続・ロンドン日記 2001

プロローグ

  「また帰っておいで」
という言葉を聞いてから、既に10年と言う月日が流れていた。

 私は、夏真っ盛りの今、ロンドンへ向かっている。日本時間、朝の7時45分に家を出た。日暮里からスカイライナーに乗るために。

 スカイライナーの中で私は考えている。以前ロンドンへ行った時との違いを。例えば10年前は、代理店まで行ってヴァージン・アトランティック航空のチケットを買ったのに対して、今回はインターネットで簡単にJALの格安チケットを手に入れたこと。到着する空港がガトヴィックではなくヒースローということ。そんな違いも不思議なほどに新鮮に思えてくる。

 しかし、何よりも違っていることといえば、今の私は「小泉亜紀」ではなく「佐々木亜紀」と苗字が変わっていることだろう。そう、私は結婚をしたのだ。現在丁度1年を過ぎた頃。新婚生活真っ只中だというにもかかわらず、私は一人ロンドンへ向かっている。一人旅は久しぶりだ。10年前と同じようにたくさんのフィルムと一眼レフカメラを持って……、そうそう忘れてはならない。10年前には無かったデジタルカメラもカバンには入っている。フイルムを何十本と持っていかなくてもいいというのがこのデジタルの良い所。撮り直しもできるというのも良い。心置きなく写真が撮れるというわけだ。私はこれから出逢う、そして再会する様々なロンドンに胸を膨らませていた。

 と、一人旅と言ってはみたものの、一人旅となるのはヒースロー空港につくまでの間なのだ。実は、妹の「麻耶(まや)」が今イギリスにいる。彼女はイラストレーターという職業につきながらも、もう一度絵の勉強をしたいと日本を飛び出した。絵の勉強なら日本でも出来るだろうにとも思うが、やはり親元を離れて自力で生活してゆくということにも意義があるらしい。日本にいたらどうしても頼ってしまうだろうし。

 そんなこともあって私は、結婚して彼の実家で親とも同居しているにもかかわらず、こうして「妹に会いに行く」と言う名目で日本を発つことが出来たのだ。そう、あくまでも名目である。ロンドンへ行くのには私なりに理由があった。

 

 結婚をする前、まだ主人と恋人同士だった頃、私はロンドンへ行ってしばらく生活をしようと考えていた。もちろん単身で。それによって二人が別れるという結果になってもそれはしょうがないとも思っていた。私にとってロンドンへ行くことは彼との別れを予感させる行為だったのは隠し切れない事実。それでも私は、またあのロンドンへ行きたくて行きたくてしょうがなかったのだ。密かにロンドン貯金もしていた。ビザは取れないだろうということを前提に、6ヶ月間働かないで生活していけるだけの貯金を。10年前の知識が役に立つかどうかは分からなかったが、贅沢をしなければどうにか生活していけるだろうというくらいの貯金は出来ていた。コピーライターという仕事を続けて、コツコツと貯めたお金だ。あと2ヶ月、30歳の誕生日が過ぎたら「さようなら、しばらくイギリスへ行ってきます」と言うつもりでした。

 やはり女にとって、20代から30代への変化は大きいものなのだ。それは決して『老ける』というようなマイナスの意味ではなく、仕事のできる自立した女性としてのスタートと言う気持ちが私の中にはあったのだ。27歳の時から付き合い始めて3年、結婚に憧れていたわけではないけれども、煮え切らない彼に対して、多少の憤りを感じていたのは事実だった。結婚はせずにこのまま恋人同士としてずっと付き合っていくのであれば、数ヶ月離れ離れになってもかまわないではないかという思いがムクムクと私の心に芽生えてきたのだ。結果別れることになっても、それだけの関係だったと思えばいいと。でも本当は、私自身にイラつきを感じていた。彼に縛られていたわけではないのに、やはり好きな人が側にいるだけで何事にも甘えが出てしまったこと自体に憤りを感じていたのだ。それが、ロンドンへ行きたいと思い始めた真の理由かもしれない。

 私にとってロンドンは、自分の中の矛盾や垢を削り落とす作業の出来る場所なのだ。それは10年経っても変わらない。まさにあの時の気持ちと同じだった。

 しかし、「ははは。」なんということだ。それを言い出せないうちにプロポーズされてしまったのだ。しかも、クリスマス・イブに。何というシチュエーションだろうというくらいに、ドラマのような出来事だったことを覚えている。一瞬断ることも考えたのは事実。結婚をしたら一人でロンドンへ行くなんてそう簡単には出来ないだろう。旅行ならまだしも、しばらく生活するだなんて到底無理だ。もしかすると旅行ですら行けないかもしれない。そんな思いが私の脳裏を過ぎった。でも、「NO」とは言えなかった。今落ち着いて考えてみれば、「ちょっと待ってて」と言えば良かったようにも思うが、やはりその時は舞い上がっていたのだろう。私の中の青写真がまったく別のベクトルで動き出したのだから。

 そして、ロンドン貯金はいつの間にか結婚資金へとその姿を変えていったのだった。

 

 結婚生活が1年目を過ぎた今年の夏。私はこのままロンドンへ行かなかったとしたら、絶対に後悔をする。結婚したことに対してもきっと後悔をしてしまうのではないか?という思いに突き動かされ、今こうしてスカイライナーに乗っているのだ。

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映画の中に見つけた今の私。

 

 私が今回乗ったのはJAL。エコノミーなのはもちろんだが、前の座席のシートにテレビ画面が付いているのだ。なんと素晴らしい!10年前に、中央席の前の壁に付いている大型画面を、人の頭と頭の間から覗き見るような感じで見ていたのを思い出す。

 あの時も、ビデオが出てからと思って観ていなかった映画をやっていて得をした気分になったものだ。いくつものチャンネルごとに絶えず同じ映画が放映されている。自分用のモニターで観たい映画のチャンネルを合わせれば、すべての映画が観られるというわけである。そして、10年たってもこの貧乏性はどうやら健在のようで、余す所なく映画を観てしまった。つまり、一睡も睡眠を取ることなく、約12時間あまりの間映画を観つづけたのだ。さすがに目がチカチカしている。面白い映画もあれば、まさにB級といった作品もある。その中で私が、思わずメモを取ってしまうほどに共感した映画があった。目の疲れも癒されるほどに、その映画は私にある一つの答えを教えてくれたのだ。それは、ション・コネリー主演の「小説家を見つけたら」。

 ストーリーは、いたって簡単。今は隠居生活を送っているかつての作家が、作家としての能力が見込まれる青年に対して様々なアドバイスをしていく。その中で友情のようなものが生まれたり……。
というような内容だ。そんなストーリの中で、私に思わずメモをとらせた言葉があった。

 若者に対して、彼はこう言う。「人のために書いた文章よりも、自分のために書いた文章の方が良いものが書けるのさ」と。思わず頷いてしまう私がそこにいた。そして、すかさずノートを取り出して、メモを取ったのは言うまでもない。結婚してもなお、相変わらずコピーライターという職業を続けている私にとって、文章を書くという行為は食べるためにすることというような商業的要素の強いものになっていたのだ。まるで心なんかこもっていない、表面だけの言葉を書くことが多くなっていた私は、この言葉をきっかけに10年前の気持ちと矛盾している自分に気が付いた。

 心のない写真を撮ることに疑問を感じ、コピーライターとしての道を選んだあの頃。それなのに、毎日の忙しい繰り返しの中で、私が今仕事で書いている文章には心がなくなっていたように思えてならない。心とは、私自身の心だ。クライアント好みの表現、消費者が驚きそうな、意外性だけ表に出した表現。そこには私の心なんて一つも入っていない。締め切りに終われ、ただ原稿用紙を文字で埋めるだけの作業を繰り返していたように感じてしまった。

 文章とは、まず自分のために書かなくてはいけないのだ。自分が100%納得した上で、クライアントや消費者の気持ちをプラスしていく。そうしなければ本当に心に響くコピーは書けないのだ。この言葉のお陰で、そう考えられるようになった。

 そして私はまた、この旅行の意味を悟った。私にとってイギリスという国は、自分自身を見直すための場所なんだと。それならば、良い意味で過去を振り返ってみようかと。10年前、私に夢と希望とそして居場所を教えてくれたイギリスで。

 ヒースロー空港まであと2時間。もう少しで私のもう一つのふるさとに到着する。

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10年前の軌跡-人の記憶

 ロンドンの朝を迎える。昨日は何だかとても暑くて寝苦しかった。YH(ユースホステル)の部屋にクーラーなどというものは付いていない。湿気がないので日本ほど蒸し暑さは感じないが、やはりどの国も暑いものだ。7:30に目覚ましをセットしていたが、ロンドンへ再び来られたという興奮と、暑さも手伝って7時には目が覚めてしまった。

 YHのこの部屋は二人部屋で、2段ベッドが置かれている。上に私。下には、昨日ヒースロウ空港で落ち合った妹の麻耶が寝ている。彼女はまだ起きてこない。私は、汗ばんだ身体をさっぱりさせようとシャワーを浴びに行くことにした。2段ベッドのハシゴ階段をミシミシ言わせながら降り、ふっと子供の頃のことを思い出した。『そういえば姉妹二人、子供の頃も2段ベッドに寝ていたっけ。その時も私が上で、妹が下だった。』話し合いをするというわけでもなく、今回私が上で妹が下に寝床を選んだことに、何十年も前の習慣が、今でも二人の中には残っているのだと、面白くもあり、懐かしくもあった。

 シャワーを浴び終わった私は、濡れた髪を拭きながら部屋のカーテンを引き、窓を開ける。ここが日本でないことを改めて知る。朝の陽射しは、私にとても心地好く降り注ぎ、今日一日が楽しいものになりそうな予感を与えてくれた。

 今日は、10年前の軌跡を辿ってみようと思っている。10年前、私がここで暮らして得た様々出来事や思いを、再び蘇らせるために。そして、昨日ロンドンへ到着した時からそれはすでに始まっていた。まず、空港からピカデリーサーカスへ向かった。そして、ラスタスクエア、コペントガーデンを私は歩いた。10年前の風景と、現在の風景がオーバーラップする。10年前にあったお店がいまもまだそこにあるのだ。私は、微かな感動を覚えた。10年もたてば、随分とロンドンの町も様変わりしているだろうと思っていたからだ。もちろん、昔はなかったスターバックスをはじめとしたカフェなども多く見られるが、全体的なイメージはほとんど変わっていない。すべてが完璧のままそこに残り、私が帰ってきたことを歓迎しているかのように思えた。一通りの場所をざっと確認して、滞在中に改めて訪れてみるつもりの場所をいくつかピックアップし、私はロンドンでの約1週間を過ごすYHへと向かった。

 そして、一夜明けた今日。私は、妹を引き連れて、まずは、「キルバーン駅」へ向かう。そうそこは、10年前に2ヶ月間という時間を過ごした寮があるところだ。そしていつも夕食を食べに行っていたあの食堂が。ココがもうひとつのふるさとであることを気づかせてくれたあのおじちゃんは、いまもまだ働いているのだろうか?私の顔を見ると「ブラックティ?」と聞いてくるあの人なつっこいおじちゃんは。

 ワクワクしながら地下鉄に乗り込む。YHのあるキングスクロス駅からメトロポリタンラインに乗ってベーカーストリートで乗り換え。ジュビリーラインで5ステップ乗ればキルバーン駅へ到着。キルバーン駅のプラットフォームに降りると私は懐かしい風を感じた。10年前とほとんど変わらないその風景は、私の胸を熱くする。変わっているところといえば駅張りの広告ぐらいのものだ。

 はやる気持ちを抑えて私は改札口へと急ぐ。妹も始めてくるこの駅に何故か懐かしさを感じているようだ。それもそのはず、この駅は日本の家の最寄駅に何となく雰囲気が似ているのだ。ずっと地下を走っていた地下鉄が、地上に出てくる駅がいくつかあるが、まさにこのキルバーン駅と日本の最寄駅がそれなのだ。10年前私がそう感じた時のように、初めてここに来る彼女もそう感じている様子だ。

改札を抜けると、目の前に日本でいうところの「キオスク」がある。ココでよく絵葉書を買って、実家や祖父母の家、友達などによく手紙を書いたっけ。小袋入りのキャンディーなんかもよく買った。そして、キオスク前の道路の向う側にはあのお店があるはずだ。私はカメラを握り締めながらゆっくりと目を向けてみる。

 おや?どうも様子がおかしい・・・・・・。ちょうどお昼時だというのにもかかわらず、電気が付いていない。というよりも、そのお店の隣にあったはずの八百屋さんも閉まっている。閉まっているというよりも、その辺り一体が金網がかかっていて、長い間営業していないような雰囲気なのだ。私の胸は締め付けられる。『つぶれてしまったのだろうか・・・・・・』そんな最悪の思いが頭を過ぎる。

 信号が変わり、私は足早に金網の前へと歩いていく。動揺しているのか、目線が一所に定まらない。張り紙も何も無いその金網を見ながら、私はしばらく呆然としていた。お店はなくなっていたわけではないようだった。長い間営業していないというような感じだけで、まだ店構えそのものが取り壊されているわけでもない。店内は、残念ながら見ることが出来なかった。ガラス保護のためか板が貼り付けてある。なんとなく、そのお店全体を保護しているようなそんな感じに思えてきた。どこかで見たことのある風景だ。どこだろう。私はショックを覚えつつも、記憶をたどった。そして、日本の最寄駅とイメージが重なる。

そうだ、そういえば日本でもこんな光景があった。地上へ出てきた地下鉄の線路の高架下にはいくつかのお店が並んでいる。キルバーンのこの店も高架下にあるのだが、高架の補強作業中お店は休業するということがたまにある。もしかして、ココも今まさにその作業中なのではないか?だから、お店がしまっているのではないか。そんな風に思えるようになってきた。

 とは言うものの、まったくの憶測でしかない。自分自身を慰める気休めでしかないことは充分に分かっていたが、確かめようという気持ちは不思議とおきなかった。いや、確かめることが実は怖かったのかもしれない。「ああ、あそこならつぶれたよ」という言葉を聞くのが・・・・・・。「ココに君のふるさとはもうないよ」と言われてしまうような気がしたから・・・・・・。

 後ろ髪を引かれる思いで私はその場を後にした。寂しさは残るものの、思い出の場所はそこだけではない。次は、寮へ向かって歩いていく。駅から5分も歩かない所に寮はあったはずだ。少し坂道になっている駅前の道を歩いてゆく。何本目の角を右に曲がれば良かったのだろうか、道の名前をすっかり忘れてしまっていた私は、うろ覚えの風景を頼りに、ここだと思われる道を右折した。寮は道の左側にあったはず。ズンズンと進んでゆく。しばらくすると見覚えのある陸橋に出た。下を列車が走っている。10年前にも目にした光景だ。確かにこの道に間違えないと思う。しかし、陸橋よりも手前に寮はあったはず。気がつかないまま素通りしてしまったようだ。私は今着た道をUターンして今度はゆっくりと歩いた。一軒一軒の家をじっと見ながら。

 すると、見たことのない駐車場がある。私の記憶では、ちょうどここら辺に寮があったはずなのだ。もしかして、あのお店といい、寮といい、なくなってしまったというのだろうか!?そんな・・・・・・。悲しい。悲しすぎる。私は打ちのめされたような気持ちで駐車場の写真を撮る。近所のおばさんが家の2階から、怪しげな私達日本人二人を見ているにもかかわらず、その場を動くことが出来ないでいる。

 妹がいきなり、そのおばさんに向かって大声で叫ぶ。「すみませーん!ここらへんに語学学校の寮があったと思うんですけどぉぉ」ちょっと恥ずかしい。そんな大きな声を出さなくても。と思いつつも、こうゆうことが苦手な私としては妹に頼ってしまう他ない。妹が満面の笑みで尋ねると、今までいぶかしげに私達を見ていたおばさんが、急に笑顔になって「いいえー。そこは昔からずっと駐車場だったわよぉ」と返してくれる。人徳と言うものなのか、もしも私が勇気を出して聴いてもあの笑顔は頂戴出来なかったに違いない。 と、妹のその行動に感動しながらも、またしても寮までつぶれて取り壊されてしまったのか!!という思いが過ぎる。

しかし、何となく様子がおかしい。確かこの辺に、消防用のポンプを繋ぐ水道管のようなものがあったようななかったような・・・・・・。次第に頭の中がクリアになっていく。というか、クールダウンしてきた。ん?もしかして道を一本間違えた?そんな予感が私の頭をよぎる。「もしかして、この道じゃないかな?」と、半信半疑で今来た道を戻る。妹も私も、さっき尋ねたおばさんにお礼をして、辺りを見渡しながら歩いていく。十年も前の記憶なんてあてにならない。覚えていると思っていても、そうだと勘違いしたまま自分の中で自分なりの記憶としてイメージされてしまっていることだってある。

駅前の大通りのにもどってきた。さっき曲がってしまったこの道よりも先に進んでみた。むむむっ?もしかしてもしかする?もう一本先の曲がり角まで来た時、それは現実となった。「あら?もしかして。ここかも・・・・・・。」

結局、記憶違いだったのだ。そして、寮もちゃんと存在していた。といっても、そこがいまもまだ寮として活用されているかどうかまでは分からなかったが、建物は確かにそこにあった。しかし何故か懐かしいという感情は涌いてこなかった。ほとんど寝るだけのために帰ってきていた寮だから、それほど思いいれもなかったのかもしれない。窓にはカーテンがされていてリビングに人がいる気配もない。それもそのはず、寮として活用されているのであれば、この時間はみんな学校に言っているわけだから。呼び鈴を押してまだおそらくいるであろうホストファザーに「こんにちは。十年前にココでお世話になった生徒です!」と言うほどのことでもなく、私は「ここが寮だよ」と妹に淡々と説明し、写真を一枚撮るだけでその場を去ってしまった。

人の記憶なんて当てにならないということを改めて知った、なんとも味気ない「10年前の軌跡めぐり」の始まりであった。しかし、あのお店でブラックティーを飲めなかったのは本当に、本当に、残念だったなぁ。

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10年前の軌跡-ゼロ地点へ再び

 昨日のショックから立ち直れないまま、今日もまた10年前の軌跡を辿る。とはいえ、ショックは受けていたもの観光を楽しむ気持ちもフツフツと涌いてくる朝だった。

今日は、グリニッジ旧天文台へと行く。これもまた10年前の軌跡を辿るための観光だが、昨日と違うのはただ思い出に浸りたいというだけではないということ。私は10年前にスタートラインとして選んだその場所へもう一度足を運び、また新たなスタートをきりたかったのだ。

結婚をする前、ここロンドンにまた来ようと思っていたのに来ることが出来きなかった。結婚後は生活と仕事に追われる日々が続く。私の中で何かに気付き始めていた。『このままロンドンへは行けずに結婚生活が続くのだろうか。そろそろ子供も作らないといけない。子供が出来たら当然旅行なんていけない。今、自分の体の自由なうちに行かなくては。今、行かなくては絶対後悔する。結婚したことすら後悔してしまうかもしれない。産んだ子供すら、いなければ良かったのにと思うようになってしまうかもしれない』そんな自分の少し壊れかけた精神状態に。

だから私はそんな気持ちに答えを出し、崩れかけた心の積み木をもう一度元に戻すため、再びあの時のようにスタートラインに立ちたかったのだ。『前に進むことに臆病になった時ここにまた来よう。そして、何度でも私自身の新しいスタートを始めよう』かつてそう思ってあの場所からスタートしたあの時と同じように。

経度0度の日付変更線へ向かって私と妹の麻耶は地下鉄へ乗り込んだ。イギリスに住んでいるというのにもかかわらず、麻耶は出不精なのかロンドンを含めイギリスの様々な観光地に足を運んだことがないという。まったくもってもったいない話だ。これ幸いと、私は麻耶を10年前の軌跡めぐりに付き合わせる。

駅を降りるとすぐにカティーサーク号が見える。カティーサークとは、19世紀後半にお茶などを運んでいた船。こんな小さな船でよく大洋を航海していたなぁと感心する。とはいうものの実際目の前にするとやはりその存在感に圧倒される。以前はテムズ川を船でグリニッチまで来たので記憶は定かでないが、地下鉄がここまで延びていなかった気がする。駅からここへ来るためにはテムズ川の地下トンネルを通って対岸に渡っていたように記憶している。随分とアクセスが良くなったものだ。一応、観光客としてカティーサークを前にお互いの写真を撮影。船内の観光はせずに、私達は目的地の日付変更線がある旧天文台へと急ぐ。

海洋博物館を通り過ぎ、大きな庭園の先に丘がある。その丘を登りきった所に経度0度の線が通っている。丘はとても急な坂道で、これは10年前と変わらない。以前息を切らして登った自分とオーバーラップする。そう、あの時もこんな気持ちだった。将来への不安というよりも何か新しい自分への期待。今自分が日常の生活の中ではなく、日本の中でもなく、ここイギリスにいるという一種の興奮状態。それは、急な坂道を登っているために心臓が普段よりも大きな鼓動をあげているという肉体的な要因も重なっているのかもしれない。私は一歩一歩を休むことなく登りつづけた。一歩一歩大きく足を踏み出しながら。

「おねえちゃぁぁんちょっと待ってぇぇぇ」麻耶の声が後ろから聞こえてくる。しかも随分遠くから・・・・・・。すっかり忘れていた、麻耶の存在。彼女は日頃の運動不足がたたってか、ヘロヘロになりながら坂道を登ってくる。いけないいけない、今回は一人ではなかったのだ。麻耶にとっては一応ロンドン観光という気持ちもあるわけで。一応私はナビケーター?でもあるわけで。自分の世界に浸りきってたことを多少反省し、私は歩く速度を遅めた。

息をはぁはぁ言わせながらようやく旧天文台のある場所まで辿り着いた。やはり以前とはずいぶん変わっていた。現代的になっているというか、博物館というよりもミュージアムといった響きのほうが合っている感じだ。問題の日付変更線へは、そのミュージアムへ入るための入場料を払わなくてはならない。しかも6ポンドもする。10年前は2ポンドもしなかったのに!まったくいい商売だ。地面の線を見るだけなのに・・・・・・。とはいうもののそこに足をつけなければやはり気分が出ない。私達は、お財布からシブシブ6ポンドづつを出した。

展示されているものといえば昔観測で使ったイロイロな道具。これはさすがに10年前と変わっていないが、所々にコンピュータの映像なんかが使われれていてなかなか面白い。昔はただそのものを展示しているだけだった気がする。私達はじっくりと、でも足早に展示品に目を通して、お目当ての日付変更線経緯0度を目指す。

日付変更線は、当たり前だが建物の外にあったが、建物の真中をちょうど真っ二つに裂くように引かれていて面白い。そんな風になるように後から建物を建てたのだろうが、ただの線を観光のスポットしてより楽しんでもらえるための工夫がされているようで、なかなか憎い演出だ。そして何よりも驚いたのが、線そのものが電光掲示板のようになっていて、見た目にも楽しめる。足元に伸びる線に、おそらく各国の今の時間帯やその他様々なインフォメーションが文字として流れている。昔はペンキで描かれたそれこそただの線だったのに。

私たちは、赤い文字がピカピカと光りながら流れるその日付変更線の上にまたがり、時間が過ぎていくのを楽しんだ。自分の足元を写真に収めたり、体が東と西に半分になるように立って二人並んだ姿を写真に撮ってもらったりもした。

そうして観光気分を味わいながらも、流れる電光掲示板の文字が、時間の流れを表しているようにも思えて少し感傷的な気分にもなった。『当たり前だけどあの時と今は続いているんだ。そしてこれかもずっと、私の時間は続くのだ。それがどうゆう流れをするかは私自身が選択してゆくことなんだ。』そんなことを考えながら私は、あの時と同じように日付変更線経度0度のラインを越えて、もう一度新しいスタートを切った。

 

グリニッジからの帰りはテムズ川クルーズで幕を閉じる。新しい船出という意味も込めて。

テムス川クルーズは、ここグリニッジからロンドンアイのある場所まで。つまりビッグベンの所までなのだが、そこへは10年前にはなかったロンドンアイに乗るという目的もある。ロンドンアイとは、ミレニアムを記念して新しく出来た大型の観覧車。観覧車の直径は135メートル、重さは1900トン。一周にかかる時間は30分という。ロンドンの街が一望とまではいかないものの、なかなか良い眺めだそう。しかもオススメはやはり夜景だという。

古いものを大切にするイギリス人が、ロンドンの街並み、景観のイメージをガラリと変えてしまうこんな現代的なものを建ててしまったのか、私には到底理解できなかった。しかもこんな場所に。しかし、観光気分を味わうという意味では「ありなのかも」と矛盾した考えを持ちながらカメラを片手に船上からの風景を眺めていた。

私は次第に暮れてゆく陽の光を追いかけるように船の上から、ロンドン塔・タワーブリッジ・ビッグベン。そして川岸の家々やビルを写真に収めていった。風が吹くたび、カメラのレンズにかかりそうになる髪を押さえ私は夢中でシャッターを切る。そんな私の姿を麻耶が写真に収める。新しい出発をし始めている私のイキイキとした姿を。

『さぁ、これからの私の人生いったいどうなってゆくのだろうか』

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コッツウォルズ−美しい村々

 今日は、イギリスでもっとも美しいと言われる村や町があるコッツウォルズ地方へ観光に行く。コッツウォルズとは「羊のいる丘」を意味する言葉が語源だという。ロンドンの西約200kmに広がる丘陵地帯で、北はシェイクスピアの生家がある『ストラトフォード・アポン・エイボン』辺りから、南はお風呂(バス)の語源となった温泉が湧き出ている『バース』。そして東側は、『オックスフォード』辺りまでのエリアをそう呼んでいる。この地方一帯はもともと、13世紀頃に羊毛産業で栄えた場所。今でもより田舎へと行くと、緑の牧草地が広がり、羊が放牧されているという。本当に絵に描いたようなイギリスの田舎町なのだ。そして石灰岩で作られた家は、「蜂蜜色の家」と呼ばれ、その家そのものが何世紀も前からそこに建てられているという歴史的にも貴重な町や村なのだ。

イギリスをイロイロと旅行した私だが、この地方だけは行った事がなかった未知の場所だ。私も麻耶もガイドブックで下調べを充分にしながら、コッツウォルズ地方に点在する美しい村々のどこを周るかを決めていった。

 コッツウォルズ地方は交通の便が発達していない。だからこそ現在でもまだ美しい昔のままの風景が残っているのだが、1日に数本ぐらいしか出ない路線バスか、列車を利用して駅から村までタクシーで移動するか、もしくは観光者向けに用意されたツアーバスに乗るかしか方法はない。車の運転が得意な人であれば、レンタカーを利用して好きな時間に好きなように町を周ることができるが、唯一免許を持っている私は方向音痴で車の運転も苦手。国内ですらめったに運転しないものだから、海外での運転など考えられるはずもなく、もちろん国際免許も当たり前のように取得してこなかったのだ。消去法で最後に残った方法、タクシーを利用することにした。

 朝の10時頃ロンドンのパディントン駅を出発する。列車で約1時間15分も乗るとコッツウォルズ地方の『チッペナム駅』へ到着する。さて、ここからが大変。移動のタクシーを探さなければいけない。・・・・・・と思っていたが駅前にタクシーが止まっているのを発見。さすが観光地といったところか。3台並んでいるタクシーの一番前に停まっている車に私達は近づいて行った。本当は2番目に停まっている恰幅の良い、いかにもイギリスの人の良さそうなおじさんのほうが何となく安心できる気もしたのだが、さすがに順番を飛ばしてそのおじさんの所に行くわけにも行かなかった。

 「エクスキューズミィー」

私は、一番先頭に停まっていた年齢的に私達と同じぐらいの男性のドライバーに声をかける。そのドライバーはウィンドウを開け、ニッコリと微笑みながら私の言葉に応えた。その笑顔に年齢や見た目だけで判断して悪かったかなと思いいつつ、今日一日タクシーを貸しきってコッツウォルズ地方の村々を周りたいことを告げると、すんなり了解。次は値段交渉だ。日本での下調べによると、距離やタクシードライバーによって値段はマチマチだが、約150キロを走って一人80ポンドから120ポンドぐらいだそう。どうせなら値切りに値切ってと思い頑張った。で、二人で100ポンド!交渉成立。大体2万円ぐらいの値段で落ち着いた。ということは、一人50ポンド。なかなか良い交渉成立といった感じだった。

 

 最初の村は『カッスルクーム』。ここは、「イギリスで最もイギリスらしく、最も古い町並みが保存されている村」といわるところで、17世紀の民家がそのまま残っている。1962年にはこの村の景観が「イングランドで最も美しい村」に選ばれ、その後何度も表彰を受けているという。映画「ドリトル先生不思議な旅」のロケ地としても使われたそうだ。また、村の中をのんびりと歩いても30分もあれば周りきれてしまう程とても小さな村だが、写真を趣味とする私と絵を仕事としている麻耶にとっては何時間居ても飽きず、時間が経つことも忘れてしまうような空気が流れている。私達は、お互いの被写体を探しながら、別々にその小さな村を散策した。

 何世紀も前にタイムスリップしたような感覚を受けながら、私はカメラを片手に歩き回る。窓の枠や扉に絡まるツタひとつとっても何とも言えない雰囲気がそこには存在していた。カメラに被写体を向けてレンズを覗き込む。重なり続けた歴史の一部を、丁寧に切り取っていくのだが、どうしても納得のいくカットが撮れない。特にデジタルカメラで撮影したものは、その場でどう撮影出来たかが瞬時に分かってしまうので、本物の村の空気を前にしてカメラの中の小さな液晶部分に写った映像がどうしても詰まらない物に思えてくる。それと同時に、10年前よりもはるかにその腕が落ちたと感じてしまう。多少のショックを覚えながらも、私はひたすら被写体を見つけてはカメラに収めていた。

 麻耶は、ひとつの場所にずっと座り写生を楽しんでいる。さすがに現役だけあってその腕は確かだ。今や趣味としてしか写真を撮らない私とはわけが違う。

一通り写真を撮り終えて、彼女の隣に腰を下ろして絵を覗いていると雨が降ってきた。気になる程ではなかったものの、時間的にもそろそろだったので私達は、村のメインストリートにある昔使っていたという井戸の前で、今度は自分たちの記念写真をドライバーに撮ってもらい、村を後にした。

 

 次は『カッスルクーム』から車で約45分程の所にある『ボートン・オン・ザ・ウォーター』という町へ移動した。ココは、リトル・ヴェニスともいわれ、町の中央には川が流れている。その川にかかる石橋が有名だとか。他の町や村に比べて、観光地化されている部分もあって見どころもたくさんある。例えばミニチュアのモデルビレッジ。これはなかなか面白い。大人も子供にもどったような無邪気な気分にしてくれる。実物の町を9分の1に縮小したモデルビレッジで、その建物の素材も実際に建築物に使われているライムストーン。本当に街全体が小さくなったという感じだ。川ももちろん流れている。

 私達は、巨人になった気分を味わいながら、観光写真をパチパチと撮りまくった。とても楽しかった。小さな頃、妹と二人でお家のおもちゃで遊んだことを思い出す。といっても女の子らしいハスウセットなどではなかったというのも明白な記憶として残っている。何故か私たちの両親(特に父親は)、私たち姉妹を男の子のように扱っていた。お人形やぬいぐるみよりも、野球バットとグローブ、そして銀ダマ鉄砲などを買い与えた。そして、自らも遊びのメンバーになって遊んでくれた。そんな感じてあったから、小さな家のおもちゃも、リカちゃん人形などのお家ではなく、ミニカーセットの家だったのは言うまでもないだろう。ガソリンスタンドや雑貨屋、レストランなどのミニチュアを一つ一つ繋ぎ合わせてできる町のおもちゃなのだ。実際、ココのミニチュアセットは、その感覚に似ていた。もちろん町並みはまったく違うものの、子供の頃遊んでいたあの時の感覚だ。そうそう、確かあの頃は、ハムスターを飼っていた。そのハムスターをミニカーセットの町並みの中で遊ばせていた。今まさに私達はあの時のハムスターなのかもしれない。あっちこっち歩いては来た道を戻り、小高い丘の上に立って町全体を見下ろしたり・・・・・・。

 あっという間に時間が過ぎていくなかで、そういえば今日はまだ何も口にしていないことを急にお腹が思い出す。ゆっくりとレストランに入って食事を取る時間ももったいない気がしたので、私達はフィッシュ&チップスだけをテラスで食べ、次の目的、ウィンドウショッピングを開始した。

観光地化されているだけあり、いくつかのお土産屋が立ち並んでいる。アロマオイルを販売しているお店や、いかにもお土産という感じのポストカードや置物を所狭しと並べているお店など、一軒一軒丁寧に見ながら、私達はウィンドウショッピングを楽しんだ。

中でも可愛らしかったのが、枕。大きさは20cm×15cmぐらいの小さなもので、クッション的な要素も含まれているのだろう。その枕には、ひとつひとつに願い事の言葉が刺繍してある。プレゼントなどに利用されるのが一般的だそうだ。例えば、友達に子供が生まれたら、『いつも健康で!』と刺繍された枕をプレゼントしたりするらしい。私としてはプレゼントというよりも自分自身に欲しいと思った。何か願い事があるのかというわけでもなかったのだが、何となくその枕の存在が気になったのだ。それは、物欲というだけでは説明ではない、何かこの地方独特の習慣や歴史的なもの、念のようなものをその刺繍の枕から感じていたのだ。

 結局私はその枕をひとつも買わなかった。当り障りのないお土産をいくつか買っただけだった。一番気になっていたものだったにもかかわらず、買うことはしなかった。なんとなく、なんとなく、不思議な気持ちだけがそこにはあった。

そんな気持ちが、次に起こる不思議な体験の助長だとはその時は思いもしなかったのである。

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コッツウォルズ−不思議な体験

 

 やはりイギリスには私の記憶を呼び起こす何かがあるのだろうか・・・・・・。
10年前に起きたブライトンでの経験を遥かに超える、こんな不思議な体験をするとは・・・・・・。

 

 『ボートン・オン・ザ・ウォーター』からタクシーで約30分。『バイブリー』という村へ到着する。この村は「イギリスで最も美しい村」といわれ、村の中心を流れる透明度の高いコルン川には、カモや白鳥の親子たちがのんびりと浮んでいる。マスの養殖も有名で、トラウト・ファームとして観光者も見学できるようになっていという。そして、やはりココでも目を引くのが、ライムストーンの古い家々。中でもアーリントン・ロウと呼ばれる家並みがもっとも有名な風景で、ガイドブックには必ずと言ってよいほどその写真が載っている。実際私も、日本でその写真を見てどうしてもココに行ってみたいと思ったのだ。

 バイブリーの村に着いたのは午後5時近くになっていた。観光客はほとんどいなく、お土産屋兼、村の雑貨屋もあと30分でクローズしてしまうだろうというくらいだから、トラウト・ファームはとっくにクローズしていた。入口から扉の窓越しに中を覗いたが、実際釣堀のような作りをしているだけで特に楽しげなアトラクションがあるようには思えず、『見学しなくても損したとは思わないね』と二人で話していた。それよりも風景を楽しみたかった私達は、友達や会社の同僚たちへのお土産を、値段と人数とを考慮しながらあと30分でクローズしてしまうという焦りもあって、吟味もせず気になるものだけをすばやくカゴにいれてレジを済ませた。

 ちなみにココで買ったお土産の中でもっと買えばよかったと思ったのが『コッツウォルズハニー』。要するにハチミツなのだが、これがまた美味かった!日本で自分の家用に買った一瓶を開け、濃い目の紅茶に入れて飲んでみた。何とも言えない香ばしい香りと、濃厚だけど甘すぎず、さっぱりとした味わい。大きなデパートなどには売っているのを後から知ったが、その値段はやはりそれなりなのだ。重たいお土産ではあるが、腐るものでもないので、自分用にもっと買っておけば良かったと、日本に帰って直ぐに後悔した。お土産に買ってきた分も渡さずに自分達で賞味してしまおうかと思ったくらいである。

 さて、あっという間のショッピングを済ませた私達は、コルン川周辺をそれぞれの思いで別々に歩き回った。麻耶は絵を描くため、そして私は写真を撮るために。

 ガイドブックで見たアーリントン・ロウが、今私の目の前にある。コルン川に掛かる小さな橋を渡ると直ぐに入口だった。長さでいえば、ほんの50m程の短い家並みなのだ。私は、様々な距離・角度からその家並みの撮影を試みた。だが、どうしてもより美しくキレイに、そしてその雰囲気が伝わるようにとシャッターを切るのは、あのガイドブックと同じ画面構成になってしまう。アーリントン・ロウ自体がもう既にひとつのアートになっているかのように、佇んでいるのだ。私は、素直にその佇まいを写真に収めた。

 アーリントン・ロウを過ぎると、少し急な坂道に突き当たる。道幅は2・3mと狭い。坂を登りきりしばらく続く細い道を歩くと静かな家並みが続いている。そしてその静けさに、ひとつの疑問を感じた。この村に住んでいる人々はどこにいるのだろう。観光客以外の人間を見たのはお土産屋のおばさんだけ。窓から部屋の中の様子を伺うと、テーブルのランプに明かりは点っているものの、人の気配がまったくない。中には本当に人が住んでいない廃墟のようになった家もあるのだが、確実に生活の影はある家にも人影がないのだ。私は少し気味が悪くなってきた。美しい家並みの写真を撮りながらも、そこに収められる家々と私の行為は明らかに温度差があるように思える。この村の家自体が、かたくなに私の存在を拒んでいるかのようだ。地元の人たちが、日々訪れる観光客たちの視線に背を向けるようにしていることもあると思った。誰だって私生活を覗かれたくはないから。だがそれだけではなく、どこか深いものがあるように私は感じていたのだ。何世紀も前からそこにある、その家々が私に語りかけているかのように。

 しかし、日本でこの村について調べ、訪れたことがある人のホームページなど、個人的な記事を読んでも誰一人としてこのような、ある種不気味な感覚を受けたということを書いている人はいなかった。美しいということだけを想像してこうして訪れた私の心に、その美しさとこの不思議な空気とのギャップが、不安と好奇心を生み落とした。何か特別なものがこの村にはあるのかもしれない。私だけが感じ取れるような何かが・・・・・・。

 一通り撮影を終え、私は麻耶が写生をしている場所まで戻って行った。麻耶もちょうどスケッチデッサンを終え、後は色を付けていくだけというほどに絵が出来上がっている。色は写真があれば大丈夫だと言うので、村の中心から少し離れ、川に沿うような形で上流へと二人で歩いて行った。しばらく行くと道は二股に分かれている。右に行くとさらに川に沿うかたちとなり、左に行けば丘を登るような雰囲気になっていた。私達は左に進み、坂を登ることを選択する。その坂を登り、道なりにしばらく歩いていくと右へと曲がる道が見えた。どうやら誰かの家の敷地らしい。アーチはないものの、とても大きな門のようなスペースへと続いている。さすがに人の家の敷地に無断で入るわけにもいかないだろうと、そんな軽い気持ちで、そのまま道なりに歩いていった。しかし、この選択に重要な意味があったことが後になって分るのだが・・・・・・。

 村の中心を離れたこの辺りは、ほとんどが牧草地で、一面に広がる緑とそれを囲む柵や杭があるだけだった。夕方という時間帯もあるだろう、家畜も外に出ていない。せめて何か被写体になるものがあればと思いながら歩いていると、再び右に曲がる道を見つけた。今度は何のためらいもなくその道を進んで行く。しばらく歩くと、右手に大きな屋敷が見えてきたのだ。その佇まいからは歴史の深さを物語る重厚さが漂ってくる。私は夢中になってカメラのシャッターを押した。しかしどうも納得がいかない。建物の前に何台もの車が駐車されていて、その車が外観のイメージをミゴトに壊していたからだ。建物全体をカメラに収めようとすると、どうしてもその車がファインダーに入り込んでしまう。ココからは100m近くは離れている。私はもう少し近くに寄りたいと思った。

 近くに行くということは、敷地へと入り込んでしまうということだ。私が躊躇いながらシャッターを押していると、麻耶があることに気がつく。

「おねえちゃん、あれってもしかしてホテルじゃない??だからあんなに観光客っぽい車が停まってるんじゃない??」

なるほど、そうだ。妹に言われて、そういえば昔の領主のお屋敷などを当時のまま残し、ホテルとして使っている建物があるというのをガイドブックで読んだことがある。いわゆるマナーハウスだ。おそらくココもそのひとつなのだ。しかし、このホテルについてはまったく知識がなかった私は、少し得をした気分で大手を振ってその屋敷に近づいていった。

 近づけば近づくほど、その重厚さは私にのしかかってくる。本当なに何か重いものが私の肩に乗っているかのようにさえ感じた。一歩一歩屋敷へと近づいていく。近づいてみて初めて気付くその大きさ。私は圧倒される。ツタの絡まるその壁に私はカメラを向けたが、ファインダーの中から見るその屋敷は、見れば見るほど大きく、偉大なものに思えてくる。思わず後ずさりしてしまう自分がいた。

 麻耶はそんな私の状況をまるで気がつかないように、ズンズンと屋敷に近づいていく。

「きっと、ヨーロッパのお金持ちご用達のホテルなんだろうねぇ。高そうだねぇ。でも覗くだけ覗いてみようよぅ。おねえちゃん」

そんな言葉につられて、私もパンフレットだけでももらってこようと、カメラを顔から下ろし、エントランスへと向かった。エントランスは、やはりホテルという作りではなくお屋敷の玄関といった表現の方が合っている。建物の大きさの割に間口はそれほど広くはないのだが、そこから一歩中へと踏み込むと、不思議とさっき感じていた重厚で近寄りがたいイメージはなくなっていた。それよりもむしろ、人を温かく迎えるような雰囲気に満ちていた。アットホームでホスピタリティーに溢れたそのエントランスホールに佇んでいると、ホテルの従業員が私達に話し掛けてきた。

「こんにちは。」

何故かぼーっとしてしまっていた私の代わりに、麻耶がそれに応える。私もはっと我に帰り挨拶を交わす。

「すみません。パンフレット頂きたいのですが・・・・・・。」

先にそう言ったのは麻耶だった。パンフレットを受取った彼女は、こうも言った。

「ホテルの中、見て周ってもいいですか?」

パンフレットだけもらったら直ぐに引き上げようと思っていた私だが、思いもよらない展開に多少焦りながらも、『泊る事は出来なくても、見るだけならタダ、タダ』と、貧乏性の血が騒ぐことに抵抗は出来ずにいた。とはいっても、おそらくティールームであろう場所で優雅に紅茶を飲んでいる宿泊客の周りをウロウロするわけにもいかず、廊下に掛けられた古い絵や、当時から使われていたであろうアンティークの家具をいくつか見せてもらい、従業員に礼を言って私達は建物を後にした。

 後ろ髪を引かれるような思いで建物を後にした私は、『いつかこんな所に泊まれたらいいなぁ』と思いながら、受取ったパンフレットを開きながら歩いて行った。

 お屋敷を見つけたときとは別の道があったので私達はそちらへ向かって歩く。どうやら来る時にあった右に曲がる道だ。誰かの敷地に入っていく門と思っていた道が今私の前にある。『ホテルだと知っていればここから堂々と入ってこられたなぁ』と思いながらも、その門の間を通り抜けようとした。入口に門構えが一つ、そして約20mぐらい先に出口としての門構えがひとつ。エントランスロードと言えばいいのだろうか、道の両脇にはちょうど自分の背丈よりもス少し小さい程の植木が等間隔に植えられている。そんな贅沢な空間がそこにはあった。

ちょうど中間ぐらいまで歩き、私は何気なく自分の足元を見るようにうつむいた。そして次の瞬間、この村の写真を撮りながら感じていた不思議な感覚、何かが起こりそうだという予感は的中したのだ。

いきなり真っ白な空気が私を包み込む。その空気にクラクラしていると、光が差してきた。まさに夏の陽射しだ。先ほどまで雨が降ったり止んだりと空は雲に覆われていたのに、急に足元に影ができる。その足元を見ながら私は異変に気付く。チノパンにシャツというカジュアルな服を着ていたはずが、今私の視野に入るものから想像して、どうやら真っ白いワンピースだかドレスだかを着ている。白いスカートの裾が風に靡いているのだ。顔を上げ周りの様子を確かめる。顔を上げて気付いたが、どうやら私は日傘まで持っている。両手で抱えていたカメラはどこかへ消えてしまっていた。そしてもっと重要なことにも気が付いた。このエントランスロード、前にも通った事があるということを。

 『デジャヴ』とは明らかに感覚が違っていた。その風景を以前見たことがあると言うだけではなく、私自身がその風景の一部になっていたのだ。そして以前通った時の記憶も蘇ってくる。一緒にいたのは私だけではなかった。小さな男の子と女の子が、等間隔に植えられている両脇の植木の間を走り回っている姿も見える。それが自分の弟や妹なのか息子や娘なのか、それ以外の者なのかまでは分らない。ただ、暖かい夏の陽射しの中、緑の香りが心地好いその空間の中で、とても平穏な気分でそこを歩いていると言うことだけは感じ取ることが出来た。さらに不思議なことに、子供が駆け回っている映像は白いワンピースを着てパラソルを持っていた時の私の記憶らしい。今の私が見せられているものではない。記憶の中の記憶と言えばいいのだろうか・・・・・・。

 おそらく実際に数えると、白い空気に包まれてから5秒も経っていないだろう。私は急に現実の世界に引き戻された。いや、自分自身で引き戻したと言ってもいい。怖かったからだ。あまりにもリアルな幻想に自分の頭がおかしくなったんではないのかと思えてもくる。このまま現実の世界に帰って来られないのではないかという恐怖があったのだ。我に返った私は、自分自身を確認する。ちゃんとチノパンにシャツ姿にもどっていた。両手に持ったカメラも無事だった。空も雲で覆われている。

あと10m程残っている出口までの道程を、私は足早に通り過ぎた。怖くて後ろも振り向けない。写真を撮ることなんてもってのほか、これこそ魂を吸い取られるのではないかと思ってしまうほど心は恐怖にかられていた。

 門を無事に通り抜け、ようやく後ろを振り向く。ツタが絡まった門には、この屋敷に一番初めに感じた重厚な雰囲気が漂っている。誰も寄せつけるなと言っているかのようだった。少し気持ちも落ち着いたものの、もう一度門をくぐってさっきの場所に立ち、写真を撮ろうとは思わなかった。そうしてはいけないような気がしたのだ。そもそも、驚きでそんなことを考える思考すらなくなっていたから。それでも私は、先ほど無事通り抜けた門の外からの風景だけを一枚写真に収め、バイブリーを後にすることにした。

 10年前、ブライトンのロイヤル・パビリオン(音楽の間)で、流れているはずもない音楽を聴いて涙を流してしまったあの時の不思議な体験と何か関係があるのだろうか?そんなことを思いながら、妹の麻耶に今の出来事を話してみる。

「きっとお姉ちゃんの前世がこのお屋敷に住んでたのかもよー!!で、ブライトン辺りへ嫁いで行ってロイヤル・パビリオンの音楽家会に招待されていたとか!!」

と、平気な顔をして言う。ロイヤル・パビリオンは、1787年にジョージ4世が建てたもの。そしてこのお屋敷はチューダー王家の時代から続いているもので、1633年・1759年・1922年と、構築や改築、内部改造などを繰り返し個人のお屋敷として利用されていた。ホテルとして開放されたのは1968年の事。ちなみにジョージ4世が逝去されたのは1830年のこと。年代的にはまるで関係ないというわけでもないようだ。そこがまた現実味を帯びてきて怖い。

 想像だけはやたらと膨らみ、私達は帰りのタクシーの中で盛り上がった。異様なほどの盛り上がり様に、タクシー運転手のお兄さんも不思議そうにしていた。

 再び『チッペナム駅』へ戻り、ここから『パディントン駅』へと戻る。電車は最終を残すだけになっていた。一日の労をねぎらってタクシーの料金を払い、彼と別れの握手を交わす。今日一日本当に走り回った。車酔いもちょっとしたがとても楽しい時間を過ごせた。

ロンドンのユースホステルへ着いて、ベッドに入ったのは、夜の12時をとっくに過ぎていたが、疲れよりも今日一日の出来事で興奮しなかなか寝付けずにした私だった。

 さぁ、明日はロンドンの街をフラフラしよう。そうだ、大英博物館にも行かなくては。NO.44の部屋が待っているような気がするから・・・・・・。

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