝ってしまった日から、もうすぐ13年が過ぎようとしています。ついつい泣いてしまう夜もありました。もちろん今でも涙が枯れてしまった夜はありません。だけど私は生きてきました。あの人の分まで生きてやろうと頑張ってきました。どんなに辛く耐え難いことがあったとしても、「きっとこれはあの人が生きていたら乗り越えなければならなかった大切な障害。今は、私があの人の代わりに乗り越えるという重要な役目を与えられているもの」そう思いながら生きてきました。

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 そして・・・そんな私に恋人ができました。頑張っている私を見ていてくれた人がいたのです。生きることに一生懸命になっている私を見つけてくれた人がいたのです。
 その人は、あの人の存在を知るわけではありません。私があの人へ抱いた感情を知るわけではありません。だけど、その人に巡り逢えたことが、一日一日を一生懸命生きてきた私へのご褒美だとしたならば、こんなにも素敵な贈り物はありません。だけど、時々私はあの人に語りかけます。「私の巡り逢うべき人は、今、私の隣にいる恋人なのでしょうか?私の選択は間違っていなかったのでしょうか?」でも、あの人はあの時のように答えてはくれません。そうです、もう・・・いないのですから。
 私は自分で考えました。そして思いました。「私は間違ってはいないのです。頑張っている私を見つけてくれた人だから、今まで生きてきたなかで一番、一生懸命輝こうとしていた私を見てくれた人だから。もし、自分で間違ったと考えるなら、それは自分を否定したと同じこと。そして何よりも、今隣にいる恋人は、暖かい手を持っている。そう、生きている」と。
 そしてその暖かい手が私に気づかせてくれました。「大切なのは今生きている自分たち。その暖かい手で、これから先どれだけ大切な人たちを暖めてあげられるかということ。」

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 歳を取っていくことに嫌悪感を抱いていた時期がありました。肌には艶がなくなり、目尻にしわらしきものもではじめて、25歳はお肌の曲がり角なんていうキャッチコピーが流行ったことを思い出したりもしました。20歳を過ぎたらあっという間なんて言葉も。
 でも今は、もっともっと歳を取りたいと思えるようになりました。歳を重ねていけることがどんなに幸せなことなのかを知ることができたからです。

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 あの人が逝ってしまってから一年目の冬、ささやかだけどお花を贈りました。
 あの人の故郷は、今頃雪で真っ白でしょう。だけど、冷たいと思われている雪こそが、本当は春が訪れるのを心待ちにしている若葉の命を守っているのです。そうやって小さな命は、自然に守られながらひっそりと土のなかで、春が来るのを待っているのです。

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 あの人のお母さんからお手紙を頂きました。お花のお礼のお手紙です。とても優しい文字でこう書かれていました。
『貴女のような素敵なお友達を持つことができたあの子はとても幸せです。』と。
 今まで私を苦しめていた後悔の気持ちが、ほんの少しだけ消えていきました。素敵かどうかは分からないけど、正真正銘、私はあの人の友達でした。くり返し、くり返し、その文章を読み返しては、涙で見えなくなるほど読み返してみては、『そうなのですよ、お母さん。私たちは友達だったのですよ。とても素敵な友達同士だったのですよ。かけがえのない友達だったのですよ』
そんなことを呟いていました。

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 本屋で面白い本を見つけました。精神的な悩みや体の不調を、自分の前世を見ることで治療していくということが書かれている本でした。原因不明の首の痛みを持つ患者の前世を見てみると、以前戦争中に敵の刃物を首に受けて戦死した兵士だったということが分かり、それ以来首の痛みが消えたなど、興味深いエピソードがたくさん載っていました。
 その中にはこんなことも書かれていました。「魂には、巡り逢うと決められている運命的なグループやペアがあって、ある時は親子としてまた兄弟や恋人として前世でも同じ時代同じ場所で生き、同じ時間を過ごしている。憎み合う運命の魂なら、戦争中の敵として、恋敵としてまた別れた恋人として、その魂は時間を越えて幾度となく巡り逢っている。」 つまり、私の大好きだったあの人が、何十年後、何万年後かにもう一度私の魂の前に姿を現してくれるかも知れないということを教えてくれた本でした。
 そうです、あの人にもう一度逢えるかもしれないのです。素敵な友達として、兄弟として、親子として、もしかすると恋人として、同じ魂が巡り逢えるかもしれないのです。
 そんなことを考えながら、もうひとつの大切な事実も見えてきました。今隣にいる恋人と出逢えたことも、前世の魂から決められていた必然の出逢いだったのかもしれないと思えるようになりました。この先の二人の関係は未知なものだけど、お互いの魂が、長い年月をかけて惹かれ合い、やっと巡り逢うことができた現実に嘘はないのですから。

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 私には好きな人がいます。私は彼のことをとても大切に思っています。彼は、我儘な私に人を思いやる気持ちを教えてくれました。そうすれば暖かいその腕で抱きしめてもらえることも教えてくれました。
 ある日のことです。彼は、私に言いました。「君といると自分が自分でいられる、無理して格好つけなくてもいいんだ。いつも自然体でいられるんだ」と。私は思っていました。『私もそうだよ』と。でもそれは口には出しませんでした。口に出して言わない方がいいとなぜか思ったのです。いいえきっと必要がなかったのです。私の巡り逢うべき人が自分であると、彼自身の魂が分かっていたからです。

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 最近、思います。言葉はとても不思議だと。たった46文字しかない仮名の中から、何千、何万、何億、それ以上の限り無い言葉が生まれるのです。たくさんの言葉を持ちながら、使っている言葉はほんの一部。しかも声にして発する言葉といえば本当に少しだけ。伝えたい気持ちを言葉にして、文章にして、そして声にして。私には難しいことです。
 だけど、今、一番伝えたいことがあります。世界中の人に、地球上の命あるすべてのものに、そして宇宙の星に。

 「好きな人には、大好きを伝えよう」ということを。

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 逝ってしまったあの人へ。

「私は、あなたが大好きでした。きっとこれからもずっと永遠に。」

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 今側にいる恋人(人生のパートナー)へ。

「私は、あなたが大好きです。大好きです。大好きです。大好きです。大好きです。大好きです。大好きです。大好きです。大好きです。大好きです。大好きです。大好きです。大好きです。大好きです。大好きです。大好きです。大好きです。大好きです。大好きです。大好きです。大好きです。大好きです。大好きです。大好きです。…愛しています。だからどうか私より先に死なないで下さい。」

 最近、年甲斐もなく素直に思う、恋人(人生のパートナー)への正直な気持ち。

***end***
初版:1999.12.1 再版:2000.12.1再版:2001.12.1
再版:2002.12.1再版:2003.12.1・再版:2004.12.1
再版:2005.12.1・再版:2006.12.1・最再版:2007.12.1
最再版:2008.12.1

最後に・・・・。

 

このエッセイを、もう二度と歳を重ねることが出来ないあの人と、
これから一緒に歳を重ねてゆきたい恋人
人生のパートナー)へささげます。

また、エッセイを最後まで読んでくださったあなたに感謝いたします。
そして、あなたの大切な方は、きっとあなたの「大好き」を待っているはずです。
さぁ、ためらわずに、今心に思い描いた大切な人に、あなたの「大好き」を伝えてください。
「大好き」が伝えられるうちに。私のような後悔をしないためにも。

 

12月1日は、あの人の命日でした。

 

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