21.ビートルズの故郷

 

 イギリスに来て大抵の週末はどこへ小旅行に出かけている。始めの1週間目くらいは、とにかくロンドン市内のいたるところを歩き回り、夜中に出歩いてはパブやクラブなどに入り浸っていたが、そろそろそんな不健康な?生活も飽きてきて、ロンドン以外の町も見てみたいという欲求が生まれてきた。そして、まずはちょっとミーハーだが、ビートルズの故郷でもあるリバプールへ行く事にした。特にビートルズファンというわけでもないのだが、やはり押さえておくべき場所だろう。

 ということで、今週はビートルズの故郷、リバプールへの日帰り旅行だ。私はお決まりのようにカメラとたくさんのフィルム、地図、そして少しのお金を持って寮の部屋を出た。まだ朝の6時だった。

 港町であるリバプールへは列車で約3時間。列車の中ではウトウトとしながらも窓越しにイギリスの風景を楽しみながら、そしてたまにシャッターを切りながらの楽しい時間だった。

駅を出ると、海というかまだマーシー川の河口なのだが、そこまでの道がほぼ真っ直ぐに伸びている。途中寄り道をしながらも、徐々に潮の香りが強くなってくるのを確認しながら歩いていく。30分は歩いただろうか、目の前に大きな河口が広がって見えた。河口と言ってもほとんどそれは海といってもいいほどの広さ。アメリカ大陸との貿易で繁栄したという過去を思わせる。大きく息を吸い込む私。ほんのりと潮の香りを舌に感じながら、イギリスでみる初めての海?をしばらく見つめていた。

海といってやはり河口なので、私たちは湾の堤防の上から海(川)を見下ろすだけの風景だったが、それでも私は夢中になってカメラのシャッターを切った。犬の散歩をしながらジョギングを楽しむ老紳士。子供を乳母車に乗せてのんびりと堤防沿いを散歩する若いカップル。そんな人たちのひとときを、私はカメラで切り取っていった。

そろそろ潮の香りを充満しきった私は、街中にも足を運んでみようともと来た道を少し戻る形でまた歩き出した。『どうせ来たんだから、ビートルズメンバーの育った家でも見に行ってこよう!!』そう思った私は、持ってきたガイドブックと地図を頼りに道の名前を確かめながら歩いた。

地図と睨めっこをしながら、結構歩いた。港町のわりには坂道も多くて、そろそろ疲れも出てきたが、とにかく方向音痴の私、一向に目的の道に辿り着けない。というか、この道でいいはずなのに、『ジョン・レノンの育った家!』とか、『ポールの生まれた家!』とか、そんな雰囲気を醸し出す家は見つからない。普通の民家が続く道並に、そろそろ私も飽きてきて、『別に観光地としてその家を管理しているわけでもないのだろうから、まあ、ここらあたりに彼らは住んでいたのねー』なんて、どうでもいい解釈をしながら、住宅地周辺から駅前の開けた繁華街へと戻っていった。

 それでもなんとなく、不完全燃焼な気持があって、ついついビートルズのオフィシャルショップなんかを覗いてしまった。ショップの中は、言うまでもなくビートルズ一色。ステッカーやポスターはもちろんのこと、メンバーの木彫りの人形まである。これがナカナカ可愛い。メンバーの特徴を漫画チックに表現してあって、ファンでなくても思わず買っていこうかな。なんて思わせる?といっても相当大きいもの(30cmくらい?)なので、さすがに私は遠慮したが・・・。

 他のお土産やさんもいくつか覗いてみたが、やはりどこもかしこもビートルズ一色。『熱狂的なファンにとってはきっと、ココはパラダイスなのだろうなぁー』なんて思いながら、そんな風景を写真におさめていた。

 そろそろ帰ろうと思って、駅近くをウロウロしていると、多分フランス人の青年が私に近づいてきた。おそらく彼も観光客なのだろうが、私に向かってフランス語で話し掛けてくる。もちろんフランス語なんてチンプンカンプン。

「Can you speak English?」と聞いてみたとてもちろん「Non」の答え。それでもまだフランス語で話し掛けてくる。今度はジェスチャー付だ。どうやら彼は、駅はどこかと聞いている。子供が良く遊びでやるように、『しゅつしゅっぽっぽ』のしぐさをしている。腰のあたりで曲げた腕を回転させるというアレだ。私はなんだか可笑しくなって、「ああ列車のこと、駅のことね」といいながら、「この道を真っ直ぐだよ。真っ直ぐ行って左に少し行けばすぐ駅だよ」とバリバリの日本語で、でもちゃんとジェスチャー付で答えた。どうやら理解したらしく、「サンキュー」といって、大きなリュックを重たそうに背負いながら、駅の方へと歩いていった。

 『ジェスチャーって、万国共通なのだなぁ』と思いながら、私もしばらくして駅へと向かった。さっきの彼が駅にいた。今度は、駅員さん相手に、ジェスチャーで何か言っている。駅員さんは困った顔をしながら、うんうんと頷いている。あまりにも面白い光景なので、写真を一枚パチリ。この写真がリパプールで撮った一番のお気に入りとなった。

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22.ミニ万里の長城?

 今日の予定は、英国で最も古い街のひとつである古都ヨークへの旅。ヨークへは列車で約2時間。ノースヨークシャーの州都であり、交通の便もとても良い。1ヶ月有効のブリティッシュ・レイル・パス
(フリーパスみたいなもの)を手にした私は、後半の1ヶ月で、行ける所は手当たり次第行っておこうと思っている。パスについていた地図の行く予定の街には、マジックで丸くチェックもしてある。今、列車に揺られて向かっているヨークも、そんな街のひとつだ。

 ヨークに着いたのはお昼頃。今日は天気もいい。風は多少冷たいが、一人で街並みを歩き回るにはちょうど良い気候。それほどお腹も空いていなかったので、さっそく観光を始めた。その前にまず観光案内所へ行き、ココの地図を手に入れる。観光案内所の人たちは大変気さくで親切。今日一日がとても楽しくなりそうな事を予感させてくる。

 観光案内所を出て、クイーンストリートを歩きながら出発点に決めているミッケルゲイトへ向かう。
ここから城壁に登ろうと思っている。城壁の上に出る入り口になっている門で、ちょうど道路と道路を挟んで建っている横断歩道のようなものだ。城壁とは、ローマ帝国の名残であるヨークを取り囲む壁(City Wall)のこと。街を囲むように建っている壁の高さは、約20~30m(多分そのくらい?)。今日はその城壁の上をくるりと一周回りながら、面白そうな所があったら城下?に降りてゆっくりと見てみようと思っている。さすがにもとは城があったという事だけあって、侵入者を拒むような重々しい感じがする。

 入り口へ向かい、狭い階段をジクザクに上がっていくと、目の前に街全体が広がった。城壁と美しい自然に囲まれたその雰囲気は、まるで万里の長城。まさにミニサイズの万里の長城だ。城壁の中、外に立ち並ぶ歴史的建造物もまた、私に感動を与えてくれる。まるでそこだけ時代か遡ったような、不思議な感覚が私を襲う。まずは、英国最大のゴシック建築物であるヨークミンスター寺院に向かい、城壁を左進む。

 たまにカメラのシャッターを切りながら、のんびりと30分ほど歩いただろうか、進む先に英国最大のゴシック建築物、ヨークミンスター寺院が見えてきた。1220年から250年もの年月をかけて建てられたというこの寺院、その荘厳さはやはりすごい。ロンドンのウエストミンスター寺院(ダイアナ妃の葬儀が行われた所)に並ぶ、英国の代表的な寺院だ。私は城壁から降り寺院へと足を速めた。さすがに観光名所、ヨークのシンボルだけあって観光客が多い。どうやら寺院は修復中だったらしく、中には入れない様子?しょうがないので私は、寺院の周りを一周し何枚かの写真を撮った。ゴシックの建物は、どんな角度から撮っても絵になる。ほんの一部をファンイダーで切り取っても、そのカタチ、ラインそのものが、芸術的なものとなって写真の中で表現される。そんな写真での表現を楽しみながら、私はまた城壁の上へと戻っていった。下からみるヨークミンスター寺院も良いが、城壁の上から少し対等な気持で見る寺院もなかなか好きだ。また写真を一枚。

 ヨークミンスター寺院の背中を見ながら城壁を歩く。駅の観光案内所でもらった地図を見てみると、城壁の内側、中央あたりにどうやらショッピングストリートがあるようだ。そこで何か可愛らしい小物を見つけることが出来るかもしれないと思い、もう一度城壁を降りて街の中心部へ向かった。中心部のわりには、やたらと狭い道が多い。路地がいくつもあって、その集合体が街の繁華街、ショッピングエリアとなっているようだ。小さな雑貨屋がいくつも並ぶ、何だかおとぎ話に出てくるような可愛らしい路地があったりして、ココなら素敵な小物見つかりそうだと心はウキウキしていた。しかし、街の中心に位置するショップエリアだけあって、どうしても観光客向きのグッズが多い。たとえば、ヨークの名前が入ったマグカップとか。いわゆるコテコテのお土産が多いのだ。街並みの雰囲気には十分満足をしたものの、いまいちそこで何かを買う気にはなれずに、写真ばかりを撮ってまた城壁へと戻って行った。

 街の中心部から東南の方向にむかって歩く城壁へ戻る道のりは、今まで通ってきた道と違ってとても静かで、観光客どころか、地元の人ともほとんどすれ違うことがないくらいに落ち着いた雰囲気だった。さっきまで居た騒がしい場所とほんの少ししか離れていないとは信じ難い。あるといえば小さな教会(墓地)が2軒くらい。それでも街の中心にいた時よりも、なんとなくヨークに来たというか、ロンドン以外の町にやってきたといった感じ。多分ここら辺は、観光というものとはかかわりのない普通の住宅街なのだと思いながらその雰囲気を楽しんでいると、なにやら興味深い一軒のショップが目に付いた。スタンプ屋さんだ。日本でもずいぶんポピュラーになって、どこにでも可愛らしいスタンプが売られるようなったが、今でも個性的なスタンプを見つけようとすると輸入雑貨屋や、それなりの場所に出向かなければ売っていない。だから、とにかく私の目はランランと輝いてしまった。その数の豊富な事と、デザインの斬新さには圧倒。ハート型ひとつとってみても、何種類ものハートがその棚に並んでいる。私は、タイプライターを形どったもの、蛇腹式の大型カメラを形どったもの、そして最後に実にリアルな猫のスタンプを選んだ。その3つすべてに言えるとこだが、とにかく雰囲気が良い。スタンプのインクをセピアカラーにしたらさぞかしその雰囲気を最大限に表現できるのではないかというくらい。しかも、最後に選んだ猫のスタンプは、日本で私の帰りを待っている、大切な友達にそっくりだった。スタンプを見ながら、早く日本に帰って彼女に会いたいと思いつつも、ずっとイギリスにいたいという気持がぶつかり合って、なにやら複雑な心境。

 素敵な買い物を済ませて、また城壁の上を歩いていたが、今度はすぐに降り口がきてしまった。城壁は、すべてが輪になって繋がっているわけではなく、その歴史の流れの中で風化してしまったり、取り壊されてしまったりした場所もあるのか、たまたまそこに川が流れていて、城壁を建てる必要がなかったからなのか、途切れ途切れになっている。その都度登ったり降りたりしながら進んでいたのだ。再び地上に降りた私は、今まで通っていなかった道を何本か歩き回り、スタート地点にまた戻ってきた。城壁を頼りにちょうどぐるりと街を一回りしたことになる。

 こうして、私のヨーク観光は無事終了。とにかく歩いて歩いて、歩きつづけたヨークの旅だった。すべては見切れなかったが、街の雰囲気は十分に味わい、満足をして、ロンドンの寮へ帰ったのでした。そしてその夜。私の大切な友達は元気かと、猫のスタンプを握りしめながら、日本の我が家に電話をしたのでした。

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23.感動の涙

 今日もまた、日帰り旅行の予定を立てている。ロンドンからほぼ垂直、南に約80Kばかり下ると、ブライトンという街に辿り着く。今日の目的地は、そのブライトンだ。

 ブライトンは、リゾート地として有名で、海岸沿いに様々な観光スポットがある場所らしい。私は、ガイドマップを読みながら、リバプールとは違う海の姿を見れることを期待していた。昨日の夜、いつものように日帰り用の荷造りを済ましていた私は、朝起きて紅茶を一杯と、フルーツ入りのシリアル(ミルクなし)をボリボリとほおばっただけで、颯爽と寮を出発した。

 ブライトンへはロンドンのキングスクロス駅から列車で約1時間という道のり。窓からの景色をぼーっと楽しんでいるうちに着いてしまった。ブライトンは、もともと漁や農業が中心のいわゆる小さな田舎町といった感じだったらしいが、次第に海水浴場といて観光客が集まるようになり、1787年にプリンス・オブ・ウエールズ(後のジョージ4世)が、離宮を建てて避暑地として住むようになった頃から別荘などが建つようになったらしい。で、今日はその離宮とやらに行ってみるつもりだ。それは、「ロイヤル・パビリオン」といって、観光スポットとして一般の人が入って当時の様子を垣間見ることが出来るのだ。

まず特徴的なのは、その建物の外観。英国風の建物ではなく、アラビア風といったら言いのだろうか、アラジンが魔法の絨毯に乗って飛んで来るのではないかと思うくらいのイメージに私は圧倒されてしまった。宮殿内に入ると、これまたビックリ。外観とは違う中国風のイメージが広がっている。当時はシノワズリー(中国風)のブームだったらしく、いたる所にそのデザインの傾向が伺える。一歩一歩宮殿の中を進んでいく。宴会場、大厨房、中央の広間、王の寝室・・・・・・。一つ一つの部屋を見るたび、その時代の華やかさを感じ取る事が出来る。

そして、私がもっとも心を奪われた部屋。とても不思議な体験をしたあの部屋に辿り着いた。それは、コンサートや舞踏会が行われたといわれている『音楽の間』。その部屋へ一歩踏み入れた時、なんとなく不思議な感覚が襲ってきた。

「ジョージ4世は、ここで開かれた様々な催し物に、感動のあまり涙を流したといわれています」

宮殿内を案内してくれている人の説明を聞いた瞬間だ。私は、気がついたら涙を流していた。涙が止まらなかった。まるで今ここでコンサートでも行われているかのように、ひどく何かに感動してしまったのだ。私はただ広い部屋の中央に立ち尽くし、頭の上に輝いているシャンデリアを見つづけるしかなかった。

その部屋を後に、ふっと我に返った。そして気づいた。その不思議な感覚の原因に。その部屋から離れるにつれ、次第にはっきりとした現実のものとなって確実に私の耳に響いていたことを気づかせた。それは、そこにあるはずもなかったオーケストラの音。弦楽器が奏でるシャープな音色。しなやかに鍵盤の上で指を動かしメロディーを生み出すピアノの音。そして、体に響く音を刻む打楽器のリズム。もちろん、BGMなんかではない。周りの人を見渡しても、そんな素振りを見せている人は誰一人としていなかったし、みんな部屋にある調度品などを眺めていただけなのだ。

聴こえるはずのない幻の音色を私は聴いてしまった。そして、かつてのプリンスが心奪われ涙したように、現代に生きる私にもその感動を知る事ができた。理由などわからない。ただ分かったことといえば、『どの時代に生きる人間でも、どんな身分の人間でも、感動の涙は同じものである』ということだ。

あまりにも不思議な経験をした私は、その後ブライトンのどこを観光したのかさっぱり覚えていない。記憶がないのか、本当にどこも観光しないまま帰ったのか。とにもかくにも一生忘れられない、そして誰もが経験できるわけではない不思議な体験をしたのだった。

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24.温泉大好き

 今日は温泉へ行く日。といっても、温泉に浸かるというわけではないのが残念な所。今日の旅行先はバースだ。UNESCO世界文化遺産都市にも登録されている。

 バースは、ロンドンの西約170Kmにあるまちで、古代ローマ人が温泉を発見し、貴族の保養地として栄えた。文字通り、英語のお風呂(Bath)の語源となった所だ。街並みは、石造りの建物がとっても美しい。石畳の上を踏みしめながら私は、微かに街中に漂う温泉の香りを楽しんでいた。

 やはり一番初めは、「ローマン・バース博物館」へ足を運ぶ。ココは、ローマ時代の浴場を復元した博物館。今でも博物館内には温泉が湧き出ているという。(残念な事に入浴は出来ないが・・・・・・)

 そのほとんどが石造りで出来ている博物館の館内を見学しながら、日本の温泉とはまた違った温泉の姿が浮き彫りにされる。日本の温泉(お風呂)といったらまず、狭くて浴槽の中で動き回るような事は想像しにくいが、ここはまさにプール状態。今ではそんな感じの温泉も日本のリゾート地にはいくつかあるが、どうも日本ではしっくりしないような感じがするのだ。しかし、この石造りの建物の中央にデン!と位置する大きなプール、いやいや温泉浴場「グランド・バス」は、思わず泳ぎたくなってしまう広さ。建物の内部には蒸し風呂やトルコ風呂などの紹介もあったが、やはりまるで中庭のように構えるこのプールタイプの温泉にはさすがの私も圧倒された。とは言うものの、現在そこに入れるというわけではなく、ただ湧き出る温泉を張ってあると言った感じでお湯が緑っぽい?・・・・・・透き通っていないお湯を見てしまった私としては、すぐ側で温泉水が飲めます!という呼びかけに遠慮してしまったのは言うまでもない。

 次に足を運んだのは「バース寺院」。博物館のすぐ隣と言ってよい場所にある。ゴシック様式の寺院で、採光窓が多いことから「西の燈明」とも呼ばれているとガイドブックには書かれていた。ファン・グォルティングという扇形の天井が見どころらしい。そして、教会内へ足を踏み入れた私は、ガイドブック通りの素晴らしい天井に感動した。体に心に覆い被さるような、そして優しく包み込むようなそんな雰囲気がする。ステンドグラスもとても美しく、「いやぁーすごいなぁー」と思わず独り言。まさに見事なのである。ドキドキしながら協会ないを見学していると、お祈りを捧げる何人かの人たちが目に映った。「そうだ、ココは神聖なる場所なのよね。観光客であるだけの私が、ズカズカと歩き回るのはちょっとね」と思い、早々と協会を後にした。とりあえず、図々しくはあるが、「後残り少ないイギリスの旅が楽しいものになりますように」と言うお願いをして。

 そして最後に、イギリスの様々な町へ行ったら必ず買っている、その土地土地の絵葉書を手に入れようと、お土産屋さんへ。実は、博物館や美術館、歴史的建物を見て観光するのも好きだが、イロイロなものが雑多に置いてあるお土産屋さんを見てまわるのが私は大好きだ。それはなるべく雑多なお土産屋さんだ。キレイに陳列されすぎていると、一目瞭然でつまらないというのが本音。何だココに隠れているのは?というような、普通の人ならまず目に入らないようなものをゴソゴソとあさって、面白いものや格安のものを手に入れるのが楽しい。残念な事に、バースではそんなお店を探すほど時間がなかった。珍しく今回は、通っている語学学校が紹介しているバスツアーに参加しているのだ。何人かの語学学校の学生がバスに相乗りして観光をする。つまり集合時間とか、決められた観光スポットなどがあったわけだ。乗り過ごしたり、迷子になったりという心配がない変わりに、自由にフラフラできないという点が残念だが、たまには大勢で観光するのもいいかなと思ってツアーに参加をしたのだが、結局個人行動ばかりだった。つくづく自分の性格を思い知らされた。

 そしてこの後、またこの観光バスで、トーンヘンジ」へと向かう。イギリスでもっとも行きたいと思っていた神秘的なあの場所だ。私は、バースでの買い物を絵葉書一枚だけにとどめ、早々とバスにもどって行った。しかし・・・・・・。こんな所でも日本のおばちゃんパワーは炸裂。バスを20分も待たせて、お土産屋の袋を両手に抱えて、「ソーリー、ソーリー」と言いながらバスに乗り込んできた。さすがである。

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25.歴史的時間を彷徨いたい。

 イギリスに来て、私が一番訪れたいと思っていた古代遺跡のある場所、それが、ウィルトシャー州のソールズベリー平原にある「ストーンヘンジ」。円形状にいくつもの大きな石が、無造作に、いや規則的に?並んでいる。その周りには何もない。多少起伏のある広い平原に、石が積み重なっている。日本でストーンヘンジの存在を知りとても興味をもった私は、テレビなどでストーンヘンジの特集や、古代遺跡全般のテーマで構成している番組などは必ず見ていた。イギリスが好きだということと、古代文明に興味があったことが重なり、「ストーンヘンジ」への期待感はとにかく大きかった。

 「ストーンヘンジ」は、世界遺産にも指定されている古代遺跡。紀元前3000年頃から建設されたと信じられているらしい。その後、放置されたままになっていたが紀元前2100年から紀元前1800年頃までの間に再建が始まったという歴史を持っている。

 ストーンヘンジを実際に見る前に、電話機のように備え付けられている日本語のガイドテープがあったので聞いてみたが、特に新しい情報は得られず、自分自身がなかなか「ストーンヘンジ」に詳しいらしい事が分かったというのが実際の所だった。

 「ストーンへンジ」はかつて天文時計として利用されていたという説と、宗教的な儀式の中心的な場所だったという説、そしてもっとも夢があって面白いと思う、UFOが着陸するための目印だったという説などがあって、本当の所どれが正しい答えなのか、または他に正解があるのかも分かっていない。今のところ、一番目の天文時計というのが有力らしいが、たかが天文時計を3つの時代をまたがるほどの年月をかけて、作るという意味はどこにあるのだろうと私は考えてしまった。『やっぱり宇宙人が絡んでるのかな?』などと思い、ワクワクしながら待ちに待ったストーンヘンジとの対面をした。

 しかし。それは私の期待や想像を見事に裏切ってくれた。ストーンヘンジの周りには、(それもずいぶんと距離をもたせた場所に)ロープが張り巡らされていて、観光客はただ遠くから眺めているだけしか出来ないのだ。遠くから眺めるストーンヘンジは、古代遺跡というよりはただの大きな石がゴロゴロしているようにしか見えなかった。日本でみたイロイロな番組のように私は、ストーンヘンジのど真ん中に立って大きく深呼吸をして大空を仰ぎながら歴史的時間を彷徨ってみたかったのだ。もしかすると、ロイヤルパビリオンで経験した不思議な体験がまた味わえるような気もしてたのに。非常にショックだった。今になって落ち着いて考えてみれば、世界遺産にも指定されている古代遺跡に、そう簡単に触れることはもちろん、近づく事さえままならないというのは当たり前と言えば当たり前なのだが。 そして、その景観にもショックを受けた。想像では、平原にぽつんと佇む石達といった具合だったのに、その後ろには国道も通っていて、ストーンヘンジを訪れる観光客のバスでごった返している。まさに、ただの観光地と化しているのだ。

 ロープづたいにストーンヘンジのわりをただボーっとしながら回り終えた私は、早々とそこを発ち去りたかった。あまりのショックで写真を一枚も撮っていなかったことをかろうじて思い出し、側にいた観光客の人にカメラを渡し、記念写真を一枚だけ撮ってもらった。それ以外の写真は撮る事もなく、私はカメラレンズにキャップをした。

 そしてついこの間、この文章を書くために再びストーンヘンジについておさらいしていたら、嬉しいニュースを知った。イングリッシュ・ヘリテージとナショナル・トラストによって進められている、21世紀にに向けたストーンヘンジの大改革である。まずは、その景観を損なっている国道をなくしてしまおう!という事らしい。もちろん、本当になくしてしまうのでしなく、国道をトンネルにし、地面に道路を隠してしまうことで、再び遺跡が、草原のなかに建立するように進められているというのだ。またそれだけではない。観光客のためにヴィジター・センターを別の場所へ移し、より充実した歴史資料館およびサーヴィスセンターとして改装するということも決まっている。つまり、美しい自然環境のなかで、古代に見たストーンヘンジの姿が見られるようになるのだ。ショックだった思い出が何年もの年月をかけて、今また、もう一度行きたい場所として私の心に蘇っている。

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26.ウィンザー城の人形館。

 800年以上もの間、その威厳を保ち、現在もまだその佇まいのままの立派な城がある。それがウィンザー城だ。

 ロンドンから西へ列車で1時間ほどにあるウィンザーにその城はある。エリザベス女王もお気に入りで、週末をこの城で過ごすことが多いらしい。テムズ川の上流にそびえ立つこのウィンザー城の城内は、女王不在の時に限り一般見学できて、現在も公式の行事で使われているという「ステート・アパートメント」や、「アルバート記念礼拝堂」「セント・ジョージ礼拝堂」などがあり、王室の生活が覗けるという感じだ。覗くという表現もどうかとは思うが、外国にせよ日本にせよ、今まで見学したことのある城は、そのほとんどが過去のもので、実際に今も使われていることのない、いわゆる文化財的な建造物といったものだ。ここは人が行き来しているという「気」のようなものが感じられる。それを感じられるだけでも楽しみなのだが、私が是非ここを訪れたかった理由は別にある。それは、「クイーン・メアリー人形館」の存在だ。

 1924年に英国のメアリー王妃のために造られたドールハウスが展示されている「クイーン・メアリー人形館」が、今回の一番の目的だ。そのドールハウスは、聞くところによると、当時ニューデリーの都市建設を担当していたラトィエンズ卿が中心となり、一流の画家や職人を集め、一寸の狂いもない正確な縮尺でとても精密に造ったものらしい。私はワクワクしながらお目当ての人形館へ入っていった。石の廊下を進んでいくと、館内は薄暗く、思ったよりも狭い趣だ。そこにいくつもの大きなショーケースが並べられている。入り口近くのショーケースには、おそらくメアリー王妃が大切にしていたと思われる人形が何体も飾られていた。なんとなく不思議な光景だ。不気味さすら感じられる。棒のようなものに支えられて直立している人形、座っている人形。その人形は、髪の色も目の色も様々ではあるが、大抵は質の良いおそらくシルクでつくられた立派なドレスを着ている。ガラスか、クリスタルかは不明だが、とにかく暗い部屋の中でも輝きのあるその人形達の瞳に見つめられて、私はおもわず身震いをしてしまった。

 部屋の中を順路どおりにまわって行くと、丁度中央近くに置かれたショーケースに人が群がっていた。そのショーケースの周りを、右回り左回りと何度もクルクルと人が歩いている。目はショーケースに釘付けだ。ケースの中には、一軒の家(城)が建っていた。そう、まさに建設されていたという趣だった。私はこれがずっと見たいと思っていたのだ。

 このドールハウスは実物の12分の1の縮尺に基づいて造られている。当時の英国王室の暮らしや文化などをそのままに、まさに実物を魔法か何かでミニュチャアにしたような、見事な出来栄えのドールハウスだ。広々とした玄関ホールを入り、大広間、ダイニングルームへと続く。幾つものベッドルームには、美しい布で造られたベッドカバーが雰囲気を漂わせている。ベッド周りのものには、刺繍も施されているという懲りようには、私も感動した。そしてキッチンには、精密な調度品が並べられ、本当にそこでイングリッシュブレックファーストを作る事が出来そうな勢いだ。ワインセラーなんかもあり、もちろんミニチュアではあるが、本物の年代物のワインが眠っている。食堂に並べられている皿は、これまた本物の金を使って造られていて、それだけで値打ち物といった感じである。バスルームの雰囲気もなんとも言えず素晴らしい。優雅さの漂ってくる内装に思わずため息がこぼれた。その床は、大理石が使われているらしい。手で触れることが出来たならば、さぞかしヒンヤリとした感覚が楽しめるに違いない。そして、後から知ったのだが、バスルームの蛇口はからは本当に水がでる仕組みになっていたというから驚きだ。ボイラーや様々な機械関係のほとんどのものは、実際に動くものが設置されていたというのだ。

 そして、さらに驚きと興奮をもたらしたのは、図書室の書籍たちだ。本棚に並ぶいくつもの本は、その一冊一冊が革表紙で製本されていて、ちゃんと中を開くこともできる。本を読むことが好きな私にとっては、何ともいえない感動だ。『小さくて可愛い』なんて簡単な言葉では表しきれない感情に襲われてしまう。この手にとって見ることができればという思いが湧きあがり、私は今まで以上にショーケースのガラスへ顔を近づけ、その本たちの質感を楽しんでいた。古い本独特の匂いすら、私の鼻で感じ取っていた。

 おかしな話、今自分が魔法か何かにかかって12分の1の大きさにされてしまっても、きっとここなら後悔はしないだろうという気持が湧き上がってくる。昔そんな漫画やアニメ、童話などがイロイロとあったが、ぜひとも奇跡でも起きてほしいという気持だ。それこそ、永遠の夢『ドラえもん』でもいてくれたらなぁと、まじめに考えてしまった。想像は私の中でひたすら膨らむ。キッチンで美味しいアール・グレイを入れて、スコーンを焼いて、例の図書室から持ってきた本を片手に、リビングでのんびりと午後の紅茶を楽しむ。なんてステキなのだろう。小さな建築物が私に語りかけてくる。私はすっかりそのミニチュアの世界にのめり込んでしまった。時間がたつのもすっかり忘れ、私は一日の過程をその小さな家の中で思い描いていた。

 何十年という歴史を超えて感じ取れる、その当時の生活風景や文化。そんなものたちと出逢うことを許してくれたドールハウス。それは、おもちゃとしての存在価値もさることながら、歴史的な文化遺産として認めたいと私は思った。そしてそれは、こんなにも素晴らしい宝を造る事のできる、技術者・芸術家達が存在したという証でもあるのだ。きっと、これからまた何十年、何百年と月日は流れていくだろう。その中で彼ら創作者達は、自分の生きてきた存在を永遠に賛美されるのだ。そう思った私は、私も何かを残したい。今こうしてここに生きているという証を、次の時代にも残したい。そんな思いが湧きあがっていた。私には何ができるだろう。何を残せるだろう・・・・・・。

 何時間、人形館で時を過ごしたのだろうか。表へ出た私は、館内の暗い雰囲気とは一転した明るい日の陽射しで、しばらく目を開く事が出来なかった。次第に陽射しの強さに慣れてくると、私を囲むようにそびえる、城の壁がズンと目の前に現れた。ついさっきまでミニチュアの世界に没頭していたものだから、通常、原寸とされている大きさのものが、特大に感じられ、まさに魔法で自分が小さくなってしまったような感覚に陥ってしまった。これもまた楽しい経験だった。

 何かを残したいという気持を私に抱かせた、偉大なドールハウスを後にして、次の目的地へ私は向かっていた。イギリスで2番目に古い学校といわれる「イートン校」だ。いわゆるお坊ちゃま学校といわれる学校で、英国の王子たちも通ったという。私がそこへ行く目的はといえば何の事はない、ただ単にミーハーな気持だけだ。若くてかわいい男の子達を一目見ようというだけのことであった。制服がまた可愛らしいのだ。燕尾服を着た可愛い男の子たちが、本などを片手に街を歩いている姿は、まさに英国貴族といった面持ちで、見ているだけですがすがしい気持になってくる。とはいえ、私自身もつい何年か前までは高校生だったことを思い出しつつ、なんだかずいぶんオバチャンくさいことを考えている自分に気がつき、思わず一人で苦笑いした。というものの、やはり大人と子供との境にいる彼らの姿に、思いもよらずドキドキしてしまっていた。私は、風景を撮るような振りをしながら、『ああ、ジャニーズ系がいっぱい』と思いつつカメラのシャッターを切っていた。ミーハーな気持を抱きつつも、英国の風景にまた似合いすぎる彼らの姿に芸術性すら感じてしまっていた。

 ドールハウスの中で感じた『私も何かを残したい。今こうしてここに生きているという証を、次の時代にも残したい。私には何ができるだろう。何を残せるだろう・・・・・・。』という思いの初めの一歩が、まさか可愛い男の子の写真になろうとは・・・・・・。

 

ロンドンから帰国して何年か後のことである。こんなニュースが飛び込んできた。
ココに新聞の記事を抜粋しておこう。

 

92/11/21 東京朝刊 社会面 02段 英女王の別邸ウィンザー城 白昼炎上

 【ロンドン20日=西田令一】ロンドン近郊のバークシャー州にある、エリザベス女王所有の別邸、ウィンザー城で二十日、火災が発生、同城は発生から五時間たった同日午後四時(日本時間二十一日午前一時)現在も燃え続けている。
火災発生と同時に、職員や観光客は避難誘導され、負傷者は一人にとどまった。出火当時、女王の二男アンドルー王子が同城付近にいたが、無事だった。出火場所は、女王の家族専用の礼拝堂。同城は改築工事中で、電気配線関係による失火との見方もある。
 ウィンザー城は八百五十年の歴史を持ち、居城としては現在、欧州最大で、英国名所の一つ。女王は、ほとんどの週末を同城で過ごし、二十日夜は、女王の結婚四十五周年パーティーが催される予定だった。
 アンドルー王子は記者団に対し、城内に収蔵されている絵画など美術品には大きな被害はなかったとしつつも、「城がこんなありさまになって、悲しみに堪えない。女王も衝撃を受けている」と語った。

以上東京新聞より

なんと大変な事が起こったものだ。と思いつつも、一番心に案じたのは、ドールハウスは無事だっただろうか?ということなのは言うまでもないだろう。

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27.スコットランド・エジンバラ城

 これから3泊4日でスコットランド・エジンバラへ旅行だ。今までは日帰りがほとんどだったので旅行と言うよりも観光といった趣だったけど、今回は違う。しかも旅行先で訪れるつもりの場所はほとんど決めていないので、行き当たりばったりの旅行になるはずだ。私は、エジンバラのB&B(ベッド&ブレックファーストといって、その名の通り寝る所と朝食だけで格安で泊まれる宿泊施設。(日本でいう民宿みたいなもの。バストイレは大抵共同)がたくさん載っている専門誌を買い込み、片っ端から電話をした。ラッキーなことに3軒目で一人用の部屋が空いているB&Bを見つけた。急に思い立ってスコットランドへ旅行に行こうと思ったから、予約の電話を入れたのは出発の3日位前。宿泊先が決まればこっちのものと、出発の日までワクワクしながらその日が来るのを待っていた。

 観光する場所を(ある一つの場所を除いては)ほとんど決めないで行くといっても、その土地のことについて少しは分かっていないと!と思い、日本から持ってきたガイドブックのスコットランドのページにサッと目を通した。とりあえず、どうやっていけばよいのかだけを頭に入れ、前もって駅で貰っておいた時刻表を見ながら、出発は朝の6時に決定した。エジンバラ行きの始発だ。これに乗って約5時間の列車の旅を楽しめば、11時過ぎにはスコットランド・エジンバラのウェイバリー駅に到着する。

 そして、今私は5時間の長旅を終え、ウェイバリー駅のホームで大きく伸びをしている。荷物はほとんどない。ブルージーンズは4日間くらい洗わなくてもOKだし、(というか洗濯は2週間に1度まとめて、寮からバスで2停留所行ったコインランドリーでしている)下着として着ているTシャツだって、替えを一枚持ってきただけ。セーターなんかは4日間同じでもOK!という非常に着るものに無頓着な荷物だ。でも一応、女なのでショーツだけは2枚。というわけだが、着るものを減らしているには理由がある。ほとんど無い荷物のはずだが非常に重いのだ。なぜなら私には欠かせない一眼レフカメラが・・・・・・。しかも今回はカメラ用の三脚もある。そして数を数えるのも嫌になるくらいのフィルムの数・・・・・・。重いしかさばる。

 重たい荷物を背負いながら駅を出ると、左手遠くにそびえ建つ古城が目に飛び込んできた。あれがエジンバラ城だ。反り立つ岩山にその古城は建っている。周りは石の城壁で取り囲まれ、その昔イングランドとスコットランドとの間にあった激しい戦いを想像させる。エリザベス女王と王位を争って首切りの刑にあった、スコットランド女王、メアリー・スチュアートの悲劇をしのばせるその趣に、思わず圧倒されてしまった。そして、この古城の下に広がる古い町並みが、中世エジンバラの町並みを残した「オールドタウン」といわれている町だ。オールドがあれば、ニューもあるわけで、エジンバラのほぼ真中に位置する「プリンシーズ・ストリート・ガーデン」を挟んで広がるのが18世紀初めに新しい都市計画のもとに築かれたという「ニュータウン」だ。

 私はまず「オールドタウン」エジンバラ城へと足を進めた。反り立った岩山に顕在するその城への道のりとしては、きつい坂道からあるわけでも無く、すんなりとお城前の広場である「エスプラネード」という場所に到着した。すんなりとは言うもののそれば現在の観光地化されたものであって、実際はこの道のりも堅牢な門の手前が深い堀になっていて、頼りなさそうな細い橋を渡らねば入れない。そして「エスプラネード」への道だけが緩やかな斜面であり、他の周りは断固として人を寄せ着けないと言っているような断崖絶壁なのだ。それでもどうやら城内に入ってから坂道があるようだ。その広場で入場チケットを購入して、古城の中へと入っていった。

 やはり、坂はここから始まっている。城門をくぐると、急というほどの坂ではないが着実に岩山へと伸びるその坂道を、一歩一歩上っていく。左右には高くそびえる城壁が、私を見下ろしている。道幅が3メートルほどしかない事もあって、その圧迫感はものすごい。石を積み重ねて建設されたその城壁物から歴史的な重みが伝わるのを私は感じていた。カメラを構えながら、その重みに抵抗するように私は空に向かってシャッターを押す。『バシャ』という大きなシャッター音が城壁にこだまして、さらに大きく反響している。

 坂道を登りきると、砲台へと向かう階段が折り返しにある。さっきファインダーで切り取っていった空が次第に大きく広がっていく。城の北側から「ニュータウン」の方向に向けられた『アーガイル砲台』が何台も並べられているその広場の下は崖になっていて、まさに戦いのために立てられた城という趣が伝わってくる。それでも、その崖下を覗けは、「オールドタウン」と「ニュータウン」を二分する「プリンシーズ・ストリート・ガーデン」の緑が美しく見え、時は流れてゆくものだという思いは否めない。

 私はここからの風景とともに自分自身の姿もカメラに収めようと、シャッターを押してくれそうな人を捜す。私の一眼レフカメラには、オートフォーカスなんていうものはついていないから、つまりそのような昔ながらのカメラを使えそうな人を捜さなければならない。これはどこに観光に行ったときにもぶち当たる問題だった。やはり、コンパクトカメラも持ってくるんだったと後悔しながらも、首から大きな一眼レフをぶら下げているおじさんが目に入った。これ幸いと、私はそのおじさんに歩みより、シャッターを切ってもらえないかと丁寧に(もちろん英語で)頼んでみる。以前、ロンドンのクラブで私をナンパしたあの、スキンヘッドの英国紳士のように。

 おじさんは、「もちろん!」と笑顔で答えながらも私の一眼レフを手にすると、まじまじと見つめながら、「Nikon!」と叫び「いいカメラ持っているねー」を連発した。自分のカメラを誉められた私は、機嫌を良くしながら満面の笑みでそのおじさんの響かすシャッター音に酔いしれていた。

 記念撮影も無事終わり、エジンバラ城内の見学は続く。この城で一番古い建物があるという。マーガレット王妃をまつる礼拝堂だ。11世紀に建てられたその建物は、外からは石の倉のような、贔屓目に見ても美しいとはいえない代物。マーガレット王妃は本当にこんな所にまつられているのだろうかと思ったが、中の壁は白一色で美しく塗られていて、きちんと補修もされている清楚で落ち着きのあるチャペルになっていた。こじんまりとした祭壇に備えられたテーブルの上の十字架のテーブルクロス?のようなものを見ながら、外見に惑わされ『あまりキレイじゃない建物だなぁ』などと考えてしまった事を恥ずかしく思いつつ『人も建物も外見で判断してはいけないのね』とひとりつぶやきながら、エジンバラ城を後にしたのだった。

 今日は5時間もの列車の旅に多少の疲れが出ているのと、そういえばまだ朝食も昼食も食べていなかった事を思い出した私は、ロンドンで予約をしたB&Bへと歩いて向かった。B&Bはオールドタウンを奥へ奥へといった所にある。地図と睨めっこをしながら、途中のファーストフードのような店でフィッシュ&チップス、そしてキドニーパイを買って、近くのベンチで空を見上げながら今日の遅いブランチを楽しんだ。

 B&Bへの道すがら、被写体になりそうな小道を見つけてはそこに入り込み、シャッターを押しながらの移動だったので、B&Bへ辿り着いたのは夕方の5時を過ぎていた。無事チェックインした私は、夕食をブランチの残りのチップスで済ませ、明日に備えて今日はもう部屋でのんびりしようとシャワーを浴びる事にした。カバンの中から明日身に付けるつもりのTシャツとショーツを取り出す。パジャマ代わりにこれを着て眠るつもりだ。部屋の中も温かいので汚れ気味のジーンズは掃かなくてもさそうだ。しかし、ここで問題発生。入れてきたはずのショーツが見あたらない。何てことだ。荷造りの時にカメラに気を取られ過ぎてどうやら入れるのを忘れてしまったらしい。ということは、今はいているこのショーツだけが唯一の……。

 シャワーの後、自分の部屋にある洗面所で、空しくも今日はいていたショーツを洗顔石鹸でゴシゴシ洗い、部屋に備え付けられているストーブに引っ掛けて乾かしたのだった。その夜、いやスコットランドでの夜は毎日Tシャツだけといういでたちで眠りについたのは言うまでもない。妙に変な気分の夜であった。

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28.カメラの原理

 無事に乾いた、たった一枚のショーツをはいて、私は洗面所で顔を洗った。今日の予定は、オールドタウンとニュータウンを行く当てもなく、とにかくブラブラすること。そして、唯一ココだけは行きたい、スコットランド・エジンバラで必ず立ち寄りたいと思っていた『カメラ・オブスキュラ』へ行く。

 『カメラ・オブスキュラ』とは、まさにカメラの原型となるもの。カメラの語源は、ラテン語の、まさにこの『カメラ・オブスキュラ』だ。そしてその意味は『中が暗い箱型の部屋』というもので、これは画家が風景を描き写す時に使った大型の部屋の事を指すという。言葉だけで説明するのはとても難しいが、人が入れるほどのでかいカメラを想像してもらえれば良いかもしれない。カメラは現代でこそ、高度で高性能な電子機器となっているが、ちょっと前まではいたって純粋な道具だったのだ。レンズにシャッター付き箱にフィルムが揃えば写真が撮れてしまう。大型の暗い箱を想像し、レンズの変わりに壁に穴をあけ、フィルムの代わりに中壁に例えばキャンバスを貼っておく。小さな穴を通して、光と共に外から入ってきた映像は、坂さまではあるが正確に映し出されるという原理だ。昔は、その映し出された映像をなぞって、絵を描いていくという方法もあったという。(説明だけでは分かりづらいと思うのでコチラをどうぞ)
そんな原始的な原理のカメラが1940年ぐらいまで使われていたというから驚きだ。それから何十年も経たないうちに、高性能な一眼レフはもちろんのこと、まさにその単純な原理を応用した使い捨てカメラなるものまで次々と誕生しているのだ。(そして21世紀となったまさに現在ではデジカメまで!)

 時代の流れの速さに驚きつつも、私は愛用のニコンFE2を肩に背負い、フィルムを何本かウエストポーチに入れて、B&Bを出発した。昨日来た道をたっぷりと時間をかけながら歩き、私は目的の場所へ辿り着く頃になると、今まで晴れていた空が、急に曇りだしてきた。ひと雨くるのだろうか?という心配をしつつ、曇った空にそびえるエジンバラ城は歴史的趣が増してますます荘厳な雰囲気に映り、私はシャッターを押した。ガシャっという重く大きな音が、曇り空に鳴り響く。

 エジンバラ城下にとても古風な塔が建っている。アウトルック・タワーだ。この塔の最上階にある部屋こそが、カメラ・オブスキュラと呼ばれる潜望鏡なのである。ここが今日の目的の場所。カメラの原理を利用したアトラクションのようなものだ。一階のお土産売り場のレジ横に今日の日程が記載されている。今からだとすると、次の回は11時からのものが丁度良い。私は、ワクワクしながらチケットを購入しようとカウンターへ進んだが、そこには何やらプレートが……。『只今、カメラ・オブスキュラは営業しておりません』と書いてある。ショックだ。すかさず係りの人に聞いてみると、天気が良くないので今の時間はオープンできないというのだ。私は、一瞬、『何だって???天気が悪けりゃ仕事ができん、とでも言うのかい??オイオイ』と思ったものの、すぐにその理由を思い出した。太陽の光がなければ、画像は映らないのだ。そうゆうことなのである。つまり、晴れるまでクローズというわけだ。係りの人は、「今日一日中こんな曇りって訳じゃなさそうだから、また午後にでも来てくれたら見られるかもしれないわ」といい、済まなそうに私の顔を見た。

 ある意味時間を潰さなければいけなくなった私は、午後に予定していた、オールドタウン、ニュータウン巡りを先にしてしまうことにした。まずは、ニュータウンの写真を撮って回ろうと、二つの街を二分している『プリンシーズ・ストリート』を渡った。

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29.ニュータウン&オールドタウン

 ここ、ニュータウンは、都市計画に基づいて建設された現代的な街だ。区画整理が非常にしっかりとしていて、シンメトリック的に道路が造られている。日本でいえばちょうど京都の町並みと言えば分かりやすいかもしれない。方向音痴の私としては、分かりやすいようで、実は一番迷子になり易い町並みなのである。しかし都市計画とは言うものの、それは18世紀の始めに築かれたもので、ジョージ王朝風の建築物が並ぶ優雅な街並みが広がっているのだ。私はいたるところにあるそのような建物を最大の目印として、地図を片手にニュータウンの中を散策することにした。

 一番賑やかなのは、先ほど渡って来た『プリンシーズ・ストリート』だ。ニュータウンに面した通りの片側には、デパートやブティック、ホテル、レストランなどが立ち並び、なんとなく東京の銀座を思わせるような雰囲気がある。とは言うものの、今日はあいにくの日曜日。デパートやブティックのほとんどは閉まっているのだ。日本では考えられない光景だ。日曜日の、人が一番来るような稼ぎ時にお店をオープンしないなんて……。日本人は働きすぎだよく言われているが、実際のところ本当にそうなのだろうか?だって、せっかくの日曜日なのにのんびりとショッピングを楽しめないわけなのだから……。ヨーロッパの人たちはいつ買い物をしているのだろう???平日にそんな余裕があるのだろうか?ランチタイムが長いと言っても限度があるし。そんな疑問を抱えながら、私は街の奥へと足を進めていった。

 通りの名前は『ローズ・ストリート』。このストリートは、通称パブ通りとも呼ばれていて、ビクトリア王朝風のパブが軒を連ねている。ロンドン市内では、一人でパブにも入る事もあったが、カメラをぶら下げていかにも観光客風のいでたちをしている私は、なんとなく店内に足を運ぶのを遠慮してしまった。英語圏とはいえ、スコティシュ訛りをあまり良く理解できていない私としては、少々不安な事があったのも事実だ。『ローズ・ストリート』は渋谷の町を思わせるような若者の店も多く、中でも目を引いたのが、ジーンズショップだ。リーバイスとエドウィン店が並んでいる一角で、大きな看板が掛かっている。王朝時代の造りが色濃く残っている建物に、まさにアメリカを思わせる二つの看板のミスマッチが、なんとも言えず印象的だった。

 『ローズ・ストリート』を超えると、『ジョージ・ストリート』に辿り着く。このストリートに、ジョージ王朝様式の美しい建物が並んでいた。ニュータウンと言えど、やはり歴史ある街である。古き良き建造物を見上げながら、私は西へ西へと足を進めた。

 ディーン・ビレッヂは、中心街から1キロも離れていない所にある。ディーン・ビレッヂは、地方の工場労働者のための住宅地として建設された村だそうだ。細い道と、坂道が多く建物もこじんまりとしたまさに住宅地らしい。ニュータウンの街中とは違う、落ち着いた風情が感じられて、私はまたシャッターを押しつづけた。この村はカラーよりも、モノクロよりも、セピア色が良く似合う。そんな感じだ。モノクロにプリントアウトした写真をセピア色に化学変化させる行程を思い浮かべながら、私はシャッターを切るのを楽しんでいた。

 ニュータウン、そしてディーン・ビレッヂを午前中すべてを使いゆっくりと写真を撮って歩いた。そろそろ撮るような風景もなくなってきたところで、次はオールドタウンへと舞い戻っていく。再び『プリンシーズ・ストリート』を横断し、さらに歴史的風情漂う町へと入っていった。まるでストリートを隔ててタイムトラベルをしているような感覚に襲われる。

 オールドタウンのメインストリートは、一本の道がその場所ごとに名前を変えて存在する『キャノン・ゲート』『ハイ・ストリート』そして、昨日訪れたエジンバラ城へ続く『ロイヤルマイル』だ。昔こそこの『ロイヤルマイル』がエジンバラでもっても華やかな大通りであったが、現在では『プリンシーズストリート』に取って代わられてしまったらしい。現在の『ロイヤルマイル』はみやげ物や伝統工芸品のお店が建ち並ぶ、観光客相手のストリートになっているようだ。とは言うものの、その所々に<クロース>と呼ばれる小道が網目のごとく広がっていて、住居や共同階段などに通じている。なんとなく秘密めいたそれぞれの小道は、私の創作意欲を十分に掻き立ててくれた。家と家との間のトンネルのようなクロースを抜けると、急に石畳の広場が目の前に広がる。おそらく共同の中庭のようなものなのであろう。その真中には、古ぼけてはいるがしっかりとその機能は果たしていると思われる電燈が一本、高々と立って私を見下ろしている。夕方に訪れたら、さぞかし雰囲気のあるスペースではないだろうか。

 私は、自分の気に入ったクロースに出逢うと、何度も何度もシャッターを押した。シャッター音は、クロースの壁に反響して響き渡る。もちろんカラーの世界を見ているのだが、ファインダーを覗くと、何故かモノクロームの世界へと引きずられてゆく。フィルムを現像し、印画紙に焼き付けた状態を想像しながらの作業だからかもしれない。その作業を、快感と言わずして何と表現したら良いのだろうか。そんな思いを頭に巡らせながら、また新たな快感を求めて、私は夢中になってオールドタウンのクロースを歩き回った。

 肩を寄せ合うようにして並ぶドールハウスの小さなショップと日常雑貨の店。観光客をあえて寄せ付けないその雰囲気に、私は逆に引き寄せられていく。ドールハウスのショップに並べられた商品からは、歴史を感じられる。骨董とまではいかないまで、なかなか古くて、それでいて質の良さそうなものが並んでいた。もちろん、私には目利きが出来るわけもないので、その可愛らしさと精密さに感動していただけだが、ウインザーで見たメアリー人形館の、あの素晴らしいドールハウスを思い出していた。

 ドールハウスショップを出る頃には、曇り空だった空が少しだが明るくなってきたような気がした。しかし、まだ太陽は出ていない。私はもう少しオールドタウンを散策してみる事にした。

 ここオールドタウンには、スコッチ・ウィスキーの歴史や製造方法などを紹介している「ザ・スコッチ・ウィスキー・ヘリテージ・センター」がある。いわゆるウィスキーの博物館だ。アルコールが好きな私としては願ってもいない博物館。試飲もできるというから嬉しい。と、いいたい所だが、実はウィスキーは苦手なのだ。というか、苦手になってしまったのだ。

 それは、二十歳になりたての頃。大学の研究室(写真技術の専門クラス)で行った研修旅行でのこと。昼間の課外授業を終えて、お楽しみの夜の宴会がやってきた。そこで私は、ウィスキー「角瓶」の3分の2を一人で飲んでしまった。昔からお酒が強かった私は、(二十歳前の昔からとは??……時効デス。許してください。笑)まだまだ平気みたい。うん、まだまだいけるね。とロックグラスに注がれるままにグイグイと飲んでいたのだ。しかし、それは突然やってきた。普段なら酔うと眠くなるだけというのが常だったのに、急に頭がクラクラ、目がクラクラ。やっやばい・・・。そう思いながら平常心を装ってトイレへ。そして………。という有様。それでもなかなかすっきりせず、1時間はトイレの中に閉じこもっていただろうか。友達はみんな心配して、宴会を途中で切り上げてトイレの前の廊下で私が出てくるまで待ってくれている。気分も落ち着いてきた私は、外に出ようとしたが、どうもバツが悪くて……。

 結局2時間くらいはトイレの中でその夜を過ごした。その後はみんなで一つの部屋に集まり、何事もなかったかのように過ごしたが、恥ずかしく懐かしい思い出だ。そして、その夜男女関係なく一つの部屋に雑魚寝して朝を迎えた。

 私は、ウィスキーの試飲をしながらその夜のことを思い出していた。その夜、私の隣には、とても大切な友達。そして、もっとも人間として愛していた人が眠っていたことも。まさかその彼が、それから何年後かにこの世からいなくなってしまう事など知らずに。その夜はもちろん、こうしてウィスキーを舐めながら少々気分が悪くなった時も。ウィスキーを見ると今でもその思い出が蘇ってくる。

 私は、少しセンチメンタルな気分になりながら、ウィスキー博物館を後にした。

 そして、とても切ない気持になりながら、私は今この章を書き終えていた。

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30.カメラ・オブスキュラ

  午後2時を回った頃、空に光が差してきた。これほど太陽が待ち遠しかった事はない。今のこの光を逃すものかと、私はアウトルック・タワーへと急いだ。カウンターには、午前中に会話を交わした係りの人が座っていた。私を見つけるなり笑顔になり「良かったわね!晴れて!」といいながら既に私に渡そうとチケットを手にしている。『この人は、午前中からずっと私のために天気を気にしていたのだろうか』と思うと、妙にくすぐったい気持ちになった。

 階段を上がっていくと最初のフロアにミュージアムがあった。私はチケットをちぎってもらい半券を受け取った。ミュージアムでは、スコットランドの歴史を映画で見せていたり、アウトルック・タワーの歴史・説明を始め、カメラについての説明なども見ることができる。とりあえず私は少しでも早くカメラ・オブ・スキュラの構造を実際に目にして見たいという思いで、それらの展示物などを後回しにして、一番上の展望台へと階段を駆け上っていった。

 そこは、何だか屋根裏部屋を思わせるようなこじんまりとしたスペースで、内装も特に凝ったものでもなく、白い壁そのままが剥き出しになっていた。部屋は丸い感じで、中央に直径1メートルくらいの大きな白いお皿のようなものが置いてあった。『カメラでお皿???』と首をかしげながら覗き込むと、それは陶器ではなく、紙かプラスチックか何かで出来ていることが解かった。どうやらこれがスクリーンの役割をするらしい。物欲しげに私がその皿?を覗いていると、係りの人がやってきて、「これから不思議な事が起こるわよ」といいながら、私を含め他の観光客の人たちの気を引き寄せた。

 部屋の明かりが消えた。一瞬「ohh!」という声が(私の場合は日本語の「おっ?」)上がる。しばらくすると天井に開けられた窓からの光が入っている。この光が、部屋の中央に置かれた皿のようなものにあたっている。始めはぼんやりと見えていたが、目が次第に慣れるにつれ、そこにエジンバラの街が映し出されているのが確認できた。あの天井の窓にレンズとなるような仕掛けが施されていて、こうして暗室と化したこの部屋に映像が映し出されているということなのだ。つまり、今私はカメラの中にいるということだ。いかにも日本人といった感じで首から掛けているカメラを手にしながら、『そうか、今この中にいるんだ』という不思議でそして、楽しい気持ちになっていた。

 係りの人は、一通りエジンバラの街の観光名所などを説明し終えると、一枚の白い厚紙を取り出した。一体何が起こるのだろうかと観光客は興味津々だ。他の人よりは写真の知識がある私としては、『実はあれは印画紙になっていて、超高速日光写真のように街の風景を焼き付けるのではないだろうか?』とか、『本当に印画紙だったら感光剤は何だ??特殊なものだろうか?』なんて考えながら首ををかしげていた。

 すると、係りの人は、その一枚の紙を皿の上に持っていき窓からの光(映像)をさえぎった。そして次にその紙を持ち上げる。紙によってさえぎられた光(映像)は、今度はその一枚の紙に映し出された。例えば、映画館で映写機から出る光の前に手や体を持っていくと、その手や体に映像が映し出される原理と同じだ。いたって単純でたわいもないことだが、それはなかなか興味深かった。係りの人は、その紙を自由自在に操って、街を歩く人たちを紙の上に乗せて運んでいるような演出をしたり、丸めたりそらしたりする紙の上で伸びたり縮んだりする街の映像を見せてくれた。

 他の観光客はとにかく可笑しそうに笑っていたが、私にとっては嬉しいような悔しいようなそんな気持ちになっていた。この紙(印画紙)を丸めたそらしたりしながら露光するアイディアが、以前写真専門の大学に通っていた時、作品制作の時に使用した表現方法とまったく同じだったからだ。私はなんとなく不思議な因縁のようなものを感ていた。この作品作りがきっかけで私は商業としての写真を捨て、アートとしての写真のみに没頭し始めたのだから。

 展望台でのアトラクションはあっという間に終わった。私は、観光客としての満足感と一人の写真家としての情熱、そしてライターとしての表現の難しさを抱えながら、アウトルック・タワーを後にした。明日はロンドンへ帰る日だ。そして、もう少しでイギリス自体ともお別れだ。日本に帰る日が近づいている。長いようであっという間の2ヶ月がもうすぐ終わろうとしている。この旅で私は、何かを得ることが出来たのだろうか?

 今、B&Bの部屋へ戻りカメラを磨いている。レンズを取り外し、ブロアーでホコリを取り除き『この中に私は今日いたのだ』と中を覗き込みながら。


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