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人それぞれの人生
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 「いつまで非現実的なことを言っているんだ」と人は思っている。「足が地についていない」とか、「夢ばかり追いかけている」とか、「そんなことしていても生活していけないじゃない」とか・・・。言いたいことを言う。まるで、普通に学校を卒業して、普通に就職をして、普通の結婚して、普通の家庭をもって、普通に年をとっていくことだけが幸せと言っているよう。もちろん、そんな普通の生活が幸せだと感じることもある、何事もなく平凡な毎日だけど、とっても幸せな瞬間はたくさんある。大好きな人がいて、暖かい家があって・・・。けど、それを一番とするか、二番とするかは、人それぞれだと思う。

 なのに、自分とはまったく違った生き方をしようとする人に対して、なぜ低能扱いするような言い方をする人がいるのだろう。たとえば、「私は画家になるのが夢で、いつかは世界へ出て仕事がしたいんだぁ」なんてことを言っても、「世界が違うから、私にはちょっと分からないけど、大変なんじゃない?夢みたいなことばっかり言って・・・世の中イロイロあるしね」なんて言う人がいる。彼らの顔は、そんな時いつでも「夢は所詮夢なのにね」と言いたげ。もちろん、本気で心配してくれる人たちもいる。その人たちの優しい言葉と、彼らとの言葉は、明らかに違うものがある。

 私の友達の中にも、イロイロな夢を持っている人がたくさんいる。フォトグラファーだったり、物書きだったり、一流の役者になっていつか自分で映画を創りたいだとか、大好きな絵を描いていられればもうなにもいらないとか、あげていけばキリがない。中には、『こんな職業に付きたい』というのではなく「アメリカンタイプのオートバイで、世界一周をしたい!」なんて言っている人もいる。ちょっとした会話の成り行きで、そんなことを話すと、「そんなの無理だよ」「大変でしょう!」「その間の生活費はどうするの?」「世界一周した後どうするの?」「ははは(笑うだけ)」と非難と笑いの声。こうゆう夢がある人に、生活も何もないのだ。大変なことぐらい本人が一番よく知っているはず、だからこそ挑戦するのだ。

 だからといって、ライセンスを取得した、バイクを買った、ハイ出発!というわけにはいかない。それなりの資金は必要だし、語学力だって必要である。で、彼女が今一生懸命していることと言えば、資金集めはもちろんだけど、なんと英語の勉強だったりする。学生時代、通知表の英語の欄には、元気のよいあひる又は、赤い茶柱が一本の彼女がである。まったくけなげではないか!昔の参考書などを引っ張り出してきて、「I work hard so that I may succeed.は、えーっと・・・。成功のために一生懸命勉強する!でいいのかな?」などと、一人でぶつぶつ言っているのだ。英会話教室にまでも通い初めて「いやー学生の頃、もっと勉強しときゃ良かったよまったく」なんて言いながら充実した顔をしている。

 例えば、普通に結婚を夢見ている女性達を考えてみてほしい。大好きな人と一緒になる前に、料理教室などに通ったりして、俗に言う花嫁修業をしたりする人もいるだろう。それと同じことだと私は思う。ずっと大切にしている夢にたどり着くまでの私たちなりの花嫁修業なのだ。そりゃぁ、時には乱暴すぎる修行もあるかもしれない。でも、人それぞれの人生、自分しか経験できないというものたくさんあると思う。

 ここで誤解してほしくないのは、いわゆる普通の平凡といわれる生活を送っている人をつまらないと言っているのではないということ。まして普通の定義はまさに人それぞれだし、そんな生活を送ることを一番の幸せと感じているのだから、ある意味夢の叶った本当に幸せな人といえるかもしれない。私が許せないのは、夢を簡単に諦めてしまった人たち。彼らの言い草はいつもこうだ。

 「結局さぁ、運なんだよね。いくら実力がある人だってチャンスに恵まれなければそれまでだし、たいして実力も無いのにコネで華々しくデビューできちゃったりさぁ。夢ばっかり見るのもいいけど、もっと現実を見たほうが良いよね。この世界そんなに甘くないよー、汚い仕事ばっかりだしね。世の中何があるかわかんないしさ」である。
まったく困ったものだ。まるで、自分には実力があったのに、チャンスが到来してくれなかったからダメだったんだ。と言い訳しているとしか思えない。本当に実力がある人なら、チャンスは自然とやってくるものだし、チャンス自体を作り出せる。もしも実力が無いとしても、努力してコネを作る人だっている。それに、コネを作れる事だって才能のひとつだと思う。もちろん、コネを作ったからといってすぐ成功するわけでもない。それなりの実力をつけるためにみんな努力しているのだ。違うだろうか・・・。それなのに、自分のことは棚に上げて、目標に向かって一生懸命に頑張っている人に対して「愚か者」扱いをするのはやめてほしい。まったく余計なお世話だ!

 そう思って聞き流していると、「夢から覚めた時、大変だよなー」何ていう言葉が耳に飛び込んできた。「夢から覚めた時だとぉー」本当にどうしようもない。まったく話にならない。終いには怒りを通り越し、彼らが哀れになってくる。あきらめる事をしなければ、夢は永遠に覚めることは無いはず。あえて私たちが今までとは違う現実「夢から覚める時」とは、「夢が叶った瞬間」だと思っている。そしてまた、新しい夢を追いかけ始めるのだろう。

 時代や年齢とともにその夢の大きさや種類は変わっていく自分ひとりの夢から家族への夢へと変わったり・・・。そうやって私たちは、いくつもの夢を追いかけ、その目標に向かって進んでいく。人それぞれの人生、ぞれぞれに与えられる人生ならば、楽しくなくちゃ意味がない。夢を叶えなくちゃ意味がない。夢を追いかけなくちゃつまらない。

 そして、夢を見られなくなる時、それはきっと自分が永遠の眠りにつくそのとき以外ほかにない気がする。

このエッセイは、10代後半から20代前半にかけて書いたものを少し書き直して発表しています。
その時の夢に対する熱いものは、ずっと私の心にあります。だからこそ、今の私があると思っています。
いくつもの夢をひとつひとつ叶えていき、今また新たな夢に向かっています。私の友達もそうです。
ファッション雑誌に名前が載るようなフォトグラファーになった人もいます。TV番組で活躍している人もいます。
オートバイで日本一周した人もいます。そして物を書く職業についた人も・・・。
だからこれから夢に向かってゆく皆さんも、負けないで頑張ってほしい・・・。

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