第六話 歴史に葬られた者

by朱月銀河(やこ)さん

 

 ひとかけらの日の光も差さぬ闇の宮。

 その宮の玉座には、この闇を統べる帝王が瞼を閉じ、静かに座っていた。

 愛しい人の姿を思い描いているのかもしれない。記憶の片隅に閉じこめてある光を思い描いているのかもしれない。だが、その表情からは何も伝わってはこなかった。ただただ沈黙と闇をまとい、帝王たる風格を漂わせながら彼はそこに座っていた。

 やがて彼は静かに瞼を開く。

「ウェスペル、アーヴェント、アルマ、ファータ、そこにいるな」

 玉座の主から、周りの者を凍てつかせるほどの冷気を含んだ声が発せられる。

「ウェスペル、アーヴェント、ここにひかえております」

 闇の中でほのかにひざまづいて見えるのは、紫紺の衣をまとい腰に大きな剣をさげている男達。やや小柄でありながら歴戦の強者という風格を十分に備えたウェスペルと、その息子のアーヴェントである。

「アルマもここに」

 アーヴェントの隣に、蒼色の髪と瞳を持つ若き青年剣士が、音もなく現れる。

「あとはファータ……ファータはおらぬのか」

 玉座の主から、苛立たしげな声が飛んだ。ウェスペル、アーヴェント、アルマの三人は素早く部屋の隅まで視線を走らせる。先ほどから気配ははっきりと感じ取れるのに、姿をなかなか見せない。

「こら、ファータ、いるんなら返事をしろ。陛下の御前だぞ」

 アルマはそう言って、口の端をひきつらせる。

 すると、

「フェアリィって、呼んで」

 と凛とした女の声が響く。

「お、お、おまえというヤツはっ。陛下に向かってよくもまあ……!」

「だって、フェアリィって名前はこの間クロース様にいただいたのよ。私がファータって名前が嫌いだって言ったら、じゃあ新しい名前をやろうって……ねっ、クロース様」

 こめかみに青筋を立てているアルマを無視して、玉座の主に同意を求めるフェアリィ。

「そうは言っても、陛下がファータとお呼びになっているのに、返事もしないとは失礼だろうがっ!」

「だって、私はフェアリィだもーんっ」

「おまえはまだそういうことを……!」

 フェアリィとアルマが大声で怒鳴りあっていると、

「二人ともいい加減にしなさい。陛下もあきれておるではないか」

 とウェスペルが仲裁に入った。玉座の主も

「名前などどうでもよい。フェアリィが気に入っているのなら、そう呼んでやれ」

 とうんざりしたように言った。

「で、クロース様、今日は何のお話?」

 おまえはまたそういう口のききかたを……と睨み付けるアルマを無視して、彼女は尋ねた。

「エンザークの龍騎士どもが覚醒したようだな」

 クロースは静かに言った。

 ウィスペル、アーヴェント、アルマ、フェアリィの四人はお互いにさぐり合うように視線を交わす。

「この闇の宮にいても、エリュージュとエスペランサの力を感じた。やつらはかなり力を取り戻したようだ」

「恐れながら、陛下」

 ウェスペルがかしこまる。

「彼らは本当に覚醒したわけではありませぬ。シーリアによってクリスタルを手に入れましたが、今のところ、それだけのようです」

「そうよ。この間だって冬星君……じゃなくて、クレルフィデスを探ってみたんだけど、あいつったら、私のこと全然覚えてないんだもの。あったまきちゃうじゃない。けど、やっぱりあれって記憶が完全に戻っていないんだと思うわ。ううん、完全どころか、ごく一部しか記憶がないのかもしれない」

 クロースは微かにうなずいた。

「闇に巣くう異形の者を制した我らは、今まで何度もエンザークへの扉を開こうと試みてきた。しかし、強い結界になんども阻まれてきたのも事実。そして、あの龍騎士どもだ。シーリア一人くらいは何とかなろうが、龍騎士どもは必ず我らの障壁になろう。」

 クロースがそう言うと、アルマが前に進み出た。

「覚醒が不完全というならば、今が奴らを倒す好機と心得ます。陛下、わたくしめに兵をお貸しください。龍騎士どもの息の音を止めて参りましょう」

 彼は、意気揚々と叫んだ。だが、クロースは首を縦に振らなかった。ウェスペル、アーヴェント親子も一言も発しなかったが、明らかに難色を示している。

「何か策がありそうだな、ウェスペル」

「はい」

「どうやらおまえは私と同じ策を持っているようだ。……今回はおまえに任せよう。存分にやってみろ」

「御意」

 ウェスペルは恭しく頭を下げた。

 そして彼は、アーヴェント、アルマ、フェアリィを伴い、再び寒々とした闇の中へと姿を消したのである。

 

 

「んー、とってもいい天気。今日も一日がんばりましょうって感じかな」

 エスタシオン屈指のガラス工房「琥珀亭」の前。

 希は気持ちのよい朝の日差しを浴び、思い切り背伸びをしていた。

 実際、コスモ・ユニバーシティで受講している講座の試験が昨日で全て終了したのだから、気分はこの上なく爽快である。

「どうかエンザークも平穏な一日でありますように」

 彼はシーリアを想いながら空に向かって祈り、ガラス工房の中に入ろうとドアを開けた。

 その時である。

 彼の視界に、向かいの通りから、辺りを見回しながら道路を渡ってくる男が目にとまった。年はおそらく希と同じくらい。栗色の髪と栗色の瞳を持つその男は、どうやら何かを探している様子である。

「大丈夫かな、あの人。上ばかり見て転ばなきゃいいけど」

 などとぼんやりその男を見ていたのだが、彼はそんな希を見つけたらしい。こちらに愛想良く近づいてくる。

「どこかお探しですか?」

 希は人なつこい笑みを浮かべ、男に尋ねた。

「あ、はい。あの、この辺に琥珀亭というガラス工房があると聞いて来たんだけど……」

 彼は、そう言いながら額の汗をハンカチで拭う。

「ああ、それならここですよ」

 希はにっこりと微笑んで、朝一番の客を工房に招き入れた。

「あ、でも、おじいちゃんは今日はちょっと遅くなるって言ってたっけ。どうしよう」 

「待たせてもらってかまいませんか」

「うん。もちろんです。そこにかけて待っててください」

 希は彼を応接スペースの一角に座らせ、慌ててお茶の用意を始めた。お湯が沸くのを待つ間、希はソファに掛けている男を時々覗く。

 肩の辺りまで伸ばしている栗色の髪。眉目秀麗とまではいかないにしても、そこそこイイ線いっている顔立ち。育ち盛りの少年にしては幾分小柄だが、均整のとれた体つき。ただ、時々眼に鋭い光が宿るせいだろうか。希と同じくらいの年齢であるはずなのに、妙に大人びて見える。 

「朝早くから来てくれたのに、またせちゃってごめんなさい。おじいちゃん、早く来るといいのに」

 希はいれたてのお茶を客人に差し出した。

「いえ、連絡もせずにいきなり訪ねてきたぼくも悪いですから。あ、申し遅れました。ぼくは高宮夕稀といいます」

 彼はポケットから名刺を取り出し、希に渡した。

 希は、そんな彼をじっと見つめる。

 どうしてだろう。ぼくはこの人を知っているような気がする。

 でも、頭の中の人物データをひっくり返しても、彼の名前は出てこない。ただ、ずっと以前に会ったことがあるような気がするだけ。

「あ、あの、以前、ぼくとどこかで会ったことあるかな?」

「いえ。多分初めてだと思います。ぼくは数日前にエスタシオンについたばかりなので」

「そ、そうだよね。ごめん。なんか似ている人を見かけたことがあるかなぁ……と思っただけ」

 希が恐縮すると、夕稀は穏やかな笑みを浮かべた。

 その時、希のメモボードにメッセージ着信の音が鳴る。彼がポケットからボードを取り出してみると、それは養父からのものであった。

「ええーっ。おじいちゃん、病院にいったついでに役所にも回ってくるから昼頃になるって。どうしよう」

二人は思わず顔を見合わせた。

「ああ、でも、ひょっとしてあなたでも分かるかもしれませんね」

 夕稀は大切に持っていた袋から、ひとつの木箱を取り出した。

「上月さんなら、もしかしてこれと同じものをご存じないかと思って」

 箱のふたを開け、柔らかい布を開くと、そこから虹色の輝きを放つワイングラスが姿を見せた。

 希は、思わず息をのむ。

 これ……これって……!

「あ、あの?」

「ぼくには長い間、行方不明になっている兄がいるのです。父は、兄かもしくは兄を知る人がこのグラスを持っているはずだと話してくれました。……というか、これ以外の手がかりがなくて。こちらの工房ではグラスを製作するかたわら、鑑定もすると聞きました。ひょっとしてこちらに手がかりがないかと思ったのですが」

 それは、まぎれもなくインヴェルノの教会から発見されたグラスと同一のもの。

 しかし、このグラスはエンザークに縁のあるものでは……。

 この人の兄が持っているはずだというのは、いったいどういうことなんだろう。

 希の頭は少し混乱していた。

「ひょっとして、これと同じものを見たことありませんか?」

 男はまっすぐに、希の眼を見つめる。

「え、えっと、以前、似たようなものを鑑定したことがあるような気が……」

「ほ、本当ですか。いったい、どちらの依頼で?」

 希はちょっと考えて頭を振った。

「ぼくにちょっと心当たりがあります。でも、確かなことは言えないのでこれを少しの間、お借りしたいのですが。できる限り急いで確認しますので」

彼は、それだけ言うのが精一杯だった。

「分かりました。確認がとれたら連絡をください。しばらくは空港近くのディウォントホテルにおりますので」

 そして、彼は希に見送られて工房を後にする。

 少し歩いて、彼は工房の方を振り返りかえった。

「まだお休みを言うには早すぎる時刻だが……」

 彼は工房の看板を見上げる。

「今夜はお互いよい夢を見られそうだよ。ねえ、エスペランサ」

 

 

 

「ねえっ、夏旺ってば。聞いてる? これってどういうことだと思う?」

 ヴィジュアルフォンの向こうで、希が珍しく興奮状態で叫んでいる。

「多分、夏旺のところにあるのと全く同じグラスだよ。さっきおじいちゃんにも見てもらったんだけど、間違いないって」

「そんなこと突然言われたってなぁ。あれは親父が必死に調べてるけど、いまだによくわからん代物だし」

「だからぁ、古文書の方に、何か記述はないの? グラスに関係するコトでさぁ」

 寝不足気味で頭のすっきりしない夏旺は、前髪を無造作にかき上げた。

「古文書の解読なんて、一日二日でハイできましたって訳にはいかねぇんだよ。この間の六つの言葉を拾い出すだけでも膨大な手間がかかったんだからな」

「で、結局あれから解読は進んでいない、と」

「……まあね」

 行儀悪く椅子の上であぐらをかき、デスクの上に置いてあったコーヒーをがぶ飲みする夏旺。

「まあ、全く進んでいないわけじゃない。まだ確定した訳じゃないけど、『光の騎士』と『闇の剣士』って記述があるみたいだ。誰のことを差しているのか、今のところさっぱりわからんが」

「光の騎士と闇の剣士ぃ? グラスのこととは関係なさそうだなぁ」

「俺もそう思う。ただ、あのグラスがエンザークに縁のあるものだとすれば、その男もエンザークに関わっている人間ということになるな」

「……だよねぇ」

 希は腕を組んで考え込んだ。

「あの人、あのグラスはお兄さんを捜す手がかりだと言ってた。お兄さんか、もしくはお兄さんの行方を知っている者が同じものを持っているって。なんか心当たりある?」

「あるわけねーだろ。あれはもともとインヴェルノの教会にあったヤツだし……」

「一応、みんなにも聞いた方がいいよね」

 希は夏旺との回線をつないだまま、樹、冬星、輝を呼び出してみた。だが、そろいもそろって応答が返ってこない。

「輝は接客中につき保留、樹と冬星は不在だって」

「ったく、しょーがねぇなぁ」

「樹は今日、オフ日だって言っていたのに……一体どこいっちゃったんだろ」

「決まってんだろ、でぇとだよ、でぇと。あいつ、ちょっとおカタいけどモテそうだもんよ」

 そう言って夏旺は豪快に笑う。

「デート……かあ。じゃあ、邪魔したら悪いかな」

 希も肩をすくめて笑う。

「じゃ、切るぞ。俺は忙しいからなっ」

「うん。じゃ、解読がんばってね」

 二人は通信を終え、それぞれの仕事へ戻っていったのだった。 

 

 

 

 さて、今日はオフ日の樹はその頃何をしていたかというと、女の子と一緒にショッピング・モール・セジュにいた。希と夏旺の予想はまんざら外れてもいなかったようである。ただ、それは樹にとってデートなんてしゃれたものではなかったが。

 彼はこの休日をプリマヴェーラの自宅でのんびりと過ごす予定であった。

 だが、朝起きて部屋のカーテンを開けると、彼女が庭先に立っていたのだ。

「はあい、エリュージュくん。お・は・よ」

 彼女はにっこりと笑って手を振っている。

「ええっと、君は……?」

「あら、失礼ね。私のこと忘れちゃったの?」

「うーん。会ったことあるかなぁ」

 彼女は少しむくれた。

「フェアリィよ。フェ・ア・リィ。思い出した?」

「ああ、あの、以前冬星のところにやってきた……」

 樹は思い出したように手を打った。ランダム・ハート・カンパニーについて忠告をしてくれた彼女のことは、冬星と輝から話を聞いている。

 彼女はちょっと不満そうに口を尖らせたが、すぐに仕方ないというようにため息をついた。

「あの、君は、エンザークについて詳しいそうだね」

「別に詳しくはないわ。普通に知っているだけ。あなた達が知らなさすぎるのよ」

「仕方ないだろう。俺達は夢で見たこと以外、何も知らないんだから。実際分からないことだらけで、知りたいことが山のようにあるんだ。だから、いろいろ教えてくれると助かるんだが」

 樹は真剣な眼差しで彼女を見つめる。彼女はほんの少し考えたが、すぐに小悪魔的な微笑を見せる。

「そうねぇ。どうしても知りたいって言うなら、協力してあげてもいいわよ」

「ほんとかっ!」

「ただし、今日一日、私につき合ってくれたらね」

 そんなわけで、せっかくの休日ではあったが、アウトゥンノのショッピング・モール・セジュまで引っ張られてきたのである。

「きゃーんっ。このお洋服、かわいいっ。ね、今、アウトゥンノではこういう服が流行ってるの?」

「さあ。俺に聞くなよ」

 流行ものなどに頓着しない樹は、ややうんざりしたように答える。

「あ、こっちの帽子もすてきね。このバッグと合わせるとおしゃれじゃない?」

 フェアリィはまるで花畑の蝶のように、あちらこちらの店を渡り歩き、ウィンドウを覗きこむ。そのうち、

「いーなぁ、欲しいな。ね、買って。ねっ、ねっ」

と樹に甘えた声でねだってみたりする。

「なんで俺が……」

 当然の事ながら、ぶつぶつと不満を漏らす樹。すると

「お客様、お買いあげですか」

と背後から聞き慣れた声がする。この声は……。

「なんだ、輝か。昼真っから、なにこんな所をほっつき歩いてんだよ」

「ここは親父が代表を務めるショッピングモールだよ。俺が歩いていても別に不思議はないだろ。君こそ、平日の昼間からデートとは、いやいや、羨ましい限りで」

「ばかやろっ。これがデートに見えるか」

「十分見えるけど」

「…………」

 樹は返す言葉もなく、ため息をもらす。

「かわいい娘だねぇ。けちけちしないで、服の一着や二着、ばぁんと買ってやりなよ。ばぁんと」

「だからデートじゃねえって」

 樹はかいつまんで事情を話す。

「……というわけだからさ、おまえも暇ならつき合えよ」

 樹が耳打ちをする。輝はまた別の店のウインドウを目を輝かせて覗いている彼女に視線を移した。

「いや、おまえのデートの邪魔するのも悪いしさ。まあ、彼女は俺の好みじゃないから遠慮しておく」

「って、そういう問題じゃねえだろっ」

 樹は口をとがらせ、輝を睨む。

「じゃ、せめてここでの買い物費用を折半にしようぜ。エンザークの情報はおまえも欲しいだろ」

 樹としては妥当な提案をしたつもりだった。だが、輝は意地悪く笑う。

「AAAパイロット資格を保有する天才アストロノーツは、高給取りなんだろ。そこへいくと俺はしがない学生だしさ」

「ふん、風水グループの御曹司がケチくさいことを」

「預金通帳の数字が増えていくだけの生活なんてつまんないだろ。たまには女のために使ってもバチ当たらないって」

「う……」

 あまりにも図星だったので、樹は言葉につまる。

「じゃ、彼女から何か聞き出せたら、ボードにメッセージ入れといてよ。それから……」

 輝はポケットに手を突っ込んで小さな冊子を取り出し、樹に放った。

 これは……割引チケット? 

「買い物するならそれ使えよ。このショッピングモールの店なら、どこでもだいたい二割引くらいにはなるから。じゃあな」 

 樹はまだ何か文句を言いたそうだったが、結局何も言えず、さわやかに笑って去っていく輝を見送る。

「うふふ。エリュージュったらすてきなお友達をお持ちなのね。さ、割引チケットももらったことだし、ばんばんお買い物しよう〜っ!」

 そうして、彼は、否応なくあちらこちらの店に引きずられていったのである。

 結局、樹は遅くまでフェアリィに引っ張り回され、プリマヴェーラ行きの最終便を逃してしまったので、空港近くに宿をとり、一晩明かすことになった。

「一日これだけつき合ったんだから、そろそろ俺が質問してもいいだろう?」

 別れる間際、樹はフェアリィに言った。

「闇を統べる者って、一体何者なんだ。やはり、古文書にあるようにシーリアの兄クロース王子なのか」

「そんなことを聞いて、どうするつもりなのよ」

 今までのおどけた口調とは一転して、厳しい声が響く。

「どうするつもりって、敵の情報は一番必要じゃないか。正確な情報があれば、こちらから敵を叩きつぶすことだってできる。そしてエンザークを惑星に進化させることだって……」

「敵……ね」

 ほんの少し悲しげな、彼女の呟き。そして、彼女はゆっくりと首を振る。

「おそらく、私が教えてあげてもダメだと思うわ」

「なんで?」

「出来事だけ話してあげるのは簡単なんだけどね。あなたが本当に記憶を取り戻さない限り、本来の力は取り戻せないもん。それよりあなた自身が思い出せばいいのよ。あなたは全て知っているのだから」

「でも、どうやったら思い出せるのかも分からない」

「そうね。転生させられたときに、龍騎士として最低限必要な記憶以外は封印されたみたいだから、自力で思い出せといっても無理かもね」

 彼女は手のひらを樹に向かって差し出した。

 すると、何もなかった手のひらに、虹色に輝く大粒の結晶が浮かび上がってくる。

「持ってて。あなたが何もかも取り戻したいと思うなら、それは力を貸してくれるはずよ」

彼女は微笑みながら、その結晶を樹の手に握らせた。

 そして、彼女は目の前から空気にとけ込むように消えてしまったのだ。

 結局、何一つ教えてもらえなかった。

「力を貸してくれるったって……これ握ってても何も分からないぞ」

 ホテルのベッドの上で、樹は結晶を握ってみたり光に透かしてみたりしていた。しかし、結晶は虹色の輝きを放つ以外にこれといった特徴はなさそうである。特別に秘めた力も感じない。

「これってあれかな。夏旺のとこにあるワイングラスと同じ素材かな。なんか光り方がそっくり……」

 彼はベッドサイドのテーブルに結晶を置いた。そして、

「まあ、いいや。今日は疲れた。もう寝よ」

と呟くと、枕に顔をうずめたのだった。

 

 

 

 優しい光があちらこちらに溢れ、透き通るような歌声がどこからかきこえてくる。

 ここは……そう、エンザーク。エンザークの水の宮だ。

 そういえば、俺は休憩時間になるといつも宮の中庭に出ていたっけ。

 ここに来れば、たいてい、この歌声を聴くことができるから……。

「ほう。兄君と違って、妹姫は歌がお上手だな」

 いつの間にか、エリュージュの側には、ひとりの男が立っていた。

 そう。この顔もよく知っている。名はカシュウ。自分の師とも言うべき男だ。

「久しぶりだな。放浪の旅を終えて、ようやくこの地に腰を据える気になったか」

 柔らかい草の上に腰を下ろしていたエリュージュは、逆光に目を細めながら、カシュウを見上げた。

「何を言うか。まだまだ世の中は未知の物に溢れているよ。旅はやめられんさ」

 彼はそう言いながら、エリュージュの隣に腰掛けた。

「そういえばおまえ、次代のアクア・ディーオ・ガヴァリエーレに内定したって?」

「さすが、情報早いな」

「このカシュウ様をなめてもらっては困るな。情報集めは俺の仕事でもあり、趣味でもある。都を離れていてもちゃあんと都の事情は知っているよ」

 カシュウが胸を張ってみせるので、エリュージュは思わず苦笑い。

「殿下が推挙してくださったんだ。でなければ俺なんかが選ばれるはずがないだろ。」

「いやいや。殿下も長老たちもおまえの実力を認めてくださっているのさ」

「でも、龍騎士としても経験が浅いし、他の四人のようにアクア・ディーオ・ガヴァリエーレになるために教育されてきたわけでもないし……随分反対もあったらしいぞ」

 すると、二人が話しているすぐ後ろから

「経験なんて関係ないさ。実力さえあればな」

という声がする。

 エリュージュとカシュウは慌てて振り返った。するとそこにはクロース殿下が立っている。

 艶やかな漆黒の髪、すっきりと整った顔立ち。それ以上に印象的なのが生気と活力に満ちあふれた瞳。

「第一、わたしが実力のない者を次代のアクアに推挙するはずなかろう。次代のアクアはいずれわたしと共にこのエンザークを支えなければならぬのだからな」

「ごもっともでございますな」

 カシュウはそう言いながら頷いた。クロースも満足げに頷いて、エリュージュのそばに腰を下ろす。

「エリュージュはいつも自分を過小評価する。おまえの実力は、幼い頃から一緒に学んできた私が一番よく知っているんだ」

「きょ、恐縮です」

「まあ、アクア・ディーオ・ガヴァリエーレになるまでに少し時間がある。日々精進しろよ。いざというときにあのうるさい長老どもを黙らせることができるくらいの力を発揮できるようにな」

 クロースはそう言って笑った。

「やれやれ、クロース様の要求する目標はいつも高すぎますな。それにつき合うエリュージュどのは大変だ」

「高すぎるとは心外な。エリュージュはいつも期待以上の答えを出してくれるぞ」

「で、エリュージュどのがめきめきと力をつけてくるので、慌てて自分も腕を磨くと……。昔から変わっておりませんなぁ」

「…………」

 クロースはきまり悪そうにカシュウを上目遣いに睨んだ。カシュウは相変わらず飄々としている。エリュージュもそんな二人を見て、苦笑いを堪えるのに苦心している。

「クロース様は近くにこれほどに優れたライバルがいることを感謝せねばなりませんぞ。競い合ってきたからこそ、現在の自分があるわけですからな。これからも二人、力を合わせてこのエンザークを護ってもらいたいものです。決して仲違いなどせず……」

「分かってるよ。さっきも言ったけど、わたしはこいつの実力をいやというほど知っている。こいつと仲違いして敵に回すほど、わたしは無能ではないぞ」

「それならばよいのですが」

 だが、カシュウの顔から笑みは消え、かわりに幾分厳しい表情がそれに取って代わった。

「ひょっとしたら……クロース様の言う『いざというとき』はそう遠い日のことではないかもしれませぬ」

「旅の間に何かつかんだのか?」

 カシュウは返事をせず、ただほんの少し目を細めただけ。

 だが、何も言わなくても、何も聞かなくても、分かったような気がした。

「詳しいことは、部屋で聞こうか」

「そうですな」

 カシュウが頷く。

「だが、ひとつだけおまえたちに聞きたいことがあるんだが」

 クロースが真顔でふたりを見つめた。

「何でございましょう?」

「いや、以前から少し気になっていたのだが……わたしの歌って、そんなに下手か?」

 カシュウとエリュージュは思わず顔を見合わせた。そしてふたりとも腕を組んだり、頭に手を当てたりして唸る。

「音程は外れていない……と思うんですけど……ねえ、カシュウ」

「人には得手不得手というものがございましてな。殿下には将来この国を背負って立つに十分な資質と才能を兼ね備えておると思いますが、まあ、それ以外のところでは……ねぇ」

 二人のその言いぐさを聞いて、こぶしを小刻みに振るわせるクロース。だが、それでも彼は

「シーリアは毎晩俺に歌ってくれっておねだりするぞ」

と胸を張る。

「な、なんと!」

 カシュウとエリュージュは目を見開いて同時に叫んだ。

「悪いこと言いませんから、それはやめた方がいいですな」

「シーリア様が音痴になったらどう責任をおとりになるつもりです? 姫様の歌声はエンザークの民の宝だというのにっ」

「……お、お、おまえら〜〜〜っ」

 クロースはエリュージュの首に腕をまわし、首を絞める真似をした。

 だが、クロースはすぐに手を緩め、笑いながらエリュージュの髪をくしゃくしゃになるまで撫でる。

「わたしもシーリアの歌が国の宝だという意見には賛成だよ」

 クロースは立ち上がって自分の体についた草葉を手で払った。

「だから、近い将来エンザークに何があろうとも、わたしたちはシーリアを守らなければならない。あの歌声が決して消えることがないように……な」

 決意にも似たクロースの言葉。

 カシュウとエリュージュはそれを聞き、深くそして力強く頷きあったのだった……。

 

 

 

 樹は突然目を覚ます。

 辺りは真っ暗。

 そして、見ていた夢が余りにも現実味を帯びていたので、今自分がいる場所がホテルの一室であることを理解するまでにやや時間を要す。

「今のは……なんだ?」

 樹は暗闇の中で天井を見つめながら考えた。

 あれが封じられた記憶というヤツなのか、それとも……。

 ベッドサイドに置いてある小さなテーブルで、何かがぼんやりと赤く光っている。

 あれは、フェアリィにもらった石。

『あなたが何もかも取り戻したいと思うなら、それは力を貸してくれるはずよ』

彼女が言っていた言葉が、頭の中で響く。

 あれは封じられた記憶の一部なのか、それとも誰かが故意に見せた夢なのか。

 彼にははっきりと判断がつかなかったが、あれが偽りなどではないという確信もある。

 目覚めた今でもはっきりと残っている懐かしさが、偽りではないなによりの証ではないか。

「でも、古文書のいうことが正しいならば……殿下はエンザークに仇なす存在。つまり、俺たちの敵だ」

 樹は混乱を極めた頭を整理しつつ、呟いた。

「殿下はエンザークの将来も妹姫も、誰よりも大切に思っていたはず。あの殿下がどうして……?」

 彼はベッドサイドで光る石を手に取った。

 俺には、まだ思い出せない何かがあるのだ。俺はそれを取り戻さなければならない。

 彼の気持ちに呼応するように、石は徐々に輝きを増していった。

「あれ、なんだか、暖かい……?」

 すると、次の瞬間頭の中に何かが溢れんばかりに流れ込んでくる。

 炎。エンザークの水の宮を焦がす炎のイメージ。泣いているシーリア。恨みがましくエリュージュを見つめるクロース。

 エリュージュは何か言いかけたが、声にならない。

 クロースも何か言いたげに口を開いたが、エリュージュまで声は届かない。

 なんと言っているのか聞き返そうとしたとき、石が爆発したように光り、手で持っていられないほどの高熱を発した。

「あつっ!」

 樹は思わず石を手放した。石は音を立てて床に落下し、転がっていった。そして、赤い光もゆっくりと集束していく。

「これも記憶の一部ってヤツか」

 樹は床に転がった石を指先でそっと触れてみた。さっきは確かに触れないほど熱かったのに、今はむしろ冷たいくらいになっている。もう触っても、何のイメージも流れてこなかった。

「なんだったんだろうな、あの炎は。水の宮が炎上なんて縁起でもねぇ。でも、あれも過去に起こったことなのか? それとも未来の……? うーん、わかんねぇな。夏旺たちに聞いても、きっと何も知らないだろうしなぁ。でもあいつなら……」

 エンザークを旅し続けるカシュウならば、おそらく……。

「ふふ。さすがに全てを思い出すのは無理みたいね」

 ホテルのすぐ側にある街灯の側。樹の泊まっている部屋を見上げながらフェアリィは微笑んだ。

「でも、まあ、ほんの少しのイメージを送っただけなのに、これだけ思い出せただけでもよしとしなくちゃ」

 彼女はそう呟くと、ホテルに背を向けゆっくりと歩き始め、夜の闇にとけ込むように姿を消したのだった。

 

 

 

「んー。樹からのメッセージはなし、と。結局連絡とれなかったなぁ」

 希はチェックの終わったメッセージボードを自分の机に置いて、ベッドへ向かった。

「樹に相談したかったんだけどな。でも輝の話ではセジュで女の子とデートしていたって言っていたし。やっぱ電話なんかかけてジャマしたら悪いもんね」

 希は机の上に置いてある預かり物のグラスをちらりと見た。

「まあ、明日でもいいか」

 そして、彼はベッドに潜り、部屋の灯りを消した。

 

 

 

 そこは、豪奢な造りをした屋敷の一室なのだろうか。

 広々とした部屋の中央に置かれている天蓋つきのベッドで、女が二人の赤子を抱いて震えている。遠くから聞こえる足音。それも一人二人ではない。少なく見積もっても二十人くらいの足音が夜の屋敷にこだまする。

「何をする! その方ら、無礼であろう」

 屋敷の主である青年の鋭い声が、無礼な侵入者に向かって発せられる。

「国王陛下の命ですぞ」

「いくら国王陛下の命とはいえ、あまりにも無体ではないか。やっと授かった私らの子を、今すぐ抹殺せよなどと……」

「占者の預言が出たのだ、ウェスペル。おまえの双子の息子は『光の騎士』と『闇の剣士』になると。光はこのエンザークを守護する力になるが、闇は逆に我らを脅かす力となろう。芽は早いうちに摘まなければならん」

「なんと申される! 我が子がそのようなおぞましき者になるはずがない」

 ウェスペルは、剣を抜いて彼らの前に立ちはだかった。

 彼らは一瞬怯む。紫紺の剣士ウェスペルの剣技はもちろん、剣から発せられる力について彼らは十分過ぎるほど知っていたのだ。

「そのような者にならぬよう、私が全身全霊をかけて護る。どうかここはお引き取り願いたい」

「そうはいかぬのだ」

「ならば私も実力でお相手いたす」

 相手を威嚇するような鋭い目つき。そして、改めて剣を構えなおす。

「私は陛下の命を受けてここに来た。私に逆らうということは陛下に逆らうということだぞ、ウェスペル。それはまぎれもなく反逆罪。一族全てが処刑されるだろう。あの光の子を除いてな」

「…………」

「頼む。闇の子を私たちに渡してくれるだけでいい。そうすればもう一人の光の子は、成人するまでおまえ達の元で育ててもよいとの仰せだ。その子にアクア・ディーオ・ガヴァリエーレの地位も約束する。だから……」

「しかし……!」

「あの美しい奥方を処刑台になど送りたくはなかろう」

 ウェスペルは、うつむいて唇を噛み、静かに剣を降ろす。

「物わかりがよくて結構だ。さすがは陛下の親衛隊長であるな。……急げ。夜が明ける前に闇の子を手に入れよ」

 男は部下達に指示を飛ばし、少し気の毒そうにウェスペルを見つめた。

「きゃああっ。何をするの。その子は私の……私の子よ! 連れていかないで!」

 悲痛な女性の叫びが、屋敷中にこだまする。

「あなた、あなたっ。アーヴェントがっ」

 赤子を抱いた母親は寝室から這い出し、もう一人の我が子を抱えて出ていった男を追おうとする。

 母親から引き離された双子の片割れは、突然、火がついたように泣き出した。

「この子で間違いないな」

「首にかかっているプラチナプレートにアーヴェント・セルシュアと名前が刻んであります」

「うむ。弟の方だという話だから……間違いない」

 乱暴にプラチナプレートのペンダントを覗き込み、そして引きちぎる男達。

「せっかく生まれてきて、両親にこんなプレートまで作ってもらったのに……不要だったな。気の毒なことだが」

 すると、赤子はそれまで以上に大きな声で泣きわめいた。うつむいたまま、その声を聞くウェスペル。これ以上ないほど取り乱している妻のアレグリーアが悲痛な叫び声を上げる。

 ウェスペルの中で、何かが壊れた。

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 再び剣を握り、彼らに襲いかかる。不意をついたウェスペルは、男達をなぎはらい、再び自分の手に我が子を取り戻した。

「私はなにがあってもこの子たちを手放さぬ。たとえそれが陛下に逆らうことになったとしても、だ」

 彼は剣を大きく振りかざし、呪文の詠唱に入る。

 そして。

 夜明け前のエンザークに凍てつくような蒼い光が走った……。

 

 

 

「うわぁぁっ」

 真夜中。希は自分の叫び声で目を覚ます。彼は辺りをゆっくり見回し……そこが自分の部屋であると認識するまで、たっぷり十秒以上を要した。

「何……今の……?」

 夢とは思えない夢。あまりにも現実感があって、まるで自分がその場にいるような……そんな感覚。

 以前から繰り返し見るシーリアと龍騎士達の夢によく似た感じだ。

「『光の騎士』と『闇の剣士』って、まさかねぇ。昼間、夏旺がそれらしいことを言ったから、夢に見たのかな」

 彼はそう呟くと汗を拭い、ふと机の方に目をやった。

「えっ、ちょ、ちょっと……!」

 机の上には昨日預かった虹色のワイングラスが箱に入れたまま置いてあった。そして、そこから赤い光が漏れており、真っ暗なはずの希の部屋をほのかに照らしている。

 彼は慌ててグラスを入れた箱を取り出し、ふたを開けた。すると輝きはさらに増し、ついには部屋中が赤い光で満たされる。

「どうして? 昼間はただの虹色のグラスだったのに」

 彼はそのグラスを手に取ろうと手を伸ばした。だが、指先がグラスに触れた瞬間、彼の中に何かが流れ込んできた。

 だがそれは一瞬で、何がどうなっているのか希には理解できない。

「……アー……ヴェント……?」

 その名だけが脳裏に刻みつけられている。一体彼は……?

「兄さん。エスペランサ兄さん」

 振り返るといつの間にかベッドの側にひとりの男が立っていた。

「あなたは……夕稀さん……?」

 顔は確かに彼であった。だが、それにしても妙である。軍服のような服を着込み、長くて真っ黒なマントを羽織った彼。おまけに腰に剣までぶら下げている。

「兄さん。エスペランサ兄さん……」

 男は少し悲しげに希を見つめている。

「ひょっとして……君がアーヴェントなの? ぼくの双子の弟の……」

 希がおそるおそる尋ねると、男は少し微笑んで頷いた。

「会いたかったよ。兄さん。ずっとずっと……。父上も母上も兄さんに会える日をどんなに夢見てきたかしれない」

 アーヴェントの頬を、一粒の涙が伝う。一方、希も胸を熱くしていた。

「父さんと母さん……ぼくの?」

 希の声は、自然と震える。

 いつも、心のどこかで思い描いていた、ぼくの両親。

 自分は誰の子なのか。いったいどうして捨てられたのか。

 上月の両親に何不自由なく育てられた彼でも、考えずにはいられなかった。

 だが手がかりらしい物は皆無で、絶対に探すことなど不可能だと思っていたのに。

 父も母も弟も、ちゃんと生きていた。そして希に会う日を夢見ていたという……。

 希の目にも、知らず知らずのうちに涙がたまっていた。

「で、でも、ちょっと待って。その格好って……エスタシオンの人じゃないよね。まさかエンザークの……?」

 アーヴェントは儚なげな微笑みを見せる。

「母上の病があまりよくないんだ。兄さんが見舞ってくれると少しはよくなると思うんだけど」

 アーヴェントは懇願するように希に言った。

「も、もちろん。ぼくだって今すぐにでも会いに行きたいよ」

 と希。

「じゃあ、ぼくについてきて。扉を開けるから」

「うん。あ、でも、朝が来てぼくがいなかったら、おじいちゃんたち心配するよね。メッセージを残しておいた方がいいかな」

「大丈夫だよ。あちらもエンザークと同じで、この世界と時間の流れが違うんだ。多分何日かあちらの世界にいても、こちらでは一時間にもならないよ」

「それなら朝が来るまでに戻って来られるね」

 希は安心したように頷いた。アーヴェントも頷く。

「じゃあ、行こうか」

 アーヴェントは静かに扉を開いた。

 永遠に光の差すことのない、漆黒の闇の世界へ通じる扉を……。

 

 

 

 アウトゥンノからの定期便でプリマヴェーラに戻ってきた樹は、自宅を目指して歩いていた。

 仕事は夜からだから、まだ家に戻って一服する余裕はある。

「一回エンザークに行きたいんだけどなぁ。いつもなら予告もなしに強制拉致するくせに、行きたい時には呼んでくれないんだから」

 樹は少し不満げにクリスタルを睨む。

「おーい、青龍。起きていたら返事しろよ」

『…………』

 返事はない。

「こっちまで声が届けられないなら、せめてピカーッと光るとか、点滅してみせるとか……なんかないのかよ」

 もちろん、クリスタルは無反応のままである。

「はいはい、わかったよ。エンザークに何かない限り、おまえはこの中でぐうたらしているんだよな。人が深刻に悩んでるっていうのに、呑気なもんだよ、まったく。そっちがピンチの時は俺だってがんばって手助けしているってのにさ。主人が悩んでいるときくらい、思いやろうとか、助けしてやろうとか、そういう気持ちはおまえにはないんか。ほんっと冷たいヤツだなぁ」

 樹はクリスタルに向かってさんざん悪態をついたが、相変わらずクリスタルは何の反応も示さない。

彼は、そのうちあきらめ、

「ああ、もうっ。今日は突然呼んでも文句を言わないからさ。くっだらねえ用事でもいいから、呼んでくれよーーーっ!」

と叫んだ。

 その時である。

 彼の体が一瞬透き通った。

「やった! ナイスタイミングだぜ!」

 この感じ。これは間違いなく『呼ばれた』時と同じだ。

 次の瞬間、彼が静かに瞼を開くと、そこには草原が広がっていた。

 そして、青龍が空からやってくる。

『主よ』

 青龍は肩越しに樹の前に回り込んだ。

「今回の用はなんだ? またこの地に魔の者が侵入しようとしているのか。ま、なんでもいいさ。さっさと片づけるぞ」

 樹がまるで準備運動でもするかのように肩を回し、気合いを入れるのを見て、青龍は首を傾げた。

『主よ。この地もわたしも今日は呼んではおらぬ』

「何?」

『おそらく、自分の意志でこの地にたどり着いたのであろうよ。主は異世界からのゲートを作る方法を心得ておいでのはず。ただ、今はすっかり忘れているだけで』

「あれ、そうなのか」

 俺は、自分の意志でここまで飛んできたのか。

 樹は辺りを見渡した。ただ強くエンザークへ行きたいと念じただけ……のような気がしたんだけど。

『ところで主よ。さっき、さんざんわたしの悪口を言っていなかったか?』

 青龍は厳しい顔をして、樹を見下ろしながら問いただした。樹は一瞬顔をひきつらせ、

「な、な、なんのことかな?」

ととぼけてみせる。

『はっきりとは聞こえなかったが、悪意の思念が矢の如くわたしに突き刺さったぞ』

「き、気のせいさ、相棒。青龍あっての俺だし、俺あっての青龍だろ。そんな悪意だなんて」

 樹は必死になって取り繕うが、青龍は冷たい眼差しで樹を見下ろす。そして

『……冷たいヤツで悪かったな。あいにく主のカウンセリングまでわたしの仕事ではない故』

と呟く。

「しっかり聞こえてるんじゃねーかっ!」

 樹は大声で文句を言ったが、青龍は拗ねたふりをして横を向いている。

『ところで主よ、今日は何故この地へ?』

 青龍は唐突に真顔になり、樹に尋ねた。

「ああ、カシュウに尋ねたいことがあってね。どこかで見なかったか?」

『カシュウ殿に、か?』

 青龍は不思議そうに首を傾げる。

 確かに先日一回カシュウには会っているはずだが、どうして突然尋ねたいことがあるなどと言い出したのだろう。前はうさんくさいと疑ってかかっていたのに……。

『主よ。まさか、記憶が……?』

「ん?」

『いや、何でもない』

 青龍はそれ以上は何も言わなかった。

 封印がそんなに簡単に解けるはずはないのだ。そんなに簡単には……。

『つい昨日、カシュウ殿を近くでお見かけした。まだそれほど遠くには行っておらぬ。主よ、わたしの背にのるがよい。空から捜した方がいくらか早かろう』

 青龍がそう言って樹を自分の背に乗せようとしたときだった。

「その必要はない。俺はここにいるぞ」

というカシュウの声がした。

「久しぶりだな、カシュウ」

 青龍に乗るのをやめ、樹は彼の方に向き直った。

「つい先日も会ったような気がするがね」

「ああ、そうだっけ? でも、俺にとっては久しぶりなんだよ。元気そうで何よりだ。相変わらず旅しているんだな」

「まあ、それが俺の仕事だからな」

 彼は昔と変わらぬ笑顔で答える。

「ちょうどいい。あんたには聞きたいことが山のようにあるんだ」

 それから樹は昨夜見た夢の話をし、自分が疑問に思っていることを彼に尋ねてみた。

「クロース殿下は俺にとって大切な人だ。兄のように慕っていたし、親友だとも思っていた。彼になにかあれば、俺はこの身に代えてもお守りしなければならないと思っていた。それがなぜ、今頃になって殿下と戦わなければならない。かつてエンザークに何が起こったのだ? どうしてこんなことに……」

「覚醒を……始めたのか」

 カシュウは樹の横顔をそっと見つめた。

「それは、自分自身で思い出さなければならん。人から話を聞いても、何の意味も持たんのだ」

「おまえもフェアリィと同じことを言う。自分で何もかも思い出せるなら、わざわざこんなところまで来ないよ」

 樹は不満そうに言った。

「じゃあ、せめてクロース殿下にお目にかかることはできないだろうか」

「……会いたいのか」

 樹は静かに頷く。

「会って、直接話がしたい」

「確かに、直接会えば覚醒も進むかもしれん。そして、覚醒したらその分、力を取り戻していくこともできるだろう。だが、全てを思い出せば……後悔するかもしれんぞ」

「かまわない。俺は真実が知りたいだけだ。それを知らなければ、俺はこの先何と戦えばよいのか分からなくなる」

 樹は真剣そのものだった。カシュウは彼の眼を見て、何を言っても無駄だということを悟ったようだった。

「方法はある。おまえに覚悟ができているなら、ついてくるがいい」

カシュウはそう言うと、彼に背を向け歩き始めた。樹もそれについていく。青龍は困ったように二人を交互に見ていたが、結局主をこのまま一人で行かせるわけにはいかないと思ったのか、樹がいつも身に付けているクリスタルの中に慌てて戻った。

 そして。

 二人がほんの数歩歩いたところで、彼らの姿はエンザークから完全に消え失せたのだった。

 

 

 

「ここは、暗いところだね。それにちょっと寒い……かな」

 希はアーヴェントに連れられてきた館で、そんなことを言った。

「そうだね。ここはいつになっても光の差すことのない世界。エンザークの民は魔界と呼んでいるそうだよ」

「魔界っ」

 希は驚いて叫んだ。

「魔界って、あの、変な魔物がいっぱいいるっていう、あの……?」

 アーヴェントは静かに首を縦に振った。

「ど、どうして、父さん達はこんなところに住んでるの?」

「ん……ちょっと事情があってさ。ま、話はあとでゆっくりするとして、とりあえず母上を見舞ってやってよ」

 彼は暗闇の中でドアノブを開けた。

「母上、今日はお客さまを連れてきましたよ」

「ふふふ……あははは……」

 部屋をおぼつかない足取りで歩いている女性。客が来たと言っても、こちらを見ようともしない。どこかあらぬ方を見ているのか、それとも焦点が合っていないのか……。

「母上。今日はエスペランサが母上に会いに来てくださいましたよ。懐かしいでしょう。エスペランサです。覚えておいでですか?」

 希はその女性の真正面に立った。

 今でも信じられない。この人が自分の母親……?

 でも、夢に見た母と顔は似ている。この人の方が随分やつれているようだけど……。

「お、お久しぶり……です。お母さん」

 自分の母親に向かってお久しぶりというのも変な話だけど、などと思いつつ、希にはそれ以外の言葉が見つからなかった。

「エス……エス……ペ……ランサ……」

 彼女は希の方に歩いてきて、ゆっくりと彼の髪を撫でる。

「お母さん?」

「エスペ……ランサ……エスぺ……」

 壊れた機械さながらに、彼女は息子の名を呟く。

「エスペランサ……私の……私の……!」

 次の瞬間、彼女は頭を抱え、苦しそうに嗚咽を繰り返した。だが、再び顔を上げたとき、その眼には先ほどとは明らかに違う光を宿していた。

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 彼女の絶叫に、夫であるウェスペルが部屋に駆け込んでくる。

「どうした。アレグリーア。どうしたんだ」

 ウェスペルは妻を抱きかかえた。

「アーヴェント、彼を早く別の部屋へ連れて行くんだ。アレグリーアの気が静まるまで……早く!」

「はい、父上」

 アーヴェントも驚きを隠せなかったが、それでも彼は父に言われたとおり、希を別室へと連れていく。

「だめ。連れていかないで! 私の……私のエスペランサ! いやぁぁぁぁっ!」

 ウェスペルはアレグリーアの口に薬をふくませた。

 ウェスペルの腕をふりほどこうとしていたアレグリーアの腕は、急に力をなくし床に向かって垂れ下がる。

 叫び声も、止んだ。

「あの……母さんは……?」

 別室に連れられた希は、心配そうに尋ねた。

「母上は心を患っていらっしゃるんだ。いつもはあんなに興奮することはないんだけどね。やっぱり君が来てくれたからかな」

 アーヴェントはそう言って、希をソファに座らせた。

「昔からあんな病気だったっけ? 違うよね。夢で見たお母さんは、あんな病気にはなっていなかったもん」

「俺が物心ついたときには、既におかしかったけどね。ああなったのは、エンザークを追われてから……という話だよ」

「エンザークを追われた、だって?」

 希はただでさえ大きな目を、さらに見開いた。

「追われたって、どうして?」

「国王陛下の命に背いて、アーヴェントを引き渡さなかったからさ」

 アレグリーアを寝かせ、この部屋に来たウェスペルがそう言った。

「あ、確か……アーヴェントは闇の子だから殺せって……」

 そうだった。アーヴェントを守るため、お父さんとお母さんは国王陛下の使いとやりあったんだ。

「で、でも逃げることができたんでしょ。だからこうして三人は生きているんじゃあ……」

 ウェスペルはゆっくりと首を横に振った。

「陛下の使いとかいう連中が夜中に襲ってきたあの日。確かに私たちは屋敷を抜け出すことはできた。だが、三日も経たぬうちに追っ手が来て……私たちは捕らえられたのだ。そして、奴らはエスペランサを取り上げ、私たち三人を魔界へと追放したのだよ」

「魔界へ追放……そんな……」

 信じられないというように希は首を振った。

「魔界へ追放するということがどういうことかわかるかい。全てを取り上げられ、この闇に放り出されるというのは、結局死刑を言い渡されたようなものさ。闇に巣くう異形の化け物どもから、自分の身を守る術などない。ひとりで放り出されたら、まず一日だって正気を保っていられないよ」

 アーヴェントは吐き捨てるように言った。

「国王に逆らったのが罪だといえば、これはあまりにも重い罪だった。私だけならともかく、妻のアレグリーアとまだ生まれたばかりの赤子であったアーヴェントまでもをこの闇へ追放したのだからな。あの時、この闇の中でクロース様と出会わなければ、私たちはこうして生きていることもなかっただろう」

 ウェスペルはそう言って目を伏せた。

「で、でもっ。クロース王子って、悪い人なんでしょ。古文書には、何かよく分からないけど愛してはならない人を愛して、それで破門されたって……。だから復讐しようとして、エンザークを狙っているんでしょ」

 希がそう言うと、ウェスペルはますます憂い顔になった。

「なあ、エスペランサ。歴史ってものは、勝者が作っていくものだと思わぬか。敗者がどれだけ叫んだところで、敗者の正義など歴史のページに刻まれることはない」

「……うん」

「おまえの見た古文書とやらも、その勝者が作ったものだよ。全てが真実とは限るまい」

 希は口を閉じた。全てが真実とは限らない……?

 ということは、真実はまた別にあるってこと?

「で、でもっ。ぼくはアクア・ディーオ・ガヴァリエーレなんだよ。シーリアに害をなそうとする者から、彼女を護らなくちゃ。クロース王子が彼女にひどいことをしようとしているなら、ぼくは……」

「エスペランサ。君は誤解しているよ。ぼくたちはシーリアに仇なそうなんてこれっぽっちも考えていない。クロース様だって絶対にそんなことはしない。ただ、ぼくたちはエンザークに帰りたいだけなんだ。この闇の世界を抜けて、光の世界に……」

 アーヴェントは熱っぽく訴えた。

「一度反逆者の烙印を押された者が、エンザークに足を踏み入れることは容易ではない。だが、アレグリーアを見ただろう。この闇は人の心を狂わせる。エスペランサを取り上げられ闇へと追われた彼女は、身も心も衰弱し、心が闇に侵されつつある。今はクロース様が結界を張っていてくださるからこの程度ですんでいるが、時を重ねれば重ねるほど、彼女の病は深刻になるだろう。だから、一刻も早く光の世界に連れ帰ってやりたいのだ。そうすればこの病とて癒えるはず……」

 父親のそして弟の悲しみが、希に流れ込んでくるようだった。

 どうして、この人達がこんな悲しみを背負わなければならないのだろう。

 自分の子どもを守ろうとした親にどんな罪がある?

世の中には、生まれたばかりの我が子を、ゴミを捨てるように置き去りにする親だっているというのに。

 そういう親こそ罰せられなければならないのに。

 どうしてこの人達がこんな目にあうんだ。

「そんなのってひどいよ!ぼくがシーリアに話をしてみる。こんなことがまかり通っていいはずがないもん」

 希は目に涙をためながら叫んだ。だが、ウェスペルは厳しい顔をして

「だめだっ。そんなことすれば、その時点でおまえが反逆者になってしまう。おまえまでここに来ることはない!」

と強い口調で言った。

「だったらどうすればいいの……」

 希は困ったように父を見上げた。

「できればこの戦いにおまえを巻き込みたくなかったが、少しだけ貸してもらえないか。おまえの力を」

 そしてウェスペルは、希の耳元で二言、三言囁いた……。

 

 

 

「なんだかあまり気持ちのいいところじゃないね」

 寒々とした空に、薄気味悪い影を落としている闇の宮を見上げ、樹は素直にそんな感想を漏らした。

「こんなところにもおまえは出入りしているのか、カシュウ」

「ま、たまにね」

薄暗く長い廊下を、カシュウに続いて歩いていく。

 辺りが余りにも静かで、それがかえって不気味さを増していた。

「さ、ついたぞ」

 カシュウはある部屋の扉を開けた。そこは大広間のようになっていて、やっぱり人がいるようには見えなかったが、奥の方に気配だけを感じた。

 だんだんと闇に目が慣れてくる。すると奥の方に玉座があり、そこにゆったりと腰掛けている人物が見えてきた。

「久しぶりだな、エリュージュ」

 闇の中から声がする。

「クロース殿下…?」

 樹は少しずつ暗闇の中を歩き、クロースに近づく。

「エリュージュ。ここでは殿下ではなく、陛下と申し上げるべきだな。今のクロース様は、闇を統べる者でいらっしゃるからな」

 カシュウがそう言うと、クロースは玉座から立ち上がった。

「呼び方などどうでもよい。わたしがクロースであることに変わりはないのだから。それよりもよく顔を見せてくれ。久しぶりの再会だというのに、この暗闇で顔も見えぬ」

 クロースは嬉しそうに樹を迎え入れる。だが樹は戸惑いを隠せない。話をすれば、確かに懐かしいクロース王子だと思う。かつて、エンザークで少年時代を共に過ごしていた頃と、何も変わらないように思う。

 だが、この人はたびたびエンザークを脅かしてきた『闇を統べる者』なのだ。

「どうして…どうして、クロース様は闇の王として君臨しているのですか」

 樹はおそるおそる尋ねてみた。

「久しぶりの再会だというのに、無粋な質問だな」

「俺はそれを聞くためにここまでやってきたんです」

「まあ、よい」

 クロースは再び玉座に座った。

「あの小うるさい長老どもにわたしは闇へと追放された。この闇の中で生き延びるためには、闇の中に散在する異形の化け物どもを蹴散らしてこなければならなかったのだ。そうして長い年月…俺は戦い続けた。そして、まだ生き残っている。それだけのことだ」

 一言で言ってしまえば、それだけのことだった。だが、それがどれほど大変なことだっただろう。

「生き延びるため、闇に巣くう異形と戦ってこられたのは分かります。だけど、どうしてあなたがエンザークを脅かす存在となったんです? あれほどまでに国と民を愛し、護ってきたあなたがどうして……」

 樹がクロースをまっすぐ見つめる。

「エンザークを脅かす……か。まあ、わたしがエンザークに帰ろうとしていることが『脅かす』ことになるのならな」

 クロースは冷たく笑う。

「なあ、エリュージュ。近い将来、エンザークが崩壊するかもしれないといったら、おまえはどうする?」

「そんなことにはなりません! エンザークにはシーリアがいるんです。彼女が国を支えている限り、絶対に大丈夫です」

 樹はきっぱりと言い切った。

「いずれシーリアは戴冠式を迎え、女王になります。そうしたらきっとエンザークは惑星に進化しますよ」

 アクアの五人は皆それを信じている。それぞれの地を護りながら、その日が来るのを待っているのだ。

「シーリアは戴冠式を迎えることはできぬ。……おそらくな」

「あなたがジャマするからですか?」

 樹が真顔でそういうと、クロースは鼻先で笑った。

「多分、シーリアにはその資格がない。いずれ戴冠式を迎えると言われて、もうどれだけの年月が経っただろう。彼女は未だに覚醒せず、エンザークを支える力を手に入れていない」

「そんなことはない! 彼女は今だってエンザークを支えている。少し前までは彼女ひとりだけで全ての地を……」

 そう言いかけて、樹は言葉を呑み込んだ。

 そう。少し前までは。

 じゃあ、今になってまた五龍を俺達に託し、エンザークのそれぞれの地を護らせることにしたのは……?

「まさか……」

 自分の出した結論を口にするのも恐かった。

 だが、クロースのその眼が言っている。樹の出した結論は真実である……と。

「今、エンザークを支えている力。あれはシーリアの力ではない。わたしはエンザークを追放される直前、私の力を封じた石をシーリアの胸に埋め込んでおいた。彼女の力が覚醒するまでの間、お守り代わりにでもなればと思ってな。だが、彼女は未だに覚醒しない。そろそろ石に込めておいたわたしの力も限界だろう」

 樹はあまりの事実に、言葉を失っていた。だが、畳みかけるようにクロースは続ける。

「シーリアとわたしは腹違いの兄妹だ。だが、最近はひょっとして兄妹ですらないかもしれぬと考えることがある。彼女が本当に父の血を受け継いでいるのであれば、エンザークが危機にあるこの時になっても覚醒せぬのはおかしなことではないか」

「そんな……まさか……」

「シーリアには、覚醒すべき力など、もともとないのかもしれぬ。もしそうであれば、近い将来、エンザークはそれを支える力を失って……確実に崩壊する」

 樹は首を振って、それを認めることを拒んだ。だが、その可能性を完全に否定できない自分もどこかにいて、胸の内が引き裂かれるような心地がしていた。

「シーリアがひとりでエンザークを抱えきれなくなったのは、闇の力が増大しているためです。決して彼女の力が尽きてきたからではありません」

 樹はのどの渇きを覚えながら、声を絞り出す。

「そうだな。確かに、闇の力は年々増大している。昔とは比べものにならないくらいにな。でも、それも全てエンザーク自身が招いた結果だ」

 クロースの冷たい声が、大広間に響く。

「俺は、長い間ここで異形の者と戦ってきて、ようやく分かった。やつらとて、元は人間だったのだ。ある者は罪を犯して、ある者は反逆者として、ある者は戦いに敗れ……理由はいろいろ異なるが、エンザークの民は昔から自分たちに必要なくなった人間たちを、闇の世界に追放してきた。やつらはこの闇の中で、死ぬのではない。心を歪ませ、異形の者へと変化していくのだ」

「!」

「分かるか、エリュージュ。光の世界を追われた者たちの悲しみや苦しみが、あの異形の者を産み、エンザークを脅かしている。このまま放っておけば、ますます異形の者は増え、闇の力は増大していくことだろう。エンザークを支える力が尽きかけているこの時期に、闇の力が増大するということは何を意味するのか、賢明なおまえには分かるはずだ。エンザークの民も、そろそろそれに気づかなければならないと思うが」

「そんな……そんなばかな」

「信じたくない気持ちは分かるが」

 クロースは立ち上がった。

「わたしはその事実を伝えるため、そして尽きかけているシーリアの力をつなぎ止めるため、どうしてもエンザークに赴かねばならぬ。だが、いったんエンザークを追放された者は、そうたやすく彼の地に足を踏み入れることができんのだ。そこで、エリュージュ、おまえの力を借りたい」

「俺の?」

 樹は顔を上げた。

「ああ。おまえだけが頼みだ」

 クロースは、樹の耳元で何事かを囁いた。

「いや、しかし、それは……。アクア・シールという立場上、そんなことは……」

「おまえの立場は分からぬでもない。だが、無理を承知で頼んでいる。わたしは二度とおまえと戦いたくはない」

 クロースは人差し指と中指の指先を、そっと樹の額に当てた。

 すると、おびただしい量のイメージが彼の中に流れ込んでくる。

 知りたかったことも、思い出したくなかったことも、全てひっくるめて彼の中に流れてくるのだ。まるで決壊した堤防から流れ込んでくる川の流れの如く。

「うわぁぁぁぁぁ! 許して……許してください! 俺は……俺は……」

樹はそう言うなり、その場に崩れ落ちた。

「一気に覚醒させたから、オーバーヒートしたようですな」

 側に控えていたカシュウは、気を失っている樹を抱き起こした。

「二度目の裏切りは許さぬぞ、エリュージュ」

 クロースは気を失っている親友の顔を見下ろしながら、呟いた。

 俺は、シーリアに会わねばならぬ。そして、エンザークの崩壊を止めなければ……。

 だが、強大すぎて倒すことが叶わず、やむを得ずこの身に封じたいくつかの魔を、いつまで押さえられるか自信はないのだ。

 クロースは心の中で親友に囁く。

「俺にもしものことがあれば……その時はおまえが……」

 クロースはかつてよくしていたように、エリュージュの黒髪をそっと撫でた。

 そして、彼はカシュウにエリュージュを頼むと、静かに闇の中へと消えていったのだった。

 

 

 

 エンザークへの扉。

 もともとアクア・シールである龍騎士が、開けないはずはないのだ。今まで自由に行くことができなかったのは、ほとんどの記憶が封印され、その方法を忘れていたからである。

 だが、全てを取り戻した樹にとって、ドアを作ることなど造作もないことだった。

 樹は希を伴い、闇からエンザークへ繋がる扉を、今まさに開こうとしている。

「おお。扉が……扉が開く……」

 闇の宮で、クロースとその腹心達は、扉が開くのを固唾をのんで見守っていた。

 闇に、ほんの一筋の光が射し込む。

 扉がゆっくりと、ほんの少しだけ開いたのだ。

「よし、全軍出撃せよ!」

 ウェスペルがそう叫ぶと、アーヴェント、アルマ、フェアリィは異形の者となり果てた兵達を連れ、一気にドアを開き、エンザークへと向かって進んでいく。

そして、それに希、樹、クロースが続く。

「エリュージュ、おまえの友情に感謝する。さあ、一緒にシーリアの元へ行こう」

 クロースはそう言って、マントを翻した。

 夢にまで見た、懐かしい……光。

 どこまでも広がる草原。

 そこはクロースにとって、確かに見覚えのある風景だった。

 だが、感激しているヒマはない。彼らがシーリアのいる水の宮を目指して進み始めたその時、

「ちょっと待て、樹、希。これは一体どういうことだ」

 ついさきほど呼び出されたばかりの夏旺、冬星、輝が、彼らの前に立ちはだかった。

「さっきからおびただしい数の闇がこの地に入り込んでいる。まさか、おまえらが招き入れたのか?」

 樹は返事をしなかった。希は

「あ、あの……これにはわけがあって……」

と説明しようとする。

「どんなわけか知らないが、大量の闇を自らこの地に招き入れるなんて、アクア・シールのすることじゃあねえだろ。正気かよ」

 夏旺が眼をつり上げた。

「はやく闇の者を、闇に帰せ。でないとエンザークがとんでもないことになるぞ」

 輝が樹の腕をつかむ。だが、次の瞬間、見えない力で輝は吹き飛ばされた。

「何っ!」

 夏旺、冬星、輝は驚いて樹を見つめた。無表情な冷たい眼をした樹は、体から蒼い光を発し始める。

「冗談だろう、希」

 冬星が樹の傍らにいる希に向き直って尋ねた。だが、希も首を横に振る。

「エンザークは間違っているって、シーリアに言いに行かなくちゃ。母さん達をあのままにしておけない」

 希も黄色い光を発し始める。

「う、うそ。なんとか止めねえと」

 三人はそれぞれ胸に留めてある自分のエンブレムに触れた。

「赤龍の力を受け継ぎし、我が名は……スティラート!」

「白龍の力を受け継ぎし、我が名は……フェイネル!」

「黒龍の力を受け継ぎし、我が名は……クレルフィデス!」

 その瞬間、赤、白、黒の光が、エンザークの空を貫く。

「闇に巣くう者どもよ、闇に帰れ!」

 輝の叫びとともに、三色の光が辺りをうねりながら駆け抜けていく。そして、異形の兵士達は苦しげな叫び声をあげながら次々と倒れ、消えていく。

「おのれぇぇっ!」

 アーヴェントとアルマが、剣をとり、夏旺、冬星、輝に斬りかかっていく。だが、三人を守護する龍達に阻まれ、直接斬りつけることはできない。

「邪魔はさせん。クロース様はどうしてもシーリア様の元に行かなければならないのだ。エンザークのためにも、な」

 樹は右手を挙げ、青龍を呼んだ。

『エリュージュ……よいのだな、それで』

 青龍は念を押すように尋ねる。

「ああ。後悔はしない。俺はこれが正しい道だと信じている」

『そうか。ならば、主の意志に従おう。我はいつでも主と共にある』

 樹は静かに頷いた。そして、自分の内にある力を一気に高め、それを言葉に込めて発する。

「青龍の力を受け継ぎし……我が名はエリュージュ!」

 瞬間、蒼い光が地表を覆い尽くす。

 それは夏旺、冬星、輝が発した三色の光を飲み込み、全てを無に返すほどの強大な力だった。

 龍達でさえ、その力に圧倒され、地面に叩きつけられてしまう。

「う、動けねえ……!」

 蒼い光は、彼らの動きを封じた後、鋭い刃物で切り刻むように襲いかかる。

「うあぁぁぁぁぁぁっ!」

 鋭い痛みが全身を支配する。いつの間にか手にも足にも無数の傷ができており、そこから止めどなく血がしたたり落ちた。

「こ、の、やろ……っ」

 夏旺が、それでも立ち上がり、樹を睨み付けた。

「樹、てめえ、いいかげんにしろぉぉぉっ!」

 彼は気力だけで自分を支え、手のひらから樹に向かって炎の矢を放つ。

「やめてぇぇ!」

 希が樹を守るように、正面に光の障壁を展開する。

「夏旺、これ以上攻撃しないで。樹は全てを取り戻して覚醒したんだ。今の夏旺たちじゃ、どれだけがんばっても、樹に傷ひとつつけられないよ」

「だからって……闇の者が大量に入り込んでくるのを黙って見過ごす訳にはいかない」

 輝も冬星も傷ついた腕をかばいながら、なんとか立ち上がる。

「俺たちは、エンザークを……シーリアを護らなくちゃ」

 樹は目を見開き、もう一度指先から力を放った。

 三人の体は持ち上げられ、そして地面に叩きつけられる。

 既に言葉を発する力もなかった。ただ、苦しげにうめく声だけがその場に残る。

「どうして……だよ、樹……。なんでおまえは……」

 声にならない声が、樹の足下に横たわっている夏旺の口から漏れた。

「すまない、みんな。だが、俺は……親友を二度も裏切ることはできん」

 樹はまるで自分に言い聞かせるように呟く。

「さぁ、行こうか、エリュージュ」

「ああ」

 彼らは龍に乗り、大空を駆けていく。シーリアのいる水の宮に向かって……。

 

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