19.紳士の国 

 さて、今日はmarquee(マーキー)というライブハウスがフリーの日。つまりタダということ。タダより高いものは・・・・・・。とよく言うが、やはりフリーの文字には弱いものだ。私は、ブラックジーンズに白いタートルネックのセーター、そしてお決まりのライダースジャケットを着て、そのライブハウスへ向かった。イギリス出身のアーチストたちのほとんどが、このステージから巣立っていったという、有名な店だ。

 遠目で見た限りでは、入り口は意外と混雑していなく、逆に空いているといった印象を受けた。今日お休みってわけではないよな?と多少の不安が私の心をよぎる。しかし、近づいていくにつれ、ガラス張りの1階フロアーが見えた。自分と似たような格好をした人たちがうじゃうじゃいる。なんとなく嬉しくなってしまう瞬間。

 大学の頃の仲間が、ちょうど今日の彼らのような部類の集まりだった。人間を部類分けするのも変なものだが、「明日は特別の日だから正装して来いよ」と言われれば、みんなそれぞれ一番のスタイルをして次の日学校にやってくる。もちろん、正装はスーツやジャケットではない、ライダースジャケットは当然の事、もっとデザインの凝った年代ものの革ジャンだったり、オーダーメイドでつくった何万もするスカジャンだったり・・・・・・。革のパンツや、プレミアムもののジーンズを履き、真夏でも革のブーツ。そんなスタイルの彼らだが、何と言っても気は人一倍優しい。時には羽目をはずす事があるけれど、仲間を大切にするし、愛する人はとことん守るし。『彼らは今ごろそれぞれの道を進んで、頑張っているのだよな・・・・・・』そんな事を思いながら、私は入り口を入って行った。

 エントランスフロアを通り過ぎると、ライブスペースがある。想像していたよりもこじんまりとした場所だった。ステージもそれほど大きくなく、客席も立ち見のスペースが60人くらい入ればぎゅうぎゅう。2階席のようなところもあって、そこにはテーブルと椅子がなんセットか置かれていた。のんびりとチップス&ビアーを頂きながらライブを鑑賞できるようになっている。人気のバンドともなれば無理やりにでも入れるだけの人数を入れてしまうのだろうが、さすがに今日はフリーの日だけあって、いまいちのバンドが演奏をしていて人数もまばら。それでも前のほう何人かは多分友達か何かなのだろう。まさに内輪受けで盛り上がっていた。思ったよりも期待はずれだと思った私は、1分もそのステージを見ることなく、ライブスペースを後にした。今日はもうココを引き上げて、別のクラブにでも行こうかな?と思いエントランスフロアに取り付けてあるTVから流れる映像をボーっと眺めていると、誰かが私を呼んだような気がした。

「すみません」

その声はいたって丁重。無言のまま振り向くと、そこには多分私よりも2つは年下だろうと思われる青年が立っていた。もちろん身なりはライダースジャケットに革のパンツ、革のブーツ。決まりすぎているそのいでたちに多少可笑しさがこみ上げてはくるものの、『大学時代の友達、M.M君に似ているなぁ。しかも、えらくハンサム!!ちょっとルパン三世に似ているぞ』などと考えながら、

「なに?」

と気軽に答えた。すると彼は、

「恐れ入りますが、一緒にお酒を召し上がりませんか?」

という。一瞬何の事だ?と思ったが、それが所謂ナンパである事にすぐに気づいた。こんな可愛くてハンサムな青年にナンパなんかされて、ちょっと嬉しかった。しかしそれよりも何よりも、彼の私に対する言葉遣いが嬉しかった。

『Could you 〜』である。始めはあまりの馬鹿丁寧さに、からかわれているのかと思ったのだが、

「今日はもう帰ろうと思ってるの、ごめんね」

と私がいうと、

「そうおっしゃらずに10分でも良いです。バーの方へ行って、おしゃべりしませんか?」

という、そしてまた私が、

「私、そんなに喋れないんです。」

というと、彼はまた

「そんなこと構いません、ゆっくりお話しましょう」

という・・・。

そんなやり取りの中で、どうやら彼は、私に対してちゃんとした態度で接しようとしている事が解かった。イギリスは紳士の国とはよく言うが、『ナンパまで紳士だわ!!!』と思わざるを得なかった。以前にも他のクラブで声をかけられた事はあったが、確かに日本のそれに比べると、とっても丁寧だった気がする。私には、日本のナンパというと、スキがあって軽く見られて声をかけられるというイメージがある。だから(めったにされないが)声をかけられたときにはいつもムッとした態度をとっていた気がする。もちろん、声のかけ方も、非常に軽く馴れ馴れしいというせいもあった。それに比べて、イギリスの男の子達は、言葉遣いが丁寧だ。(もちろん、そうでない子達もいるけど)ナンパされる方も気持がいい。ある意味'手'なのかもしれないが、日本のナンパに慣れている日本の女の子達にとって、こんな特別扱いされたような口調で声をかれられたら、思わずついて行ってしまうのではないだろうか。『ん???そうか、もしかして本当に'手'なのかもしれない!』と思い始めてしまった心配性の私は、はっきり言って好みのタイプで、惜しいなぁと後ろ髪を惹かれる思いはあったものの、

「本当にごめんね、また今度逢えたらね」

という言葉を残してmarqueeを後にした。

 今考えれば、お酒の一杯くらい付き合って、友達になっておくんだったと後悔している。そうすれば、もっとたくさんロンドンのことを知ることが出来たのに・・・・・・。

こうして心配性かつ、慎重派の私は、またひとつ、石橋を叩きすぎて割ってしまった'のである。

 

20.ゴールデンデリシャス 

 とにかく食費に関しては、節約したいと思っていた。その節約した分で、ミュージカルを一本でも多く見たいと思っていたし、小旅行で、一箇所でも多くの町を回ってみたいと思っていた。あいにく、私がステイした寮には、キッチンが付いていなく、自炊というものが出来ない。外食をする事がほとんどだ。大抵夕食は、駅前のいつもの定食屋でことを済ませるが、その定食だって、特に安いと言うわけでもない。ドリンクも一緒にオーダーすれば、最低でも、日本円で600円に相当するくらいの値段なのだ。『600円くらいかけても』と思うときもあるが、ランチ代でもそのくらいは使ってしまうわけで、一日1200円から1500円は飲食代で確実に消えていく計算になる。一週間で8000円以上はさすがにきつい。まさにミュージカルを一本見ることが出来るのだ。

そんなわけで、今日の夕食のメニューは、紅茶3杯と、リンゴ5個。全部で合計250円くらい。紅茶はもちろん、100個パックくらいで大量に売っているものを寮で入れる。

リンゴ5個とは質素だが、それなりにこだわりがある。必ずリンゴはゴールデンデリシャスと決めている。この品種が一番好きだ。甘味と酸味が程よく調和していて、みずみずしさもある。大きさは、日本のように品種改良していないので、少し小ぶり。丁度片手にコロンとのるような大きさ。色は、グリーン。ツヤツヤしている。このツヤツヤは、ワックスだと分かっているし、食べる前には必ず洗うものの、その美しさにいつも見とれてしまう。そして、皮ごと丸かじり。『シャリ』っという音が、部屋に響く。

 「ああ、今日も一日お疲れ様でした」

なんて、独り言を言いながら、夕食を楽しんでいる。

 ココでは、他の物価はそれほど安くはないのに、フルーツだけは、妙に安い。ゴールデンデリシャスを、紙袋いっぱいに(量り売りなので正確な数は定かではないが、20個近く)買っても、1000円くらいなのである。メインディッシュにリンゴ以外のものを組み合わせれば、紙袋一袋で1週間以上は持つのだ。そんな食生活が、イギリスに来てから続いていた。

 そんなある日。おなかの調子が悪くなった。もともと腸のが強くない私にとっては、いつものことだった。『またか』と思いながら、日本から持ってきていた大量の胃腸薬の中から、その日の症状に合った薬をチョイスして、いつものように飲んだ。もちろん、無事におなかの痛みは治まってくれた。

 今日の授業は、主にスピーキング。隣の席の人とペアを組んで、イロイロなテーマについて話していく。私とペアを組んだのは、イランから来たおばちゃん。年齢は、多分45歳から50歳くらい。こんな年齢になるのに、わざわざイギリスまで来て、英語を習っているのだ。職業は看護婦さんと言っていた。仕事上、もっとちゃんと英語を話せるようになりたいという事らしい。『偉いなぁ』と感心しながらも私たちの話は弾んだ。

 授業が30分くらい過ぎた頃、急に頭がクラクラして、めまいがしてきた。吐き気も襲ってきた。でも、それほど強い症状ではなかったので、先生の話を半分聞きながら、何とか休憩の時間がくるのを待った。何分我慢しただろう。やっとの事で休憩時間を迎えた私は、気持を引き締めるために顔でも洗おうと洗面所に急いだ。しかし、顔など洗う余裕などなかった。個室に入るやいなや、私の吐き気はピークに達し、今朝飲んだ薬とともに胃の中のものすべてもどしてしまったのだ。

とにかくびっくりした。胃の中のものがすべてなくなってくれたおかげで、気分がすっきりしたのは良かったものの、子供の頃車に酔って・・・以来こんな経験は初めてだったので、一瞬パニックに陥った。『もしや何か重大な病気にでも・・・・・・。』と思ったものの、日頃の食生活を思い出して、『当たり前か』とも思った。相当胃がやられているのだろう。私は、自分の胃の状態を想像しながら、右手で胃のあたりをさすった。

看護婦のおばちゃんに、今さっきの出来事を話してみた。今までの食生活の事と、この後、胃薬か何かを改めて飲んだ方が良いかどうかを訪ねてみた。そして、怒られた・・・・・・。

「アキ!だめじゃぁないの!ちゃんとご飯を食べなきゃ。それに、また薬なんて飲まないで、今日は消化の良い物だけを食べて、早めに眠りなさい!」

巻き舌まじりの英語のため、何だかとても強く叱られたように感じながら、

「はい・・・・・・。そうします」

と私は答えた。

リンゴは万病に効くとか、リンゴを食べていれば医者は要らないとか、言葉の上ではいくらでもリンゴの良さをアピールするものはあっても、やはり現実問題、限度というものが大切なのだという事をしみじみと感じた出来事だった。

 

21.ビートルズの故郷

 イギリスに来て大抵の週末はどこへ小旅行に出かけている。始めの1週間目くらいは、とにかくロンドン市内のいたるところを歩き回り、夜中に出歩いてはパブやクラブなどに入り浸っていたが、そろそろそんな不健康な?生活も飽きてきて、ロンドン以外の町も見てみたいという欲求が生まれてきた。そして、まずはちょっとミーハーだが、ビートルズの故郷でもあるリバプールへ行く事にした。特にビートルズファンというわけでもないのだが、やはり押さえておくべき場所だろう。

 ということで、今週はビートルズの故郷、リバプールへの日帰り旅行だ。私はお決まりのようにカメラとたくさんのフィルム、地図、そして少しのお金を持って寮の部屋を出た。まだ朝の6時だった。

 港町であるリバプールへは列車で約3時間。列車の中ではウトウトとしながらも窓越しにイギリスの風景を楽しみながら、そしてたまにシャッターを切りながらの楽しい時間だった。

駅を出ると、海というかまだマーシー川の河口なのだが、そこまでの道がほぼ真っ直ぐに伸びている。途中寄り道をしながらも、徐々に潮の香りが強くなってくるのを確認しながら歩いていく。30分は歩いただろうか、目の前に大きな河口が広がって見えた。河口と言ってもほとんどそれは海といってもいいほどの広さ。アメリカ大陸との貿易で繁栄したという過去を思わせる。大きく息を吸い込む私。ほんのりと潮の香りを舌に感じながら、イギリスでみる初めての海?をしばらく見つめていた。

海といってやはり河口なので、私たちは湾の堤防の上から海(川)を見下ろすだけの風景だったが、それでも私は夢中になってカメラのシャッターを切った。犬の散歩をしながらジョギングを楽しむ老紳士。子供を乳母車に乗せてのんびりと堤防沿いを散歩する若いカップル。そんな人たちのひとときを、私はカメラで切り取っていった。

そろそろ潮の香りを充満しきった私は、街中にも足を運んでみようともと来た道を少し戻る形でまた歩き出した。『どうせ来たんだから、ビートルズメンバーの育った家でも見に行ってこよう!!』そう思った私は、持ってきたガイドブックと地図を頼りに道の名前を確かめながら歩いた。

地図と睨めっこをしながら、結構歩いた。港町のわりには坂道も多くて、そろそろ疲れも出てきたが、とにかく方向音痴の私、一向に目的の道に辿り着けない。というか、この道でいいはずなのに、『ジョン・レノンの育った家!』とか、『ポールの生まれた家!』とか、そんな雰囲気を醸し出す家は見つからない。普通の民家が続く道並に、そろそろ私も飽きてきて、『別に観光地としてその家を管理しているわけでもないのだろうから、まあ、ここらあたりに彼らは住んでいたのねー』なんて、どうでもいい解釈をしながら、住宅地周辺から駅前の開けた繁華街へと戻っていった。

 それでもなんとなく、不完全燃焼な気持があって、ついついビートルズのオフィシャルショップなんかを覗いてしまった。ショップの中は、言うまでもなくビートルズ一色。ステッカーやポスターはもちろんのこと、メンバーの木彫りの人形まである。これがナカナカ可愛い。メンバーの特徴を漫画チックに表現してあって、ファンでなくても思わず買っていこうかな。なんて思わせる?といっても相当大きいもの(30cmくらい?)なので、さすがに私は遠慮したが・・・。

 他のお土産やさんもいくつか覗いてみたが、やはりどこもかしこもビートルズ一色。『熱狂的なファンにとってはきっと、ココはパラダイスなのだろうなぁー』なんて思いながら、そんな風景を写真におさめていた。

 そろそろ帰ろうと思って、駅近くをウロウロしていると、多分フランス人の青年が私に近づいてきた。おそらく彼も観光客なのだろうが、私に向かってフランス語で話し掛けてくる。もちろんフランス語なんてチンプンカンプン。

「Can you speak English?」と聞いてみたとてもちろん「Non」の答え。それでもまだフランス語で話し掛けてくる。今度はジェスチャー付だ。どうやら彼は、駅はどこかと聞いている。子供が良く遊びでやるように、『しゅつしゅっぽっぽ』のしぐさをしている。腰のあたりで曲げた腕を回転させるというアレだ。私はなんだか可笑しくなって、「ああ列車のこと、駅のことね」といいながら、「この道を真っ直ぐだよ。真っ直ぐ行って左に少し行けばすぐ駅だよ」とバリバリの日本語で、でもちゃんとジェスチャー付で答えた。どうやら理解したらしく、「サンキュー」といって、大きなリュックを重たそうに背負いながら、駅の方へと歩いていった。

 『ジェスチャーって、万国共通なのだなぁ』と思いながら、私もしばらくして駅へと向かった。さっきの彼が駅にいた。今度は、駅員さん相手に、ジェスチャーで何か言っている。駅員さんは困った顔をしながら、うんうんと頷いている。あまりにも面白い光景なので、写真を一枚パチリ。この写真がリパプールで撮った一番のお気に入りとなった。

 

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