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おじいちゃんのラストシーン

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 これはもう、10年以上も前のことになる。短期の語学留学を兼ねて2ヶ月程のイギリス旅行から帰ってきた次の日の出来事。

 それまで私は親元を離れて生活したことがなかった。中学の頃から私立に入れてもらったり、高校生まで門限が冬は5時、夏は6時という超箱入り娘状況で育ってきたくらいである。そんな私がいきなり、『イギリスに行ってくる!お金は自分でバイトして貯めた!それじゃ!』といった感じで日本を発ってしまったものだから、両親はもちろんのこと親戚一同、そして特に私をとても可愛がってくれていたおじいちゃんはさぞや心配だったに違いない。

 実は、おじいちゃんはその頃「癌」という病気におかされていてずっと入院をしていた。「癌」と言うと、それはとても唐突でショッキングな病気のようにも思えるのだが、おじいちゃんは既に70歳を超えていたこともあって、「癌」自体の進行も遅く、十分に寿命までは生きられるだろうという感じの入院だった。そんなことで、私も安心してイギリスへ行ったのだ。

 イギリスから、一週間に一回、多い時は2回とおじいちゃんへハガキを送っていた。心配させまいという気持ちと、少しでも元気になって、また大好きな釣りへ出かけられればイイねという気持ちを込めて、ほんの短い文章ではあったけれども手紙を書き続けていた。そして帰国の一週間前、私は「もうすぐ日本に帰ります」という内容の絵ハガキをポストに投函し、イギリスから宛てたおじいちゃんへの手紙を最後にした。

 帰国した次の日。無事帰国したことを知らせる意味もあって、私たち家族はおじいちゃんに会いにお見舞いへ行くことになった。その日はちょうど叔母さんやおじさん、従姉妹も皆お見舞いに行くという予定だったので親戚一同集まる意味もかねて病院へと向かった。

 おじいちゃんの入院している病院は、家から車で1時間程の所。私はお土産話をたくさん持って病院の門をくぐった。

 病室へ入る。おじいちゃんはぐっすり眠っていた。病気になる前は結構太っていて、ケンタッキーフライドチキンのカーネルサンダースに似ているくらいの体格の良さだったのに、今ではシングルのベッドにちょこんと収まってしまうほどに痩せてしまっている。私たちがぞろぞろと病室へ入ってきたことに気がついてか、目を覚ましたような雰囲気。でも、何となくモウロウとしているような感じ。私は、おじいちゃんの側へ寄り手を握って「昨日無事帰ってきたよ、ももだよ」と声をかける。それまでボーっとしていただけのおじいちゃんの口が微かに動いた。「もも……。」私の名前を本当に小さなこえで呼ぶと、また眠りの中へ戻っていってしまった。

 安定した眠りの中にいるおじいちゃんを見て、父親も、おばあちゃんも、その他お見舞いにきていた親戚一同も、安心していた。そうしているうちに、お医者さんが検診にやってきた。そしてこう言うのだ。「今夜が山ですね」

 なんて事だろう。安定した眠りの中だと思っていたのは、それは紛れもなく昏睡状態に陥ったものだったのだ。昏睡状態の中、嫁である私の母は、ずっとおじいちゃんの手をさすっていた。婿であるおじさん二人が、足をさすってあげていた。そして私と妹は、ただただこの状態を不思議な気持ちで眺めているだけだった。不思議なことに、妻であるおばあちゃんも、息子である私の父親も、そして娘である叔母さん達も、皆、ちょっと買い物に出ていたり、お昼を食べに行っていたり、家に帰って新しい布団を取りに行ったりしてその場にはいないのだ。

 「今夜が山ですね」とお医者さんが言った言葉には、おそらく「今すぐにでも」というような意味もあったはず。なのにその言葉通りに「今夜」という時間帯だけがクローズアップされてしまって、「今夜」になる前にイロイロ済ましておこう。という気持ちが働いたのかもしれない。

 何となく不思議な雰囲気の中、時間だけが過ぎてゆく。 私の母は、かつて自分の母親(つまり私のおばあちゃん)を癌で亡くしている。癌という病気に対して、とても敏感で神経質になっている母は、おじいちゃんの今の症状を見ているのが辛そうだ。きっと、おばあちゃんが入院していた頃のことを思い出しているのかもしれない。

午後一番の往診中、おじいちゃんの様態が急変した。もう、危ないのだ。母とおじさん達、そして私たち姉妹の4人に緊張が走る。父やおばあちゃんもまだ戻って来ない。

「いったい、お父さんは何やってるの!?」ちょっとイライラしながら母は、ベッドの傍らでおじいちゃんを見守る。私も妹もどうしていいか分からず、ただただ、医者の取る行動を見ているだけだった。

こんな状態だというのに、妻であるおばあちゃんも、血の繋がった娘や息子は一人として帰ってこない。いるのは私たち孫と、嫁や婿だけ。何となく滑稽なのと最後を看取れなかったらどうするのだ!?という焦りの気持ちが入り混じる。



 そして、とうとうその瞬間はやってきた。テレビドラマや映画のシーンでよく目にするあの瞬間だ。身体に取り付けられたいる血圧と心肺機能を図る機械の波が、0の値を示して「ピー」と高い音を立てる。「ご臨終です」と担当医は時計を見ながら時刻を告げる。よくみるシーンと変わらない。違うことといえば、その場で泣き崩れるものはなく、何となくみんな「おじいちゃん、ご苦労様」といった表情さえ浮かんでいる。妹は、魂が抜けて天に上がっていくのが見えるかも?と天井を真剣に見つめていたりする。そして、おじいちゃんの最期を看取った人間の中に、妻も実の子供たちもいないということだ。それもなんとなくおじいちゃんらしい気がしてくる。

 釣りが大好きで料理も好きで、遊びに行くといつも釣ってきた魚を刺身にしてくれたり、私の大好きなじゃがバターを作ってくれたおじいちゃん。とっても食いしん坊で、人が食べているものを「ひとくちひとくち」といって欲しがったおじいちゃん。実は婿養子で、どこかとぼけた所のあったおじいちゃん。妻や自分の子供たちがいない時に逝ってしまうなんて最後の最期まで本当にとぼけている。そんなおじいちゃんはみんなから愛されていた。

 それから15分くらい経っただろうか、おばあちゃんを始め、父、叔母さん、続々とそれぞれの用事を終わらせて病院に帰ってきた。

「まったく何やってたのぉ。おじいちゃん死んじゃったわよぅ」母の言葉に父は「あっ。ほんと?もう少しもつと思ったんだけとなぁ」と淡々とした様子。まだ実感がないといった感じだろうか。そして、おばあちゃんも新しい布団を持ってきたもののそれを必要とする人はもういない。

 ドラマチックな場面など一度もなく、おじいちゃんのラストシーンはあっという間に終わってしまった。せっかく皆が集まった日だというにもかかわらず、いや、だからこそ?とてもひっそりと、そして苦しむことなくゆっくりと・・・・・・。




 それから、次の日おばあちゃんから電話があった。私がイギリスからおじいちゃん宛に出した最後のハガキが今日届いたというのだ。『日本に帰ります』というハガキだ。つまり、私が無事にイギリスから帰ってきたことを、あの時顔を見せるまでおじいちゃんは知らなかったのだ。「おじいちゃんはもものこと待っていてくれたのよ」と母が言う。『あぁそうか、そうなのかもしれない』と思う。ずっと心配していた孫が無事に帰ってきて、顔を見れたことで安心したのかもしれない。それまで、逝くのを待っていたのかもしれないと思うと、ちょっと胸が苦しくなった。

 さっき『ドラマチックな場面なんて一度もなく』なんて書いたけど、本当はとってもドラマチックだったのかもしれない。おじいちゃん自身のラストシーンはきっととってもドラマチックだったのかもしれない。

 

 おじいちゃんへのラストレターは読んでもらえなかったまま、今も仏壇の横に置かれている。でもきっと天国で読んでくれているだろう。自分が逝ってしまう前に、私の帰国を確認できて良かったと思いながら。

 そして、今でも私の耳には残っている。おじいちゃんのラストシーンに残した最後のセリフ。・・・・・「もも」という私の名前。

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