16.ドラッグの薦め・その2  

 開かれたクラブの扉は、思いのほか小さい気がした。大きな倉庫のわりには、ドア一枚の入り口。その入り口を入ると、4畳半くらいの・・・と日本的言い方をするのもなんなのだが・・・チケットを買うスペースがある。チケットを買うと、もぎりのお兄ちゃんがすぐ側でチケットをちぎっていた。混雑していればきっと、チケットなど買わずに入ってしまう人もいるだろうというくらい結構適当な感じだった。それでも私達は、ちゃんとチケットを買って、中へ入って行った。

 フロアーは2つあった。だだっ広い、150人ぐらいは踊っていられるだろういかにも倉庫後という感じのスペースと、20人入ればいっぱいいっぱいというくらいのフロアー。そして、テーブルなどが置かれているスペースが、2階に広がっている。その2階からは、広いほうのフロアーを見渡せるようになっていた。フロアーの奥には、一応貴重品預かり所みたいなところがあって、私達はジャケットをそこに預けた。私はそこで、防寒のためだけに着ていたセーターを脱いだ。身体の線がくっきりと出るカットソーを私は着ていた。胸元は結構開いていて、鎖骨のラインが綺麗に見えるデザインだ。そして、黒い地に5cm位の大きさの真っ赤な薔薇の絵が服全体に散りばめられている。この服があらわになり、口紅の色がやっと引き立つように感じた。

「へぇーかっこいいじゃん!」

ケンジが一応誉める。

「普段からそうゆう格好すればいいのに。似合うから羨ましいなぁ」

ユウコさんにまで誉めていただいて、まんざらでもない私。普段はこんな柄着ない。というより今まで着たことがない。先日行ったカムデンタウンで、何を血迷ったか買ってしまった代物。日本に帰ってからなんて、もっと着る機会がないと思って、今日こうして思い切って着て来てしまった。後にも先にも、その服を着たのはこの時だけとなった。今でもタンスの奥の奥にしまわれたままだ。

 フロアーには、音楽がガンガンと鳴り響いている。いわゆるロック系の音楽。どちらかと言うとパンクロック系。実は、私はパンクロックが好きだ。聴いていると何故か落ち着く。あの、メロディーになっていないようで一応メロディーになっているリズムと、世の中のすべてを否定したように見えて、実は心がちゃんとある歌が妙に私の耳には心地好い。特にうるさい系の音楽が好きと言うわけでない。一番好きなのは、やはりジャズだし、ヘビーメタル系は特別好きというわけでもないし・・・。音楽のことにはそれほど詳しくない私には、音楽のカテゴリー分けの定義など分かるはずもないから、ただ、心と身体に響く音楽を私は好きな音楽としている。ただ、ディスコ御用達のハウス系だけは、いまいち苦手だと言っておこう。

 パンクロックが・・・そしてビートルズも、デビット・ボウイまでも流れる趣味多様のフロアーで私は、結構踊りまくった。休むまもなく。ケンジはそんな私に付き合って、一緒に踊っている。しばらく一緒に踊っていたが、さすがにくたびれたのかいつの間にかテーブルに座って、ビールか何かを飲んでいる。多分あれはコロナビール。私も少し喉が渇いたのでカウンターでオレンジジュースを頼んだ。なかなか美味しいジュースだった。果汁100%なのだろう、絞りたてのつぶつぶ感がたまらない。そんなことを思いながら、ごくごくと、まさにごくごくと飲んでいると、ケンジがあきれたように話しかけてきた。

「亜紀ちゃん、アルコールは飲まないの?」

こんな雰囲気の中で、アルコールを口にしないことを相当不思議に思っていたようだ。もちろんアルコールが苦手というわけではない。どちらかというとイケル口だ。

「だって、喉渇いちゃったから。別に水でも良かったくらいだったし」

私の答えに納得したようなしないような顔をしながらも、ケンジは、ふーんとうなずいていた。

 そういえば、ヒロシとユウコさんが見当たらない。ホールにはいなかったし、どこへ行ったのだろうとケンジに聞いてみると、ドラックを調達しに行ったという。そうそう、すっかり忘れていた。ドラックのこと。はっと我に返り、周りの雰囲気を観察してみるが、それを連想させるような小物や人は見当たらない。別の場所で行われているのだろうか?確か、もうひとつ小さめのホールがあったのを思い出した。そのホールは、扉で仕切られている。中で行われていることなどまったく分からない。いったいあの空間で何が行われているのだろう。

「あっち行ってみようよ?」

ケンジがいきなり私の腕をつかんで、グイっと引っ張っていく。少しビビる私。細身の身体とはいえ、やはり男性の力は強い。彼が本気を出せば、私なんてすぐに押さえ込まれてしまうだろう。さすがの私も、ちょっと不安になる。

 もうひとつの部屋の扉が開く。中に充満していたタバコの煙が覆い被さってくる。多分タバコだったと思う。もくもくと煙ったホールの中で目を凝らしてみると、そこでは、ドラックの売買が行われていた。しかし、ドラッグといっても、覚せい剤やマリファナとかではないらしい。いわゆる錠剤上の興奮剤のようなもの。これを飲むと、体力モリモリで、一晩中遊べるというのだ。

何だか気が抜けてしまった。こんな言い方はどうかと思うが、正直言って期待はずれだった。私はてっきり覚せい剤やマリファナのような、ドラックがやり取りさているものだと思ったから、こんな子供だましのドラックにみんな寄ってたかってお金を出している。

 私の見る限りではそのドラック、国の医療規制によっては普通に手に入るような代物に見えた。実際そのドラックを販売している人たちの人種はほとんど同じで、祖国から定期的に送られてきても、持ち込んでも税関でつかまったりしないほどの薬なのだろう。

実際私もイギリスにくるとき、風邪薬や胃腸の薬などを大量に、本当に大量に持ち込んだが、何一つ不信をいだかれることなくフリーパスで通った。どう考えてもこの薬の量は異常だろうというくらいに大量の薬だったにもかかわらずである。

 彼らの言うドラックとは、そんな程度のものだったのである。だから、私のような、留学というよりも観光で来ているような人間にまでも、簡単にドラックを薦めたわけだ。

「亜紀ちゃんもやれば!疲れ知らずだよ」

ヒロシが私にドラックを薦める。

「結構気持ちいいよ」

ユウコさんまでも、ビールでドラックを流し込む。

「亜紀ちゃんの分も買ったって!」

ケンジが嬉しそうに、ヒロシからドラックを受け取る。

そして私はといえば、呆れ果ててしまった。

「私はいらないから。必要ないし、身体大切だし。」

3人は、ドラックをやろうとしない私を不思議そうな顔で見る。付き合い方として、というよりも、興味すら示さない私に対して、相当不思議な気持ちがあるようだ。日本にいたら、こんな経験簡単に出来ないのに、なぜチャンスと思ってトライしてみないのだろう。と言いだけ。

「じゃあ、私また踊ってくるから!」

 一目散にそのタバコで煙たい部屋を私は後にした。ヒロシ達も私の後について来て、ホールで踊り始めた。ドラックも飲んだし、夜はこれからという感じなのだろう。しばらく4人で踊りつづけていたが、まずユウコさんが抜け、次にヒロシが抜け、私とケンジだけになった。彼は相当疲れているようだ。しかし、ドラックを飲んだ面目を保つためか、女の私よりも体力がないことを悟られるのを嫌ってか、なかなか休もうとしない。

「あ・・・亜紀ちゃん、元気だね」

息切れを隠し切れずにケンジがとうとう私に話しかけてきた。彼の踊りはもう止まっている。クタクタらしい・・・。

「俺、ちょっと休憩」

「あっそう、私まだ大丈夫だけど」

実際私は、またまだ疲れていなかった。というより、興奮状態だったのか、まったく疲れを感じていなかった。そしてもしかすると、ドラックを飲まなくてもいくらでも踊れるよ、というのを見せつけたかったせいもあるかもしれない。

 その日は結局、午前2時ごろまでは踊っていたかもしれない。家に帰り着いたのは午前3時を回っていた。もちろんケンジの送り付で。『じゃぁお疲れ様・・・お休み』といったケンジの目の下のクマが、今でも思い出される。いやはや、本当にご苦労様でした。

 

 17.私の道を教えてくれた舞台  

 私、小泉亜紀がロンドンに来た目的のひとつに、ミュージカルを見る!というものがある。ミュージカルを本格的に見るようになったのは、高校を卒業した頃。友達に誘われて「レ・ミゼラブル」という舞台を見てから。もともとお芝居というものにはとても興味があった私にとって、その舞台は人生の転機ともいうべき感動を与えてくれたものだった。

 私は高校生の頃、ほんの少しだけお芝居に没頭したことがある。つまり役者を目指していたということ。いわゆるアンダーグランド系のお芝居を私はしていた。ミュージカルとは違う種類のお芝居である。どちらかというと少し暗めというか、舞台そのものにも華やかさはあまり感じられない部類の、そんな劇団に所属していた。それはそれでとても楽しかった。稽古場はいつも、きな臭い、カビ臭い感じで、更衣室なんてもちろんないから、男性の役者さんの前で、稽古着に着替えるワザも身に付けなければならなかった。稽古着といってもただのTシャツにタンパンなのだが、着替え終わると、柔軟体操から練習は始まる。まさに地道な練習。そんな雰囲気を知っているからこそ、ミュージカルの舞台の華やかさに、人一倍の感動を覚える。あんな華々しい舞台の裏では、いくつもの苦労と努力と涙と、そして幸せが渦巻いているのだろうと考えるだけでゾクゾクしてしまう。そんな思いをしながら見た、日本での「レ・ミゼラブル」。ある女優さんが私に衝撃を与えた。その方の名前は、島田歌穂さん。初代ロボコンのロビンちゃんをしていた人といえば、知らない人はいないのではないだろうか。彼女のお芝居の仕方一つ一つが、私の目と心に響いた。歌の上手さはもちろんのことだが、それよりもなによりも、彼女こそ私の目指している役者だったのだ。

 様々なシーンが繰り広げられる舞台で、彼女の表現するその表情やセリフ、行動は、まさに私そのものだった。といっても、私がそのくらい芝居ができるというわけではない。あくまでも、私だったらこうするだろうという頭の中だけでの芝居を、彼女は美しくやりこなしていたのだ。嫉妬心はまったくなかった。むしろ、尊敬とその表現力の素晴らしさに惚れ込んでしまった。そして思った。「この世界に同じ芝居をする人間は二人もいらない」と。決して、ひねくれた気持は生まれなかったし、負け惜しみの気持もまったくなかった。役者の道をあきらめたというより、違う道、違う私の居場所があることを気づかせてくれた。そんな感覚だった。それからの私は、ミュージカルはもちろんのこと、イロイロなお芝居の舞台を、心の底から、ただのひとりの観客として楽しむことができるようになった。

 そして、今日もミュージカルを見に行く。タイトルは「ロッキーホラーショウ」。この舞台はロンドンに来て3度目になる。「同じ舞台を3度も!」と人は言うかもしれない。しかし、ミュージカルは、キャストが少し変わるだけでもまったく別の舞台になる。舞台自体、一度だって同じ内容のものはないのだから、歌・踊り・芝居、そして舞台演出すべてが組み合わされば、本当に毎回が初めて観る舞台となるのだ。しかも、あの「ロッキーホラーショウ」である。これは、語らないわけにはいかないのである。

 

18.観客席が舞台 

  ピカデリーサーカスのオブジェのある広場から少し道を入ったところに、その劇場はある。通いなれた劇場だ。リピータがとても多い劇場でもある。毎日のように通っているファンもいるらしい。そんなミュージカルのタイトルは「ロッキーホラーショウ」。ミュージカルの高級なというか、知的なイメージを覆るような、いたってフレンドリーな、そしてハチャメチャな舞台。映画、舞台ともにイギリスではもちろんのこと、日本でもカルト的人気のあるロックミュージカルとして有名だ。

 ブラッドとジャネットという平凡なカップルが迷い込んだ古城でストーリーは展開される。城の主あり異性人でもある科学者、フランク・N・フルター博士は、人造人間の研究をしていた。デートの最中に雨が降り始め、雨を避けようと二人がたどり着いたところが、その古城というわけだ。

 ドライブデートをしていいる二人、雨がぽつりぽつりと降り始める。オープンカーに乗っていた彼らにとって、雨は最悪の状況。雨足は次第に強くなる。ブラッドは、後部座席に置いてあったニューズペーパーを取り出して、傘代わりにしようとしている。しかし、ニューズペーパーを取り出したのは、彼らだけではなかった。

 ガサゴソ、ガサコソ。客席でも何人か、いや何十人もの観客が、待ってましたとばかりにバックやポケットに差し込んであった新聞紙を取り出したのだ。そしてもちろん舞台の上の役者同様、頭の上にかざして雨をしのいでいる。舞台音響が地面を打つ雨音から、新聞紙を打つ雨音に変わる。ザーッという雨音の大きさと共に、みんなで新聞紙を振るわせる。

「今日の雨は、昨日よりも強いぞ」

なんて言いながら。つまり、観客席も舞台のひとつになっているのだ。客は見ているだけでなく、参加することで更に楽しんでいるのだ。時には、舞台の役者と観客が会話する事すらある。

 ボーリングという名のナレーターもいい。場面換えやストーリーのナビゲーション役として、時たま舞台の右端に登場する。Boring=退屈な、という意味。観客は、彼が出でくると、彼の名前を叫ぶ。おそらくニュアンスとしては

「つまんねーよー」

「退屈だぁー」

「やめちまえー」

「ひっこめー」

「早く続きを見せろー」

のようなヤジを飛ばすように、彼の名前を叫ぶのだ。それがお決まりになっている。また、彼もそうヤジられる事に快感を覚えているらしい。いつまでもその日その日のくだらない話をしている。そして、舞台の準備が整ったのを見計らって、

「わかったわよ!消えりゃーイインデショ!消えりゃ」

と言いながら、舞台の袖に消えていくのだ。

 その日見た舞台では、相当通の観客がいたようで、舞台の役者よりも早くその場面のセリフを言ってしまう観客がいた。役者さんもちょっと困っていたし、その他の観客も、ちょっとやりすぎでは??と思う場面も合ったが、さすがは舞台役者、その場面をこう切り抜けた。その観客に向かって

「悪かったわね今日のお話はちょっと違うのよ」

と言ったのだ。そして、チームプレイのなせる技、その役者のセリフに合わせて、他の役者達もアドリブで芝居の台本を創り上げていったのだ。コレには私も感服した。そのシーンが終わる頃には、会場からの盛大な拍手が待っていた。

 舞台も終わりに近づいた頃、いきなり会場のほとんどの観客が立ち上がった。私は、何が何だか分からずに、つられて立ち上がってしまった。というより、そうしないと舞台が見えなかったのだ。軽快に流れるロックンロール。役者達が次々に舞台に登場する。そして、踊り始めた。もちろんミュージカルだからダンスがあるのは当たり前なのだが。役者のひとりが観客席に向かって一言叫んだ。

「Let's dance!!」

そうなのだ、今度は皆で踊るというわけだ。まさに、コンサートさながらに、全員が同じ踊りを踊る。お尻を振って、腕を上げたり下げたり、右に左にステップを踏んだり・・・・・・。いつの間にか私も、隣にたまたま座っていた男の子と手を繋いで、踊ってしまっていたことは言うまでもないだろう。

 はじめのうちはさすがの私も恥ずかしさをこらえながら踊っていたが、次第に音楽に合わせておしりをフリフリ踊っている自分がいるのに気が付く。まさに、自分自身がミュージカルスターにでもなったような、そんな錯覚すら覚える。一種のドラック中毒のようなものと言ってもいいかもしれない。

そういえば、私にドラックを一生懸命薦めていた彼らは、今どうしているだろう。あの一件以来まったく私から連絡はとっていない。彼らのほうも、私が自分たちと、ツルムタイプの人種ではないことを悟ったのか、連絡もほとんどなく逢ってはいない。私自身も、あの仲間になって、何の目的もなくただ外国で暮らすことだけに憧れのようなものを持って、いつの間にかそんな日本人ばかりの集まりで淋しさのキズを舐めあうような、そんな人間にはなりたくなかったし・・・・・・。

そんなことを考えながら、マッド・サイエンスと不気味な城の執事・使用人たちが繰り広げる狂乱に満ちた愛の世界の舞台にのめり込んでゆくのだった。

 

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