11.出逢い 

 

 2時5分前、彼はまだ来ていないらしい。密かに「好みのタイプだったらラッキーだな」と思いつつも、表情は平常心を装っている。

 18歳の彼女がいきなり私の腕を掴み引っ張りだした。

 「あの人。あの人。」

そういって人差し指を向けた先には、少し小柄で、線の細いタイプの日本人がこっちにかって手を振っている。第一印象として、ロンドンの街にはどうもシックリこないタイプの彼だった。顔は好みではないが悪くはない。服のセンスも特に問題はないし、ヘアースタイルだってベリーショートに近い今風の形だ。しかし、どこか無理があるように思えてならなかった。

 昨日から今日の今に至るまでの経過を彼女は一生懸命説明している。とりあえず自己紹介を終え、軽い握手を交わした。イギリスに来てまで日本人の男友達を作ろうとは思わなかった私だが、こちらに3年は住んでいる友達がいるという彼の言葉に少し心引かれ、彼の話す自叙伝に耳を傾け始めた。

 イギリスに来たのは夢を叶えるためだという。中学を卒業してすぐに社会人となり、ディスコの店員から土木作業員まであらゆる職業を転々とした彼の夢は"ファッションデザイナー"になることらしい。といってもデザインの勉強を日本でしていたわけでも、ロンドンで勉強をしているわけでもない。ただ、『ファッションと言えばロンドンだ。まずその雰囲気に触れてみよう』という考えらしい。『ファッションと言えばパリかミラノでは?』という私の質問には、『言葉が全然わからないから論外だった』そうだ。かといって英語が流暢に話せるわけでもない。全く話せないと言っても過言ではない程である。

 相当、自分の実力に自信がある大物なのか、ただ無知なだけの無謀な奴なのか、私にはまだ分からなかった。どっちにしたとしても、慎重且つ、計算派の自分とは全く正反対の性格に驚いていた。

 そして、彼が実力派の大物か、無謀な奴かどうかを知ったのはそれから一週間後、彼の仲間たちと知り合い、数日間を一緒に過ごしてからだった。

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 12.仲間達

 

 今日は彼が、ロンドンで3年は暮らしているという仲間を紹介するということで、私達は1時にキルバーンステーションの前で待ち合わせた。18歳の彼女は、既に日本へ帰ってしまい今日ここには来ていない。日本に帰ること、私達と別れることをとても淋しく思っていたが、まあ、彼女にとってはそれで良かったと今私は思っている。  彼の仲間も、実はキルバーンに住んでいるという。駅からダブルデッカーに乗って2,3分の場所に彼らの溜り場はあった。

 玄関で、呼び鈴を鳴らす。部屋は3部屋あり、もともとは一軒家だったのをアパートとして貸し出しているので、すべての部屋にその呼び鈴の音が響くたび、1階、2階、3階、すべての部屋の住人が、窓から顔を出すという仕組み。1階からはスパニッシュ系の男性。3階からはたぶん、イランニアン系のカップルが顔を出す。そしてまったく同時と言っていいほど、一緒に「ヒロシ!ジャパニーズフレンド!!!」と叫ぶ。そして、ヒロシと思われる23・4歳くらいの日本人男性が2階の窓から顔を出した。

「よぉ、ケンジ上がれよ」

そういえば彼の名前はまだ言っていなかった。ケンジという。ヒロシにケンジ、なんともまぁ日本人らしい名前だろう。とはいうものの、私の名前「亜紀」も相当日本人らしいが。 部屋は12畳あった。備え付けのクローゼット・テーブル・ソファ、そしてダブルベッドが置かれ、窓辺には今時日本ではお目にかかれないでかいカセットデッキと無造作に置かれたカセットテープが何本かあった。トイレやバス、キッチンは共同。ここに、彼の仲間とやらが暮らしているらしい。仲間というくらいだから、何人かがここで生活しているのだろう。わたしは、ヒロシに尋ねてみた。

「ココに一人で住んでるの?」

するとヒロシは答えた。

「いや、二人で」

すかさずケンジが話に加わる。

「ユウコさんて人がいるんだけど、その人がカッコイイ人で、ロンドンにファッションの勉強をしに来てるんだって」

ユウコ?ということは女性だよなぁ。と言うことは、ヒロシの恋人?そんな風に考えていると、そのことを察したのかヒロシが話し始めた。

「ユウコさんとはロンドンに来てから知り合ったんだ。アルバイト先でね。それで意気投合して、なるたけ生活費を削減するにはっていうんで同居を始めたんだよ。だから、別に彼女とかそうゆうのじゃないんだけど・・・。今日は帰りが遅くなるみたいだけど、ユウコさんがいるときまた来ればいいよ」

「ふーん。そうなの。」

と私は納得した振りをしたものの、今一つ納得できなかった。

 自分自身にも学生時代から仲の良い男友達は何人もいて、二人きりで旅行に行ったり、家に泊まったりしているし、そうゆう男女関係が存在するということは知ってはいるが、ダブルベッドというのはいかがなものだろう・・・。やっぱり、男と女だし。うーん??なんて要らぬ想像をしながら、私は、自分自身の自己紹介も済ませた。

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13.犬も歩けば・・・

 今日は、ユウコさんという人に会いに行く。ケンジがどうしてもユウコさんに私を会わせたい(私にユウコさんを会わせたい?)らしく、せっかく学校がお休みの日だというのに、朝早くから寮まで迎えに来たのだ。

「今、行くよ!ちょっとまってて」

私はパジャマから、適当な服に着替えて玄関へ降りていった。

「ちぃーす」

何とも軽いあいさつをした後、私たちはカムデン・タウンへと向かった。

 カムデン・タウンとは、日本の原宿のようなもの。それよりも、上野のアメ横や下北沢、横須賀ドブ板に近い感じだろうか。骨董品などがメインのポートペローロードマーケットとは違う、古着などが多いファッション系のマーケットだ。ここで、ユウコさんとヒロシと落ち合うことになっているらしい。

 初めてその日にあったユウコさんという人は、思っていた感じの人と全く違っていた。身長は155cmくらい。童顔で、ショートヘアがとっても良く似合う、カッコイイとか、キレイとかというより、カワイイといった感じ。年齢も、27才と言ってはいるが、どう頑張っても私と同じぐらい。なるほど、ヒロシがダブルベッドのある部屋で一緒に生活できるはずだと思った。決してそれは色気がないというわけではなく妹にしたいタイプ?と言えば良いのだろうか。ケンジの言ったカッコイイ人という言葉はどこから来るのだろう。なんて思ってしまうほどカワイイ感じの人だった。きっと彼に言わせてみれば、自分と違うことをしていれば、誰でもかれでもカッコイイ人になってしまうのかもしれない。そういえば、私に対してもカッコイイネなんて言っていた気がする。

 カムデン・タウンには私をウキウキさせるものがたくさんある。まずは、デザインが斬新な靴。今でこそ日本にもイロイロなデザインの個性的な靴があふれているが、普段、スニーカーやちょっとおしゃれをしている時の革のショートブーツぐらいしか履かない私にとって、これが本場の?ロンドンブーツか!というものから、つま先がキューピーの頭のように尖っているペニーシューズ、人間の裸足の絵をそのまま描いたブーツや、いかにも、パンクが流行った国といったようなマニアックなものが多い。

 そして、やはり古着がカッコイイ!ライダースジャケットひとつとってみてもデザインにそれほどのさはないものの、素材や色、ペインティングされている柄などがとにかく斬新。皮製品やシルバーの小物も豊富だ。バックルなんかに至っては、もう書き出せないほど・・・。

 そんな町を4人でプラプラしていた。『犬も歩けば棒に当たる』ではないが、ヒロシの日本人の友達によく会う。大抵がそれぞれを知っていて「どこそこの店に、何々がいたよ」とか「今さっき何々とすれ違ったよ」といった感じ。さすがに3年もいると、友達が増えるらしい。しかも、日本人ばかり・・・・・。

 2、3時間ほど買い物を堪能しただろうか、そろそろ小腹が空いてきた私達は、ユウコさんがお気に入りという、ケーキのおいしい喫茶店へと向かった。私は、そこでチーズケーキとセイロンティーを注文した。なかなか美味しいケーキだった。カントリーハウスをイメージさせる、木の素朴な温もりを感じる店内の雰囲気と、自然な味わいのケーキが調和していたこともあって、余計に美味しく感じたのかもしれない。それでも紅茶はあの定食屋の方が美味しいな、などと思いながらも、ポットの中すべてを飲んでしまった。要するに私は紅茶好きなのである。

 ほっと一息ついているところに、ヒロシが急に聞いてきた。

「今度の金曜日の夜何か用事ある?」

「別に何もないけど。」

寮の友達とも学校のクラスの友達とも特に何の約束もしていななった私は、そう答えた。「じゃあ、観光客は絶対行かないクラブに連れてってあげるよ」

『おっ、待ってました。そうこなくっちゃ』と思いながら私はおもいっきり頷いていた。、ロンドンに3年も住んでいる人から得る中の第一ポイントとしては、やはり観光客の行かない遊び場だ。雑誌を見ながら、結構一人でそんな所を探し回って遊びに行ってはいるが、やはり、地元?の人の情報にはかなわないだろう。実際、金曜日に連れていってもらうクラブは、雑誌にも載っていない穴場中の穴場らしい。かつて、そんなところに行きたがっていた日本の女子大生のことを思い出しながら、少し得した気分になっていた。

 おやつを終えた後、私たち日本人御一行は、また少しカムデン・タウンを少し見て回り、結構たくさんの買い物をして、それぞれの家へ帰った。

 『今日は疲れたし早く寝よう。明日も授業だ』私は、金曜日の夜を心待ちにしながら、相変わらず細く小さいベッドに横になった。

 

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14.金曜日のラザニア

 今日は、観光客なんか行かない、しかもロンドン子にとってもツウな人しか行かないと言われるクラブにいく日。午前中の英会話の授業も上の空で『今日は何を着ていこうか』とか『髪型はどうする???』なんて考えていた。

 授業は土日以外毎日、朝の8:30から昼の12:00までの3時間半。前半に文法や構文的なものを学んだ後、後半でひたすら会話。もちろんアクセントをチェックされながら。今日はそれほど難しい文法やアクセントの単語もなく、無事終了。気持ちはランチタイムと夜のクラブでウキウキ。

 ランチは大抵一人で取る。週に2・3回は教室の仲間と一緒に取るが、やはり英語が唯一の言葉なので、さすがに一日中は辛い。独り言を言う時以外、一日中英語だけで過ごすこともあるが、それほど堪能でもないので、疲れるというのが正直なところ。なので、食事をするときくらいはのんびりと一人でが私は好き。もちろん今日は一人の日。理由は金曜日だから。

 ロンドンでも有名な100CLUB(ワンハンドレットクラブ)というライブハウスが、金曜日だけランチタイムの営業がある。しかも生のジャズバンドの演奏付き。もちろん、フリー。これが私はたまらなく好きで毎週金曜日の日課になっている。しかしランチのメニューはラザニアと確かサンドウィッチだけ。私はいつもラザニアをオーダーする。だから週に一度はラザニアを食べている。今日もラザニアを食べながら、ジャズの演奏を聴こうと100CLUBへと急ぐ。100CLUBの細い階段を降りていくと、チケットカウンターがある。ランチタイムはチケットは関係ないのでそのまま素通り。扉をあけると右手にバーカウンター。左手奥にランチをオーダーするカウンター(セルフサービス)そしてホール中央には舞台が設置されていてバンドマンが演奏をしている。私たち客は、その回りに配置されているテーブルへ勝手に座る。私はいつも、舞台に向かって一番左の一番後ろのテーブル。最近ではすっかり私の指定席にでもなっているかのように大抵そこは開いている。今日も運良く開いていた。

 その日のバンドは、メンバーが50歳代位のおじさん達で構成されていた。演奏の腕もなかなかのベテラン。結構人気のバンドらしく、隣のテーブルから『今週来て良かったわね』なんていう話し声が聞こえてきた。私も、ちょっと得した気分になりながら、結構ボリュームのあるラザニアをたいらげた。そして、ラザニアといつも一緒にオーダーする一杯の紅茶を飲み、ジャズを聴きながら、のんびりとしたランチタイムを過ごした。

 約1時間半、そこのクラブで時間を過ごした後、私はBootsへ立ち寄った。Bootsとは、薬や日用雑貨、化粧品などを売っているチェーン店。日本で言えばドラックストアーのようなもの。私はこのお店が大好きで、特に買うものがなくてもついついふらっと覗いてしまう。日本のドラックストアーよりはもっと洗練されていて、Bootsブランドの商品は、値段も手頃でしかも可愛い。(実は1999年の夏、日本にもとうとう進出してきた!東京に第一号店がオープンしたのだ!!)

 今日は、口紅を買うつもり。今夜のクラブで何を着て行くかをジャズを聴きながら決め、それに合う口紅をというわけだ。Bootsの入口を入ると、化粧品やバスルーム関係の独特の香りがした。デパートのブランド化粧品売場のあのケバケバしい匂いとは違い、いわゆる、シャボンやフルーツ系の香りがする。私はここのスペースが何とも好きなのだ。口紅が数多く並んでいるコーナーへと急ぐ。50種類以上はあるだろう口紅の中から、今日着ていく予定の服を思い浮かべながら、合いそうな色を一本一本丁寧に見ていく。左手の手の甲に何本もの赤やエンジ、ピンクの線が増えていく。そして選んだ一本。エンジに少しホワイトが混ざったような、スモーキープラムとでもいうのだろうか、派手にならず、地味にならずといった色を私は選んだ。それを、約3ポンド(安い!)で買い、家へと急いだ。

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 15.ドラッグの薦め・その1 

 

 もうすぐ夜の8時になる。私は、ケンジが家まで迎えにきてくれるというので、それまでに夕食を済ませ、自分の部屋でのんびりしていた。白いセーターにブラックジーンズといういたって地味なスタイル。昼間Bootsで買った口紅が、ちょっと派手かな?と思えるほど。腰まであるストレートの髪は、ここぞとばかりにブラッシングをかけてサラサラだ。やはり寒いので、ジャケットは必需品。もちろんライダースジャケット。普段学校に行ったり買い物に行く時などは、気合が入りすぎていてなかなか着られないライダースも、この日ばかりははまり物という感じ。

 ビィィィ・・・。という鈍い呼び鈴の音。ケンジが迎えに来たらしい。何だか知らないが彼は私をエスコートすることが使命と思っているらしく、必ず迎えにきてくれるし、夕方遅くもない時間でも寮の前まで送り届けてくれる。それが、友達でも恋人でも、なんでもかんでも女性と接する時は、男として当たり前のことだと思っているようだ。嫌な気はいないが、ちょっと滑稽な感じもする・・・。

「ちぃす」

いつものように軽い挨拶。彼の服装もいつもとかわらない。綿のジャケットから、革のジャケットになったくらいだろうか。

「亜紀ちゃん、ライダース似合ってるね!」

「そう?実はセーターの下にはカットソー着てるの。向こうついたら脱ぐつもり」

「なるほどね。どうりでクラブ行くには地味だと思ったんだ」

「ははは、やっばり?セーターはまさに防寒着だね」

そんな会話が続く中、彼が変なことを言い出した。人との付き合い方として、出されたものはすべて口にするものだとか、それが仲間として当然だとか・・・。何事も経験が大切で、何事にも自分はチャレンジしているとか。とにかく何やらイロイロと力説し始めた。よくよく聞いてみると、それは「ドラッグ」のことらしい。つまり、私に付き合いとして、ドラッグを薦めているらしいのだ。

「はぁ・・・・。」

私は、『バカじゃんコイツ』と思いながらも、みんなもドラッグをやっているらしいことを知る。彼は、ドラッグを飲むことよりも、仲間の誘いとして、ドラッグをやらないことのほうが罪悪感を感じているようだ。しかし、外国で生活をしていて、そんなことしている日本人がいるのかと思うと、本当に情けない。溜息混じりに私は彼に答えた。

「言っとくけど、あたしはやんないよ!そんなもんなくても充分元気だからさ」

はっきりと物を言った私に、彼は少したじろいだのか「う・・・うん、でも」と言ったまま黙ってしまった。

ヒロシとユウコさんとの待ち合わせ場所は、バス停。バスをいくつか乗り継いで行くとそのクラブはあるらしい。さっきは『ドラッグなんて』と強気で言った私も、いざどこに連れてかれるか分からないのには多少不安を感じていた。『どうする、日本に帰るころにはシャブ付けになってたりしたら』なんて思いながらも、観光客の行かないというクラブへの興味はつのっていった。

 30分くらいはバスに乗っただろうか、途中2本くらい路線を変えて乗り継いで、ようやくそのクラブに辿り着いた。そこは倉庫街で、つまり使わなくなった倉庫を改造してクラブにしたという代物。一時期日本でも流行ったような再利用の方法だ。

 バスに揺られている間中。ドラッグのことを考えていた。ケンジといえば、最近ロンドンに来て、ヒロシたちと知り合ったわけで、言ってみれば私と大して変わらない観光客のような存在。しかし、ヒロシとユウコさんは3年はこっちで暮らしていて、それなりのヤバイことにも遭遇しているはず。見た目は普通の兄ちゃん姉ちゃんだけど、結構悪い人だったりして!ケンジは付き合いとしてドラッグを私に薦めているのではなく『覚悟しといたほうがいいよ』と言う意味でその話題を出したのかもしれない。そんな風に考えたりもした。もしそうなら、今の状況すごくヤバイ?かもしれない。

 クラブの入り口には、オープンを待つ若者でごった返し。もちろんその中に私達もいる。本当に観光客なんて一人もいない。日本人すら私達だけかもしれない。どんな怖い系の人たちが来ているかと思えば、ごく普通のティーンエイジャーがほとんど。ちょっと安堵感。といってもまだ分からない。

 クラブのオープンは9:00頃。並んでいる列の横には、屋台がひとつ出ていた。しかも飴屋さん。ペロペロキャンディやら、大玉キャンディなんかが綺麗な瓶詰めで並んでいる。何だかそこだけ遊園地にでも来ているような変な空間。私が、物欲しそうに眺めていると、ケンジがキャンディを買ってくれるという。『これはキャンディと見せかけたドラッグの販売だったりして!なめていると、中からジュワーッとドラッグが・・・』なんてくだらない事を考えながらも、ラムネ味のキャンディをねだる。

「4candies!」とケンジが言うが、お店のおやじは

「?????」と言った顔。

もう一度、「ラムネ味のキャンディーを4つだよ!」と叫んでも

「キャンディ????」と言うだけ。しかも少し小ばかにした感じ。

そして、「キャンディじゃないよこれは、スウィート」だよ。と教えてくれた。

そうそう、そうなのだ。キャンディはアメリカ英語で、イギリス英語はスウィートなのだ。そんなこといいじゃないか、通じるのだから。と思いつつも、屋台のおやじにブリティシュ魂を見た出来事だった。
そして、ラムネ味のキャンディ・・・いや、スウィートを食べ終わる頃、クラブの扉がオープンした。

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 16.ドラッグの薦め・その2 

 

 開かれたクラブの扉は、思いのほか小さい気がした。大きな倉庫のわりには、ドア一枚の入り口。その入り口を入ると、4畳半くらいの・・・と日本的言い方をするのもなんなのだが・・・チケットを買うスペースがある。チケットを買うと、もぎりのお兄ちゃんがすぐ側でチケットをちぎっていた。混雑していればきっと、チケットなど買わずに入ってしまう人もいるだろうというくらい結構適当な感じだった。それでも私達は、ちゃんとチケットを買って、中へ入って行った。

 フロアーは2つあった。だだっ広い、150人ぐらいは踊っていられるだろういかにも倉庫後という感じのスペースと、20人入ればいっぱいいっぱいというくらいのフロアー。そして、テーブルなどが置かれているスペースが、2階に広がっている。その2階からは、広いほうのフロアーを見渡せるようになっていた。フロアーの奥には、一応貴重品預かり所みたいなところがあって、私達はジャケットをそこに預けた。私はそこで、防寒のためだけに着ていたセーターを脱いだ。身体の線がくっきりと出るカットソーを私は着ていた。胸元は結構開いていて、鎖骨のラインが綺麗に見えるデザインだ。そして、黒い地に5cm位の大きさの真っ赤な薔薇の絵が服全体に散りばめられている。この服があらわになり、口紅の色がやっと引き立つように感じた。

「へぇーかっこいいじゃん!」

ケンジが一応誉める。

「普段からそうゆう格好すればいいのに。似合うから羨ましいなぁ」

ユウコさんにまで誉めていただいて、まんざらでもない私。普段はこんな柄着ない。というより今まで着たことがない。先日行ったカムデンタウンで、何を血迷ったか買ってしまった代物。日本に帰ってからなんて、もっと着る機会がないと思って、今日こうして思い切って着て来てしまった。後にも先にも、その服を着たのはこの時だけとなった。今でもタンスの奥の奥にしまわれたままだ。

 フロアーには、音楽がガンガンと鳴り響いている。いわゆるロック系の音楽。どちらかと言うとパンクロック系。実は、私はパンクロックが好きだ。聴いていると何故か落ち着く。あの、メロディーになっていないようで一応メロディーになっているリズムと、世の中のすべてを否定したように見えて、実は心がちゃんとある歌が妙に私の耳には心地好い。特にうるさい系の音楽が好きと言うわけでない。一番好きなのは、やはりジャズだし、ヘビーメタル系は特別好きというわけでもないし・・・。音楽のことにはそれほど詳しくない私には、音楽のカテゴリー分けの定義など分かるはずもないから、ただ、心と身体に響く音楽を私は好きな音楽としている。ただ、ディスコ御用達のハウス系だけは、いまいち苦手だと言っておこう。

 パンクロックが・・・そしてビートルズも、デビット・ボウイまでも流れる趣味多様のフロアーで私は、結構踊りまくった。休むまもなく。ケンジはそんな私に付き合って、一緒に踊っている。しばらく一緒に踊っていたが、さすがにくたびれたのかいつの間にかテーブルに座って、ビールか何かを飲んでいる。多分あれはコロナビール。私も少し喉が渇いたのでカウンターでオレンジジュースを頼んだ。なかなか美味しいジュースだった。果汁100%なのだろう、絞りたてのつぶつぶ感がたまらない。そんなことを思いながら、ごくごくと、まさにごくごくと飲んでいると、ケンジがあきれたように話しかけてきた。

「亜紀ちゃん、アルコールは飲まないの?」

こんな雰囲気の中で、アルコールを口にしないことを相当不思議に思っていたようだ。もちろんアルコールが苦手というわけではない。どちらかというとイケル口だ。

「だって、喉渇いちゃったから。別に水でも良かったくらいだったし」

私の答えに納得したようなしないような顔をしながらも、ケンジは、ふーんとうなずいていた。

 そういえば、ヒロシとユウコさんが見当たらない。ホールにはいなかったし、どこへ行ったのだろうとケンジに聞いてみると、ドラックを調達しに行ったという。そうそう、すっかり忘れていた。ドラックのこと。はっと我に返り、周りの雰囲気を観察してみるが、それを連想させるような小物や人は見当たらない。別の場所で行われているのだろうか?確か、もうひとつ小さめのホールがあったのを思い出した。そのホールは、扉で仕切られている。中で行われていることなどまったく分からない。いったいあの空間で何が行われているのだろう。

「あっち行ってみようよ?」

ケンジがいきなり私の腕をつかんで、グイっと引っ張っていく。少しビビる私。細身の身体とはいえ、やはり男性の力は強い。彼が本気を出せば、私なんてすぐに押さえ込まれてしまうだろう。さすがの私も、ちょっと不安になる。

 もうひとつの部屋の扉が開く。中に充満していたタバコの煙が覆い被さってくる。多分タバコだったと思う。もくもくと煙ったホールの中で目を凝らしてみると、そこでは、ドラックの売買が行われていた。しかし、ドラッグといっても、覚せい剤やマリファナとかではないらしい。いわゆる錠剤上の興奮剤のようなもの。これを飲むと、体力モリモリで、一晩中遊べるというのだ。

何だか気が抜けてしまった。こんな言い方はどうかと思うが、正直言って期待はずれだった。私はてっきり覚せい剤やマリファナのような、ドラックがやり取りさているものだと思ったから、こんな子供だましのドラックにみんな寄ってたかってお金を出している。

 私の見る限りではそのドラック、国の医療規制によっては普通に手に入るような代物に見えた。実際そのドラックを販売している人たちの人種はほとんど同じで、祖国から定期的に送られてきても、持ち込んでも税関でつかまったりしないほどの薬なのだろう。

実際私もイギリスにくるとき、風邪薬や胃腸の薬などを大量に、本当に大量に持ち込んだが、何一つ不信をいだかれることなくフリーパスで通った。どう考えてもこの薬の量は異常だろうというくらいに大量の薬だったにもかかわらずである。

 彼らの言うドラックとは、そんな程度のものだったのである。だから、私のような、留学というよりも観光で来ているような人間にまでも、簡単にドラックを薦めたわけだ。

「亜紀ちゃんもやれば!疲れ知らずだよ」

ヒロシが私にドラックを薦める。

「結構気持ちいいよ」

ユウコさんまでも、ビールでドラックを流し込む。

「亜紀ちゃんの分も買ったって!」

ケンジが嬉しそうに、ヒロシからドラックを受け取る。

そして私はといえば、呆れ果ててしまった。

「私はいらないから。必要ないし、身体大切だし。」

3人は、ドラックをやろうとしない私を不思議そうな顔で見る。付き合い方として、というよりも、興味すら示さない私に対して、相当不思議な気持ちがあるようだ。日本にいたら、こんな経験簡単に出来ないのに、なぜチャンスと思ってトライしてみないのだろう。と言いだけ。

「じゃあ、私また踊ってくるから!」

 一目散にそのタバコで煙たい部屋を私は後にした。ヒロシ達も私の後について来て、ホールで踊り始めた。ドラックも飲んだし、夜はこれからという感じなのだろう。しばらく4人で踊りつづけていたが、まずユウコさんが抜け、次にヒロシが抜け、私とケンジだけになった。彼は相当疲れているようだ。しかし、ドラックを飲んだ面目を保つためか、女の私よりも体力がないことを悟られるのを嫌ってか、なかなか休もうとしない。

「あ・・・亜紀ちゃん、元気だね」

息切れを隠し切れずにケンジがとうとう私に話しかけてきた。彼の踊りはもう止まっている。クタクタらしい・・・。

「俺、ちょっと休憩」

「あっそう、私まだ大丈夫だけど」

実際私は、またまだ疲れていなかった。というより、興奮状態だったのか、まったく疲れを感じていなかった。そしてもしかすると、ドラックを飲まなくてもいくらでも踊れるよ、というのを見せつけたかったせいもあるかもしれない。

 その日は結局、午前2時ごろまでは踊っていたかもしれない。家に帰り着いたのは午前3時を回っていた。もちろんケンジの送り付で。『じゃぁお疲れ様・・・お休み』といったケンジの目の下のクマが、今でも思い出される。いやはや、本当にご苦労様でした。

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 17.私の道を教えてくれた舞台 

 

 私、小泉亜紀がロンドンに来た目的のひとつに、ミュージカルを見る!というものがある。ミュージカルを本格的に見るようになったのは、高校を卒業した頃。友達に誘われて「レ・ミゼラブル」という舞台を見てから。もともとお芝居というものにはとても興味があった私にとって、その舞台は人生の転機ともいうべき感動を与えてくれたものだった。

 私は高校生の頃、ほんの少しだけお芝居に没頭したことがある。つまり役者を目指していたということ。いわゆるアンダーグランド系のお芝居を私はしていた。ミュージカルとは違う種類のお芝居である。どちらかというと少し暗めというか、舞台そのものにも華やかさはあまり感じられない部類の、そんな劇団に所属していた。それはそれでとても楽しかった。稽古場はいつも、きな臭い、カビ臭い感じで、更衣室なんてもちろんないから、男性の役者さんの前で、稽古着に着替えるワザも身に付けなければならなかった。稽古着といってもただのTシャツにタンパンなのだが、着替え終わると、柔軟体操から練習は始まる。まさに地道な練習。そんな雰囲気を知っているからこそ、ミュージカルの舞台の華やかさに、人一倍の感動を覚える。あんな華々しい舞台の裏では、いくつもの苦労と努力と涙と、そして幸せが渦巻いているのだろうと考えるだけでゾクゾクしてしまう。そんな思いをしながら見た、日本での「レ・ミゼラブル」。ある女優さんが私に衝撃を与えた。その方の名前は、島田歌穂さん。初代ロボコンのロビンちゃんをしていた人といえば、知らない人はいないのではないだろうか。彼女のお芝居の仕方一つ一つが、私の目と心に響いた。歌の上手さはもちろんのことだが、それよりもなによりも、彼女こそ私の目指している役者だったのだ。

 様々なシーンが繰り広げられる舞台で、彼女の表現するその表情やセリフ、行動は、まさに私そのものだった。といっても、私がそのくらい芝居ができるというわけではない。あくまでも、私だったらこうするだろうという頭の中だけでの芝居を、彼女は美しくやりこなしていたのだ。嫉妬心はまったくなかった。むしろ、尊敬とその表現力の素晴らしさに惚れ込んでしまった。そして思った。「この世界に同じ芝居をする人間は二人もいらない」と。決して、ひねくれた気持は生まれなかったし、負け惜しみの気持もまったくなかった。役者の道をあきらめたというより、違う道、違う私の居場所があることを気づかせてくれた。そんな感覚だった。それからの私は、ミュージカルはもちろんのこと、イロイロなお芝居の舞台を、心の底から、ただのひとりの観客として楽しむことができるようになった。

 そして、今日もミュージカルを見に行く。タイトルは「ロッキーホラーショウ」。この舞台はロンドンに来て3度目になる。「同じ舞台を3度も!」と人は言うかもしれない。しかし、ミュージカルは、キャストが少し変わるだけでもまったく別の舞台になる。舞台自体、一度だって同じ内容のものはないのだから、歌・踊り・芝居、そして舞台演出すべてが組み合わされば、本当に毎回が初めて観る舞台となるのだ。しかも、あの「ロッキーホラーショウ」である。これは、語らないわけにはいかないのである。

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 18.観客席が舞台 

 

 ピカデリーサーカスのオブジェのある広場から少し道を入ったところに、その劇場はある。通いなれた劇場だ。リピータがとても多い劇場でもある。毎日のように通っているファンもいるらしい。そんなミュージカルのタイトルは「ロッキーホラーショウ」。ミュージカルの高級なというか、知的なイメージを覆るような、いたってフレンドリーな、そしてハチャメチャな舞台。映画、舞台ともにイギリスではもちろんのこと、日本でもカルト的人気のあるロックミュージカルとして有名だ。

 ブラッドとジャネットという平凡なカップルが迷い込んだ古城でストーリーは展開される。城の主あり異性人でもある科学者、フランク・N・フルター博士は、人造人間の研究をしていた。デートの最中に雨が降り始め、雨を避けようと二人がたどり着いたところが、その古城というわけだ。

 ドライブデートをしていいる二人、雨がぽつりぽつりと降り始める。オープンカーに乗っていた彼らにとって、雨は最悪の状況。雨足は次第に強くなる。ブラッドは、後部座席に置いてあったニューズペーパーを取り出して、傘代わりにしようとしている。しかし、ニューズペーパーを取り出したのは、彼らだけではなかった。

 ガサゴソ、ガサコソ。客席でも何人か、いや何十人もの観客が、待ってましたとばかりにバックやポケットに差し込んであった新聞紙を取り出したのだ。そしてもちろん舞台の上の役者同様、頭の上にかざして雨をしのいでいる。舞台音響が地面を打つ雨音から、新聞紙を打つ雨音に変わる。ザーッという雨音の大きさと共に、みんなで新聞紙を振るわせる。

「今日の雨は、昨日よりも強いぞ」

なんて言いながら。つまり、観客席も舞台のひとつになっているのだ。客は見ているだけでなく、参加することで更に楽しんでいるのだ。時には、舞台の役者と観客が会話する事すらある。

 ボーリングという名のナレーターもいい。場面換えやストーリーのナビゲーション役として、時たま舞台の右端に登場する。Boring=退屈な、という意味。観客は、彼が出でくると、彼の名前を叫ぶ。おそらくニュアンスとしては

「つまんねーよー」
「退屈だぁー」
「やめちまえー」
「ひっこめー」
「早く続きを見せろー」

のようなヤジを飛ばすように、彼の名前を叫ぶのだ。それがお決まりになっている。また、彼もそうヤジられる事に快感を覚えているらしい。いつまでもその日その日のくだらない話をしている。そして、舞台の準備が整ったのを見計らって、

「わかったわよ!消えりゃーイインデショ!消えりゃ」

と言いながら、舞台の袖に消えていくのだ。

 その日見た舞台では、相当通の観客がいたようで、舞台の役者よりも早くその場面のセリフを言ってしまう観客がいた。役者さんもちょっと困っていたし、その他の観客も、ちょっとやりすぎでは??と思う場面も合ったが、さすがは舞台役者、その場面をこう切り抜けた。その観客に向かって

「悪かったわね今日のお話はちょっと違うのよ」

と言ったのだ。そして、チームプレイのなせる技、その役者のセリフに合わせて、他の役者達もアドリブで芝居の台本を創り上げていったのだ。コレには私も感服した。そのシーンが終わる頃には、会場からの盛大な拍手が待っていた。

 舞台も終わりに近づいた頃、いきなり会場のほとんどの観客が立ち上がった。私は、何が何だか分からずに、つられて立ち上がってしまった。というより、そうしないと舞台が見えなかったのだ。軽快に流れるロックンロール。役者達が次々に舞台に登場する。そして、踊り始めた。もちろんミュージカルだからダンスがあるのは当たり前なのだが。役者のひとりが観客席に向かって一言叫んだ。

「Let's dance!!」

そうなのだ、今度は皆で踊るというわけだ。まさに、コンサートさながらに、全員が同じ踊りを踊る。お尻を振って、腕を上げたり下げたり、右に左にステップを踏んだり・・・・・・。いつの間にか私も、隣にたまたま座っていた男の子と手を繋いで、踊ってしまっていたことは言うまでもないだろう。

 はじめのうちはさすがの私も恥ずかしさをこらえながら踊っていたが、次第に音楽に合わせておしりをフリフリ踊っている自分がいるのに気が付く。まさに、自分自身がミュージカルスターにでもなったような、そんな錯覚すら覚える。一種のドラック中毒のようなものと言ってもいいかもしれない。

そういえば、私にドラックを一生懸命薦めていた彼らは、今どうしているだろう。あの一件以来まったく私から連絡はとっていない。彼らのほうも、私が自分たちと、ツルムタイプの人種ではないことを悟ったのか、連絡もほとんどなく逢ってはいない。私自身も、あの仲間になって、何の目的もなくただ外国で暮らすことだけに憧れのようなものを持って、いつの間にかそんな日本人ばかりの集まりで淋しさのキズを舐めあうような、そんな人間にはなりたくなかったし・・・・・・。

そんなことを考えながら、マッド・サイエンスと不気味な城の執事・使用人たちが繰り広げる狂乱に満ちた愛の世界の舞台にのめり込んでゆくのだった。

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 19.紳士の国 

 

 さて、今日はmarquee(マーキー)というライブハウスがフリーの日。つまりタダということ。タダより高いものは・・・・・・。とよく言うが、やはりフリーの文字には弱いものだ。私は、ブラックジーンズに白いタートルネックのセーター、そしてお決まりのライダースジャケットを着て、そのライブハウスへ向かった。イギリス出身のアーチストたちのほとんどが、このステージから巣立っていったという、有名な店だ。

 遠目で見た限りでは、入り口は意外と混雑していなく、逆に空いているといった印象を受けた。今日お休みってわけではないよな?と多少の不安が私の心をよぎる。しかし、近づいていくにつれ、ガラス張りの1階フロアーが見えた。自分と似たような格好をした人たちがうじゃうじゃいる。なんとなく嬉しくなってしまう瞬間。

 大学の頃の仲間が、ちょうど今日の彼らのような部類の集まりだった。人間を部類分けするのも変なものだが、「明日は特別の日だから正装して来いよ」と言われれば、みんなそれぞれ一番のスタイルをして次の日学校にやってくる。もちろん、正装はスーツやジャケットではない、ライダースジャケットは当然の事、もっとデザインの凝った年代ものの革ジャンだったり、オーダーメイドでつくった何万もするスカジャンだったり・・・・・・。革のパンツや、プレミアムもののジーンズを履き、真夏でも革のブーツ。そんなスタイルの彼らだが、何と言っても気は人一倍優しい。時には羽目をはずす事があるけれど、仲間を大切にするし、愛する人はとことん守るし。『彼らは今ごろそれぞれの道を進んで、頑張っているのだよな・・・・・・』そんな事を思いながら、私は入り口を入って行った。

 エントランスフロアを通り過ぎると、ライブスペースがある。想像していたよりもこじんまりとした場所だった。ステージもそれほど大きくなく、客席も立ち見のスペースが60人くらい入ればぎゅうぎゅう。2階席のようなところもあって、そこにはテーブルと椅子がなんセットか置かれていた。のんびりとチップス&ビアーを頂きながらライブを鑑賞できるようになっている。人気のバンドともなれば無理やりにでも入れるだけの人数を入れてしまうのだろうが、さすがに今日はフリーの日だけあって、いまいちのバンドが演奏をしていて人数もまばら。それでも前のほう何人かは多分友達か何かなのだろう。まさに内輪受けで盛り上がっていた。思ったよりも期待はずれだと思った私は、1分もそのステージを見ることなく、ライブスペースを後にした。今日はもうココを引き上げて、別のクラブにでも行こうかな?と思いエントランスフロアに取り付けてあるTVから流れる映像をボーっと眺めていると、誰かが私を呼んだような気がした。

「すみません」

その声はいたって丁重。無言のまま振り向くと、そこには多分私よりも2つは年下だろうと思われる青年が立っていた。もちろん身なりはライダースジャケットに革のパンツ、革のブーツ。決まりすぎているそのいでたちに多少可笑しさがこみ上げてはくるものの、『大学時代の友達、M.M君に似ているなぁ。しかも、えらくハンサム!!ちょっとルパン三世に似ているぞ』などと考えながら、

「なに?」

と気軽に答えた。すると彼は、

「恐れ入りますが、一緒にお酒を召し上がりませんか?」

という。一瞬何の事だ?と思ったが、それが所謂ナンパである事にすぐに気づいた。こんな可愛くてハンサムな青年にナンパなんかされて、ちょっと嬉しかった。しかしそれよりも何よりも、彼の私に対する言葉遣いが嬉しかった。

『Could you 〜』である。始めはあまりの馬鹿丁寧さに、からかわれているのかと思ったのだが、

「今日はもう帰ろうと思ってるの、ごめんね」

と私がいうと、

「そうおっしゃらずに10分でも良いです。バーの方へ行って、おしゃべりしませんか?」

という、そしてまた私が、

「私、そんなに喋れないんです。」

というと、彼はまた

「そんなこと構いません、ゆっくりお話しましょう」

という・・・。

そんなやり取りの中で、どうやら彼は、私に対してちゃんとした態度で接しようとしている事が解かった。イギリスは紳士の国とはよく言うが、『ナンパまで紳士だわ!!!』と思わざるを得なかった。以前にも他のクラブで声をかけられた事はあったが、確かに日本のそれに比べると、とっても丁寧だった気がする。私には、日本のナンパというと、スキがあって軽く見られて声をかけられるというイメージがある。だから(めったにされないが)声をかけられたときにはいつもムッとした態度をとっていた気がする。もちろん、声のかけ方も、非常に軽く馴れ馴れしいというせいもあった。それに比べて、イギリスの男の子達は、言葉遣いが丁寧だ。(もちろん、そうでない子達もいるけど)ナンパされる方も気持がいい。ある意味'手'なのかもしれないが、日本のナンパに慣れている日本の女の子達にとって、こんな特別扱いされたような口調で声をかれられたら、思わずついて行ってしまうのではないだろうか。『ん???そうか、もしかして本当に'手'なのかもしれない!』と思い始めてしまった心配性の私は、はっきり言って好みのタイプで、惜しいなぁと後ろ髪を惹かれる思いはあったものの、

「本当にごめんね、また今度逢えたらね」

という言葉を残してmarqueeを後にした。

 今考えれば、お酒の一杯くらい付き合って、友達になっておくんだったと後悔している。そうすれば、もっとたくさんロンドンのことを知ることが出来たのに・・・・・・。

こうして心配性かつ、慎重派の私は、またひとつ、石橋を叩きすぎて割ってしまった'のである。

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 20.ゴールデンデリシャス 

 

 とにかく食費に関しては、節約したいと思っていた。その節約した分で、ミュージカルを一本でも多く見たいと思っていたし、小旅行で、一箇所でも多くの町を回ってみたいと思っていた。あいにく、私がステイした寮には、キッチンが付いていなく、自炊というものが出来ない。外食をする事がほとんどだ。大抵夕食は、駅前のいつもの定食屋でことを済ませるが、その定食だって、特に安いと言うわけでもない。ドリンクも一緒にオーダーすれば、最低でも、日本円で600円に相当するくらいの値段なのだ。『600円くらいかけても』と思うときもあるが、ランチ代でもそのくらいは使ってしまうわけで、一日1200円から1500円は飲食代で確実に消えていく計算になる。一週間で8000円以上はさすがにきつい。まさにミュージカルを一本見ることが出来るのだ。

そんなわけで、今日の夕食のメニューは、紅茶3杯と、リンゴ5個。全部で合計250円くらい。紅茶はもちろん、100個パックくらいで大量に売っているものを寮で入れる。

リンゴ5個とは質素だが、それなりにこだわりがある。必ずリンゴはゴールデンデリシャスと決めている。この品種が一番好きだ。甘味と酸味が程よく調和していて、みずみずしさもある。大きさは、日本のように品種改良していないので、少し小ぶり。丁度片手にコロンとのるような大きさ。色は、グリーン。ツヤツヤしている。このツヤツヤは、ワックスだと分かっているし、食べる前には必ず洗うものの、その美しさにいつも見とれてしまう。そして、皮ごと丸かじり。『シャリ』っという音が、部屋に響く。

 「ああ、今日も一日お疲れ様でした」

なんて、独り言を言いながら、夕食を楽しんでいる。

 ココでは、他の物価はそれほど安くはないのに、フルーツだけは、妙に安い。ゴールデンデリシャスを、紙袋いっぱいに(量り売りなので正確な数は定かではないが、20個近く)買っても、1000円くらいなのである。メインディッシュにリンゴ以外のものを組み合わせれば、紙袋一袋で1週間以上は持つのだ。そんな食生活が、イギリスに来てから続いていた。

 そんなある日。おなかの調子が悪くなった。もともと腸のが強くない私にとっては、いつものことだった。『またか』と思いながら、日本から持ってきていた大量の胃腸薬の中から、その日の症状に合った薬をチョイスして、いつものように飲んだ。もちろん、無事におなかの痛みは治まってくれた。

 今日の授業は、主にスピーキング。隣の席の人とペアを組んで、イロイロなテーマについて話していく。私とペアを組んだのは、イランから来たおばちゃん。年齢は、多分45歳から50歳くらい。こんな年齢になるのに、わざわざイギリスまで来て、英語を習っているのだ。職業は看護婦さんと言っていた。仕事上、もっとちゃんと英語を話せるようになりたいという事らしい。『偉いなぁ』と感心しながらも私たちの話は弾んだ。

 授業が30分くらい過ぎた頃、急に頭がクラクラして、めまいがしてきた。吐き気も襲ってきた。でも、それほど強い症状ではなかったので、先生の話を半分聞きながら、何とか休憩の時間がくるのを待った。何分我慢しただろう。やっとの事で休憩時間を迎えた私は、気持を引き締めるために顔でも洗おうと洗面所に急いだ。しかし、顔など洗う余裕などなかった。個室に入るやいなや、私の吐き気はピークに達し、今朝飲んだ薬とともに胃の中のものすべてもどしてしまったのだ。

とにかくびっくりした。胃の中のものがすべてなくなってくれたおかげで、気分がすっきりしたのは良かったものの、子供の頃車に酔って・・・以来こんな経験は初めてだったので、一瞬パニックに陥った。『もしや何か重大な病気にでも・・・・・・。』と思ったものの、日頃の食生活を思い出して、『当たり前か』とも思った。相当胃がやられているのだろう。私は、自分の胃の状態を想像しながら、右手で胃のあたりをさすった。

看護婦のおばちゃんに、今さっきの出来事を話してみた。今までの食生活の事と、この後、胃薬か何かを改めて飲んだ方が良いかどうかを訪ねてみた。そして、怒られた・・・・・・。

「アキ!だめじゃぁないの!ちゃんとご飯を食べなきゃ。それに、また薬なんて飲まないで、今日は消化の良い物だけを食べて、早めに眠りなさい!」

巻き舌まじりの英語のため、何だかとても強く叱られたように感じながら、

「はい・・・・・・。そうします」

と私は答えた。

リンゴは万病に効くとか、リンゴを食べていれば医者は要らないとか、言葉の上ではいくらでもリンゴの良さをアピールするものはあっても、やはり現実問題、限度というものが大切なのだという事をしみじみと感じた出来事だった。

 つづく

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