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嫁入り道具

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 「車の免許は嫁入り道具だぞ」

 昔好きだった人に言われた一言。このまま何事もなければきっと私たちは結婚したかもしれなかった人。

 彼の実家は車がなければ買い物に行くにも仕事をするにもちょっと不便な所だった。決して田舎というわけではないけれど、交通の便の良い東京に住んでいる私にとってはやっぱり不便で、車でも乗れなければ、365日家に閉じこもりっぱなしだろうと思ったのかもしれない。とはいうものの、車の運転なんて、方向オンチの私としては恐ろしくて絶対出来ないと思っていたもののひとつ。だからどんなことがあっても免許なんて必要ないと思っていた。

 でも、彼の一言は私に勇気を与えてくれた。この場合勇気というのとはちょっと違うかもしれないけれど、恋する心の勢いってすごいなーって思ってしまう。彼にそう言われた次の日には、教習所に申し込みに行っていた。それからの土日はとにかく忙しかった。お休みの日なのに朝の8時から教習所に出かけて、お昼過ぎから彼と逢う。今まではお休みの日は大抵お昼まで寝ていて、彼の電話で目が覚めることが常だったのに、その頃の私はとにかく一生懸命だった。今から考えると恥ずかしいくらいに。

「今日午前中に電話したら出かけてるって聞いたけど、お前教習所通ってんだろう」

「えっ???どうして分かったの!」

「当たり前だろ、休みの日に朝早くから出かけてるなんてほかに何がある?」

 そんな具合に私の行動は彼にお見通しだった。せっかく驚かせてやるろうと思った計画も台無し。でも、ちょっぴり嬉しかった。教習所に通っているという私の事実を知って、少しはにかむようにしていた彼を見て。そして、なんと私は恋のパワーで、3ヶ月で免許を取ってしまった。一度も落第する事はなく、ペーパーテストも一度でパス!さすがの彼も驚いていた。驚く彼を見て私も満足。

そして・・・・・・。

 そんな風にしてせっかく取った「嫁入り道具」が、必要なくなる日がやってきた。

 それはごく自然に何の前触れもなくやってきた。いや、前触れがなかったわけではない、大学時代に彼と知り合ってから何年もの間のイロイロな事がすべて前触れだったのかもしれない。お互いに恋人がいても惹かれあったこと。ただの友達にもどっても付き合えたこと。お互いの恋の悩みを語り合ったこと。同じ趣味に没頭して、毎年のようにスキーへ出かけたこと。何度も何度も寄り添っては離れ、寄り添っては離れた二人。すべてが前触れだったのかもしれない。そして、それは私にとって必要な出来事だったのだと最近思う。

 

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「ねぇー。サティに行こうよう、今度一緒のお休みの日、車で行こうよう」
「何言ってんだよ。自分一人で運転してけばいいじゃないか」
「うむー。運転怖いんだもの」
「今度一緒の休みなんて1ヶ月先だぞ」
「そうなの?じゃあ、バーゲン終わっちゃうじゃん。ちぇーっ!一人で行ってくるよう」

最近の夫婦の会話。

 もしも、あの時私が免許を取っていなかったら、きっとこんな会話も生まれなかった。それだけじゃない。車なんてもちろん買わなかったろうし、道路標識だって知らなかった。地図の見方すらわからなかった。主人の隣でナビをしてあげることも出来なかった。二人でドライブに行って、運転を代わってあげることも出来なかった。(めったにないけど)イロイロなことが出来なかった。でも、私があの時手に入れた「嫁入り道具」のおかげで、少しだけだけど私が変わっていけた。

 一度必要のなくなった「嫁入り道具」、永遠に使わないと思っていたもの。でも本当は、世の中に必要のないものなんてないんだよね。辛くて悲しい失恋も、落ち込んでしまうくらいの失敗も、山積みになっている大変な仕事も。実は、すべて大切なもの。いつかはきっと役に立つ、必要なもの。

 そして今も、新しい生活をしながらも経験する様々な出来事。イライラする事も寂しい思いをする事も、もちろんハッピーなこともあるけれど、すべては私にとって必要な出来事なんだと最近思える。すべては私の未来につながっている、かけがえのない私の人生のすべて。

 でもね、「車の運転嫌いなのに何で免許なんて取ったんだよ、まったく」
そんな主人の質問には正直に答えられない私がいるのでした。(笑)

 

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