<口癖>

 

 

  「元気?」

  彼女の声は、明るかった。コンプレックスや、
  彼に対する複雑な気持ちの微塵も感じられないほど、
  透き通った美しい声をしていた。

  「なんだよ。」

  彼の声は疲れていた。
  受話器からの声は、くたびれた声をよりいっそう強調していた。
  といっても、今の彼の声は、特別疲れているわけでもない。
  このけだるい、そして少し色気のある声そのものが、彼のものなのだ。

  1年前、『女ができた。』という彼のとても簡単で、
  そしてとても明快な一言で、二人は男と女の関係にピリオドを打った。

  「恋愛の方も元気にしている?」

  明るくそして少しのからかい心を込めて彼女は言った。

  「とっくに、そんなものは・・・・。何なんだいったい?」

  「元気かしらと思って。」

  「とりあえず生きてるよ。お前は?」

  「私もです。」

  「ああ」

  彼は、彼女との会話を進めるごとに少しずつ、
  彼女をかつて愛していた頃の口調に近づいたいった。

  「ねぇ、仕事の方はどうなの?あまり良くない噂聞いたのだけど。」

  彼女は、左手の薬指を受話器のコードに絡ませながら言葉を続けた。

  「何なら、昔のよしみで慰めてあげましょうか?」

  その彼女の言葉に、彼は、よく使う口癖で答えた。

  「いらねぇよ」

  「あら、そう?」

  「いらねえ」

  いつもの彼なら大抵こんな時は、
  今から行くだの今から来いだのと彼女を困らせるのだが、
  今回は、随分考え込んでいるらしい。彼女にはそれが良く分かった。

  「今度、昔の仲間で集まるらしいのだけど、その連絡に」

  そんな彼の心理状況を感じ取った彼女は、
  自然な流れの中で本来の電話の理由を述べた。

  「いつ?」

  「ちゃんと決まったらまた電話します」

  「そうしてくれ。それまでには何とか落ち着かせておくよ」

  「はい」

  彼女は、ごく一般的な返事をした後、こう付け足した。

  「大丈夫よ。きっと。あなたなら何でも上手くこなせるわ。
  この私が、一度は惚れた男なんですから、ねっ」

  少しの沈黙の後、彼は答えた。

  「まったくお前はよぉ・・・」

  照れ隠しに彼が良く使う言葉だ。
  この口癖が、自分はもっとも好きなのだと、彼女は改めて感じていた。

 

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